セルフアドボカシー(自己権利擁護)について「断る権利」を通じて学んでいきましょう(1/3)
連載にあたって(編集部)
セルフアドボカシー。自己権利擁護。自分の権利を護ること(そしてそれを伝えること)。もしかすると「なんでそんなことが必要?」と思うかもしれません。でも「自分の権利」というものは、このせわしない社会のなかで、案外とないがしろにされやすいものです。あるいは「自分の権利」がないがしろにされていることに気づいていない、ということもあります。または、実は自分が、誰かにとっての「自分の権利」をないがしろにしてしまっている……、ということだってあるかもしれません。これはあまりよくない事態ですよね。ですから、誰かにとっての「自分の権利」を語ることを大切にする、自分にとっての「自分の権利」を語ることが大切にされる、こんなふうな社会であれば、みんなも少しだけ生きやすいものになる、のではないでしょうか。
さて、この3回の連載では〈大学院生の田中香織さんが、看護専門学生の石川直樹さんに「あなたにとってセルフアドボカシーとは何ですか」についてインタビュー調査を行う……〉というシチュエーションで、セルフアドボカシーとはなにかについて紹介します(*本記事は初回無料でご覧いただけます)。
自分でおこなう意思表明
田中 石川さんはセルフアドボカシーという言葉を聞いたことがありますか?
石川 確か、学校で習ったはずです。日本語で「自己権利擁護」(1)と翻訳されているのでしたっけ? 「自分の権利を自分で護る」とか、権利擁護とか難しそうな雰囲気がありますよね。あまり身近に感じない印象があります。
田中 わたしも難しそうに感じていたけど、勉強していくうちに、看護や教育、福祉の現場などでとても大切な考え方だと最近気づいてきました。
石川 そういえば、最近、学校でも「合理的配慮」という言葉を耳にします。それも、セルフアドボカシーに関係してきますよね。
田中 そうですね。障害のない人と平等にいろいろな活動などに参加できるように配慮してもらうためには「自分の意思を表明」する必要があります。そのためにはセルフアドボカシーをおこなうスキル(セルフアドボカシースキル)が重要だと言われています。セルフアドボカシースキルは、学校生活でも大切な考え方とされていますが、大人になっても大切な考え方なんです。
石川 自分で意思表明するって大変そうな気もしますね。自分だったら「まあ、いいか」で終わることが多そうな気がします。
田中 確かに、そうですね。人に助けを求めることが苦手な人や、社会から偏見をもたれるのが嫌で、意思表明をためらう人もいます。これは、個人の問題だけでなく、社会の構造そのものにも問題があるので簡単な話ではありませんが。ただ、セルフアドボカシーは私たちの日常生活にもすごくかかわってくるお話なんですよ。
石川 まだ、あまりピンときませんが……。
断る権利としてセルフアドボカシーを考えてみる
田中 たとえば、私の場合「断る権利」についてセルフアドボカシーがうまくできていなかったということに最近気がつきました。
石川 「断る権利」ですか? つまり、「私は断ってもいいんだよ」ってことですよね。例えば、定期的なサークルの飲み会に参加したくないから「嫌です! 僕は参加しません! サークル活動だけしたいです」って幹事にいうようなことですか? それを主張したらサークルのメンバーがどう思うかな……たぶん気にしない人もいるとは思うけど、けっこう気を使っちゃいますね。
田中 確かに、権利を主張することって、すごく難しい場合もありますからね。世の中、自分の望んだ権利が必ずしも尊重されるとは限りませんしね。自分が権利を主張することで、相手の権利を侵害することもありますし。お互いの権利の主張がぶつかる場合もありますからね。たとえば、家にテレビが一台しかなくて、石川さんは夜の7時にどうしてもリアルタイムでみたい番組があったとします。しかし、同じ時間帯に父親が自分とは違う番組をリアルタイムでみたいと思っています。
石川 お互いの「テレビ番組をみる権利」の主張がぶつかりますね。
田中 この場合、テレビは一台しかないので、どちらかは譲る必要があります。どちらかは、権利を放棄する必要があるんです。
石川 リモコン争いですね。
田中 そうです。これは身近な例ですが、世の中は権利に関するもっと厳しいお話が沢山あります。『権利のための闘争』(2)なんていう本もあるくらいです。権利を獲得するためには、苦労と精神的消耗をともなう場合がある、なんてお話を聞くと。
石川 なんだか大変そうな印象を受けますが…………。
田中 なかなか敷居が高そうな印象を与えてしまいましたが、今回、セルフアドボカシースキルを学生さんたちに身近に使いこなしてもらう研究するために、石川さんにこうしてインタビュー調査に協力してもらっているわけなんです。アクティブインタビューといって、石川さんから一方的にお話を聞くのではなく、私と石川さんが対話するなかでいろいろなことを考えていけたらいいなと思っています。あらためてどうぞよろしくお願いします。
石川 よろしくお願いします。
セルフアドボカシーの2つの考え方
田中 セルフアドボカシーの定義はいろいろあるんだけど(3)、日本ではセルフアドボカシーの大切な考え方に「自己理解」と「提唱力」があると言われているんです(1)。
石川 「自己理解」と「提唱力」ですか?
田中 簡単に説明すると「自己理解」は、自分で自分の特性や現在の状態を理解すること、「提唱力」は、自分に必要な支援を求める力を意味します(1)。合理的配慮に関する意思表明なんかは「提唱力」に関係してきますね。「自己理解」はセルフアドボカシーをおこなうための土台のようなものなので、まずは、この「自己理解」について、石川さんの体験談をいろいろお聞かせいただけたらと思います。
田中 「自己理解」の具体的な項目として、自分のニーズや興味、関心。自分の強みや弱み。得意な学習スタイルなどがあります(3)。石川さんは、これらの具体的な項目を聞いて、自分で自分のことをどのくらい理解できていると思いますか?
石川 すぐ思いつくのは、興味があることはゲームですね。関心があるのは、メンタルヘルスに関することですかね。最近、HSP(敏感気質な人)(4)とか流行っていますし。看護の学校にかよっているので、精神科看護にも興味が出てきていますね。あと、自分の強みは何だろう……。人と比べるとあまり自信がないことばかりだし。自分の弱みは何だろう。忘れ物やミスが多いことかな。細かくいろいろ考えていくと自分で自分を理解するって、簡単なようで難しいですよね。あと、自分自身で理解できているところはいいんですけど。自分自身で理解できてないところって、やはりありますよね。友達とか先生とか親から指摘されて自分の一面に気がつくこともありますし。
田中 そうですね。また、自分の無意識のなかに潜んでいる「別の自分」というものもありますからね。無意識のなかに抑圧された自分自身が知りたくない自分があるかもしれませんしね。
石川 田中さん、ちょっとだけ怖いです。
田中 冗談です、ごめんなさい。
まずは自己理解の方法
田中 さて、自分を理解する方法として、「ジョハリの窓」(5)の考え方があります。簡単に言えば「自分だけが知っている自分」、「他人だけが知っている自分」、「自分も他人も知っている自分」、「自分も他人も知らない自分」のように考えるみたいですよ。
石川 聞いたことあります。
田中 自分を理解すると、自分は「こうしたかったんだな」とか「こうしたくなかったんだな」という自分の感情に気がつくんです。たとえば、石川さんは先ほど「定期的なサークルの飲み会に参加したくない」ってお話されましたよね。
石川 あー、何となく話の流れで言いましたが。
田中 先ほどの会話から「飲み会はしたくない。サークル活動だけがしたい」という石川さんのニーズが理解できましたね。「私は〇〇したい」「私は〇〇したくない」ということに気がつくのは大切なことです。ちなみに、石川さんは何で飲み会に参加したくないんですか?
石川 言いにくい話なんですが、A先輩が……直接「お酒飲め」とは言わないんですが、「空気を読んでお酒飲め」みたいな雰囲気を出してくるんですよね。それと、いちいち会話にオチとかボケとか要求してくるんですね。それがしんどくて。
田中 嫌なことを思い出させてごめんなさいね。でも、非常に大切なことをお話してくれました。石川さんは断る権利として「飲み会に参加したくない」というニーズがありましたが、その深層心理には「お酒を無理に飲みたくない」、「いちいち会話にオチとかボケとか考えたくない」というニーズが潜んでいましたね。アルコールハラスメントまではいかないかもしれませんが、石川さんにとっては「お酒を自分のペースで飲む権利」が侵害されていたんですね。それと「自由に会話する権利」を求めていたと言えるかもしれませんね。
石川 僕はお酒あまり飲めませんし、面白いことは別に言えませんし。
田中 自己理解が増してきましたね。
石川 ああ、僕の弱みとしては「お酒に弱い」ということですかね。こういう些細なことも自己理解なんですね。あと、自分のニーズとして「人に気を使って面白いこととかいちいち考えないで、もっと自由にお話したい」ということなんですかね。自然体で会話したいんですかね。
田中 自分は、本当は何を望んでいるか、どういう人なのか。そういうことを深めていくと、自分にとって大切な権利もよく見えてくるようになりますね。
石川 でも、自分だけで自分を理解するのは難しいですね。僕も田中さんとお話するなかで、自己理解が深まってきましたし。
田中 「ジョハリの窓」(4)でいうなら、「他人だけが知っている自分」や「自分も他人も知らない自分」については、いろいろな人との対話のなかで気がついたり、後は「権利の知識」に関する勉強をとおして気がつく方法がありますね。セルフアドボカシーは自然に身につくとは限らなくて、家庭や学校の教育によって学習していくことも大切なんです(6)。精神科看護のセルフ・ヘルプ・グループではセルフアドボカシーについて考えるプログラムもあるみたいですよ。
石川 ちょっと興味ありますね。精神科看護のお仕事にも興味があるので、将来の仕事にも役立ちそうですし、自分自身にとっても役立ちそうな感じがします。あと、今、田中さんとお話しただけでも「飲み会に参加したくない権利」、「サークル活動だけに参加したい権利」、「お酒を自分のペースで飲む権利」、「自由に会話する権利」と沢山でました。今言った権利が良いとか悪いとかの評価は別の話として、自分の身近に「権利」って実は沢山かかわっているんですね。全然、意識していませんでした。意識していないで、無意識にセルフアドボカシーしたり、しなかったりしてるのかも知れませんね。そうか、僕はもっと自分らしく会話がしたいんですね。
田中 そうなんです。セルフアドボカシーというと、精神科看護における精神障がい当事者さんとか、学校教育における障がい学生さんが対象とばかり思う人もいますが、実はセルフアドボカシーという考え方は、障害の有無にかかわらず(7)、日常的に誰もが必要とする考え方なんですよ。そして、そのためには「自己理解」と「権利の知識」を学ぶことがとても大切なことなんです。日常生活のなかで意識していない人(8・9)も多いのかもしれませんね。海外ではセルフアドボカシーは「自己の知識」、「権利の知識」、「コミュニケーション」、「リーダーシップ」の要素があると言われています(3)。
石川 「権利の知識」を学ぶことも大切なことなんですね。
田中 それでは、次回は「権利の知識」についていろいろお話をしましょう。
★今回、村松さんにご執筆いただいたセルフアドボカシーに関するより専門的な記事は、月刊『精神科看護』7月号で掲載しています。
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