施策立案における仮説的推論の可能性を考える(その2)。
先般、友人である多田伊勢崎市議とfacebook上で対話をしました。
多田市議が執筆されたブログ「日本の夜明けは近いぜよ 一生安泰の罠」https://blog.goo.ne.jp/kucctada/e/d5e845c667970c6d331a44fc7461d0e4?fbclid=IwAR3i0aK73KvaGNKWC05k8imRteSCmZ1U-WXJ-4YR7JLaTy31iq3Yz94123M
についてでした。多田市議のご主張は、引用ですが、「組織の一員でなければ生きられない、と思い込んでいるあなたは、すでに飼いならされ、自分で立つための足や、闘うための牙を失っているのかもしれません。優秀な若者が、一生安泰の「自己保身」というちっぽけな殻に閉じこもることで、日本は進歩と発展を失っています。」ということでした。
ご主張に対しての私からのコメント
「一生安泰でよかった」ということを言えた社会構造が変わってしまったということだと思っております。
これまでの一生安泰モデルは、ある程度温暖な天候を前提とし、製造業を中心とした国民経済を軸として作られたビラミッド型の組織の象徴かと思います。社会経済構造を安定に進めるために必要なものだったかと。日本列島においては1960年前後〜1990年前後が代表的な時期だったかと思います。
しかし、ここ数年の気候変動期、パンデミックなどの世界的な感染症、市民からの行政への期待の高まり、破壊的な技術の展開などにより社会経済構造は変化しました。特に、郊外部の社会経済構造の変化のスピードは都市部に比較しても速いと思います。
この破壊的な変化においては、それぞれの組織はピラミッド型では対応できない可能性が高いといえます。しかし、これまでの制度、市場で構築された多くの組織・集団・団体は現状のピラミッド型組織をなんとか維持したいと漸次的な変化で乗り切りたいとするのでしょう。
これらの社会経済構造の変化への恐怖感が加入する方々に「一生安泰でよかった」といわせるのでしょう。しかし、この中で、その方々の三つの変化をもたらすのでしょう。一つは、漸次的な変化に過度に対応し、文中にある「バカ」になるのでしょう、若しくは、その組織から脱退し、自分の組織を作るということになることでしょう。もう一つは「バカ」にならず、その組織の変化を促進することになるでしょう。最後のパターンの事例はものすごく少ないかもしれません。
しかし、この自分の住んでいる地域外にある原因が引き起こした社会経済構造の変化の幅はより広がりつつあります。その中で「バカ」を減らすことを支援出来れば思っております。この支援としては、演繹と帰納のロジックから脱却し、いかに新しい推論力をつけることかと思っています。これは私のnoteに書いております。とりいそぎ。」
それに対しての多田市議のコメント
「行政組織の劣化は放置できないので、中から改革していける人材を育てなければなりません。全員がリーダーになる訳ではないので、現状からスタートするしかありませんが、こちらのブログに書いたように、1流の人材は、2流と3流に駆逐されるという傾向がありますので、その課題を細川さんの公務員研修で突破して頂きたいと思います。
改革を促進するためには、事なかれ主義・前例踏襲の現状維持が尊重される組織文化ではなく、ミスを恐れずチャレンジすることが推奨される組織文化へ転換することがカギです。組織の目標・価値観・評価を変えなければ、旧態依然の状態が続くでしょう。」
というやりとりがありました。
そこで、やはり、重要視されるのが「目標・価値感・評価」になるかと思います。このシリーズを通じて、議論・検討を進める推論の必要性、そして、進め方を議論していきます。
以上
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