証拠なきバッシングへの中庸:現代の魔女狩り

「疑わしきは罰せず」という原則は、法治国家の根幹を支える重要な考え方です。しかし、芸能人や有名人に関する性的な加害疑惑が報じられると、この原則が無視されることがあります。2024年11月現在、タレントの松本人志氏やサッカー選手の伊藤純也氏がこの問題のやり玉に挙がっています。
まだ捜査や裁判が進行中であったり、証拠が不十分であったりする段階で、報道やSNSでの批判が過熱し、当事者が「社会的に有罪」と見なされてしまうことが少なくありません。草津市長の事件のように、明確な性被害否定の証拠が出ることは極めて稀であり、訴えがなくても週刊誌のゴシップ記事だけで疑われ続けることも多いです。
その結果、事実確認が不十分なまま、彼らのキャリアが破壊され、名誉が傷つけられます。この問題は、報道の在り方だけでなく、視聴者や読者である私たちの受け取り方や行動にも責任があるのです。
かつて証拠もなく証言だけで「あいつは魔女だ」と人を裁いた狂騒がありました。某国の人たちが井戸に毒を入れたというデマによる悲劇もありました。どちらも決して悪人の仕業ではありません。むしろ正義の心で、間違った行いをしました。今、有名人を証拠もなくたたいている人たちも、同じく悪ではなく、正義を信じているのです。
本記事では、性的加害疑惑を巡る一方的な報道とそれに伴う批判の典型的な論調を7つ挙げ、それぞれに対する反論を提示し、バランスの取れた視点を考察します。


一般的な論調7パターンと反論

1. 「被害者が声を上げたのだから事実だ」
「被害者が勇気を持って声を上げたのだから、疑うのは失礼だ。」
反論1:
被害者の声に耳を傾けることは重要ですが、それが即座に「事実」と結びつくわけではありません。慎重な調査と確認が必要です。
反論2:
誤解や虚偽の証言もあり得るため、加害の有無を判断するのは司法の役割です。社会的判断を急ぐべきではありません。
反論3:
疑問を持つことと被害者を攻撃することは別物です。事実確認を求める行為は、全ての当事者のためになります。

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