顔占い人相占いの中国原典「神異賦」の序文のアレンジ日本語訳です

この文章は顔占い(人相術》)の中国の古典である(神異賦{しんいふ})の序文の日本語訳です

(この日本語訳は人相占いの先生である占い師の方から学びました私の感覚でアレンジした和訳になります。
 ですので正統な漢文の教科書のような文法的な正解を目指した日本語訳ではなくて、顔占い人相占いがどのようなものかよくご存じでない方でも理解しやすいように、できるだけ嚙み砕いて現代の日本人の感覚に近くなるような表現にいたしました、
 その事をご理解いただきましたうえで読んでくださるとありがたいです)


神異賦《しんいふ》 有序《じょのことば》


(五代之間《ごだいのかんに》 有聖人陳図南《チントナンというせいじんあり》)
昔の中国に五代と呼ばれた時代があり(西暦907~959年)

その時代に陳図南(チントナン)という名前のとても優秀な人物がおられました。



(宋之太祖《そうのたいそは》 賜其號曰希夷《キイのごうをたまう》)
昔の中国の宋の国の初代皇帝は陳図南の優秀さをとても高く評価して

彼に特別に「希夷(キイ)」という呼び名を与えました。



(師事麻衣《マイにしじして》 學修相術《そうじゅつをがくしゅうする》)
陳図南先生は、 「麻衣(マイ)」という名前の仙人の弟子になり、

彼のもとで顔占い(人相術)を学び、 顔占いの知識と技術と秘伝のすべてを受け継ぎました。


(論以冬深《しんとうにさとすをもって》 擁爐教之《ろをようしてこれをおしふ》)
麻衣仙人は陳図南先生に、

いまは真冬でその中でも一番寒くて厳しい時期なのだけれども

自分の住んでいる洞窟のなかで囲炉裏にあたりながら

顔占いを教えてあげましょう、と言われました。


(希夷如期而往《キイはきしてゆき》 至崋山石室裡《かざんのせきしつのうちにいたる》)
陳図南希夷《ちんとなんきい》先生は、 麻衣仙人から顔占いを教わると心に決めて出発し

中国の五山のうちの一つ、華山の洞窟に行き、そこに入りました。


(下の一行は顔占いの本質を現す詩句です(この行は説明文です本文にありません)

(相有前定《そうにはさきよりさだまるものあるが》 世無豫知《それをあらかじめしるひとはよになし》)
「人や物の姿形にはそれの運命と宿命がすでに現れているのですが、

 そのことについて知っている人はほとんどいないのです」


(舜目重瞳《しゅんのめはじゅうどうにして》 遂禪譲獲尭位《ぜんじょうされついにはぎょうのいをえる》)
中国の神話時代の君主の舜(シュン)は目の瞳の中にさらに瞳が重なっている

「重瞳(じゅうどう)」という目をしていました。

彼はその人格、品格と行動を帝王の尭(ギョウ)に認められ信任を得ることができて

その後に帝位を譲られて帝王を継ぐことになりました

この相は民衆を統治する人相です。



(重耳駢脅《じゅうじはへんきょうであり》 果爲覇興晉基《はをなしはたしてしんのもとをおこす》)
中国の春秋時代の晋の公子の重耳(チョウジ)は、

胸のあばら骨に隙間が無くて板のようなあばら骨だったそうです。

これを「駢脅(へんきょう)」と言うそうです。

彼は晋の国を再び立て直して君主となりました。

この相は武力を権力として人民を統治する相です。


(非神異以秘授《しんいはかくすをもってさずくにあらざれば》
豈塵凡能解推《あにじんぼんのかいすいするはあたわず》)
「神異《しんい》(顔占い人相術の原典の呼び名のこと)」は

仙人から仙人へ隠しながら授けるという秘密の教え方をするために

俗世間に生きる人達がそれを理解することはできないでしょう。



(不以言語《いうをもちいてかたらず》)
(隠而授之《ひそかにしてこれをさずける》)
麻衣仙人は陳図南先生に神異を教える時に、

人間の言葉で話して、語って教えたのではなく、

仙人のあいだでのみ通じて分かり合える方法を使い、

ひそかにして他者にはわからないように

陳図南先生に神異を教えて伝えました。


(發石室之丹書《せきしつのたんしょをひらかば》 莫忘吾道《わがみちをわすることなし》)
陳図南先生は顔占い人相術の秘伝の書である「神異賦(しんいふ)」を開いて読み返していると

麻衣仙人から顔占いを教えてもらいながら歩んできた日々の思い出が胸にこみあげてくるのです、

彼はそのことを忘れることなど決してありませんでした。


(剖神仙之古秘《いにしへのしんせんのひめるをさきて》 度與希夷《きいをどよす》)
麻衣仙人は遥か昔の伝説的な神仙達から伝わる秘密の教えを分け与えて

陳希夷《ちんきい》先生を世俗を超えて仙人のような境地にまで到達させたのでした。



(高山流水《こうざんりゅうすい》 知音少萬籟寂《ちいんすくなくばんらいしずかなり》)

麻衣仙人と陳希夷先生は師弟でしたが、お互いに気持ちが通じ合い

心から理解しあうことのできる親友との関係のようでもあり、それはとても静かで穏やかなものでした。

それはまるで春秋時代の琴の名手 伯牙《はくが》と親友の鍾子期《しょうしき》との関係のようでした。

二人を訪ねてくる者もほとんどおらず、周囲の喧騒から遠く離れた静かな時間を過ごしていました。


(白雲深處《はくうんふかきところ》 松聲通一榻随《しょうせいとおりいっとうしたがう》)
陳希夷先生が麻衣仙人から顔占いを教わった所は

風に吹かれる松葉の音しかしないような高い山の中でした、

その山奥は常に白い雲で覆われているようなところでもあり、まるで伝説の仙人の郷である白雲郷《はくうんきょう》のようでもありました。

陳希夷先生はその山奥の洞窟で寝起きをして麻衣仙人に付き随い顔占い人相術の秘伝をすべて受け継ぎました。



(志亘海内《こころざしをかいだいにわたし》 下掩人世《したはじんせいをおおい》)
思うことはこの顔占い人相術が広く国内にいきわたり、人の世界の隅々にまで及んで覆いつくし、


(望超雲外《のぞみはうんがいをこえ》 上合天機《うえはてんきをごうする》)
そしてこの思いが雲を突き抜けて遥か空の彼方、俗世の外にまで達して、 

この教えの本質が天地自然や森羅万象の働きやいとなみと同じであることを知っていただきたいのです。


(一覧無遺方知《のこりなくいちらんせばまさにしる》 神異賦不誣妄《しんいふのぶもうにあらずを》)
神異賦を見落とがないように一通り目を通せば、

そこに書いてあることが、でたらめの作り事で人を騙すための嘘では無いということを知ることができると思います。


(千萬勿傳後學《こうがくはせんばんつたうるなかれ》 凡庸俗悪之子《ぞくあくぼんようのこに》)
(愼之哉《これをつつしめよ》 謹乎之《これをつつしめ》)
顔占い人相術を後から学んだ者や後進の学者に伝えておきますが、

神異賦を誰かに教え授けるときの注意があります。

それは世間一般の常識が無く社会のルールを守ることができないような人で、

しかも何の取りえも無いような人には教えてはいけません。

特に悪事を平気でするような人には絶対に教えてはなりません。

それについては厳しく注意して厳格に取り扱うようにしてください。


( 序文終わり )

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