そろそろ社会に適合してみたい
なんだかんだで社会人3年目になった。もちろん仕事は上手くいっていないし同じミスを何回もするし、人間関係もうまく構築できていない。
私は、しがない公務員だが、民間経験者の同僚から
「民間だったらもうクビだよ??」
と言われるくらいには仕事ができない。
でも欠勤はしていないので、社会不適合者へのボーダーはギリギリ踏みとどまっている。
そして、社会人なってから、ずーーーーーーーっと言われ続けている言葉がある。
それは「失礼」だ。
明らかに言われることが多くなった。「正露丸君、それ失礼だよ」と1年目からずっと言われ続けている。
もう「失礼」と言われすぎて何をしたのかほとんど覚えていないので、直近に働いた失礼を綴る。
直近で行った失礼
先日、職場の飲み会があった。俺が住んでいるところはド田舎で、周りには居酒屋一つもない田舎の中の田舎である。そのため、飲み会には隣町へ乗り合わせで行く(もちろん電車などあるわけない)ので、飲まない人が飲む人を店に連れていく(このシステムも飲まない人がなんか損している気がする)ため、俺は飲まない同僚に乗せてもらっていた。
少し話は変わるが飲み会の前日、俺は銭湯にお風呂セットを忘れて帰った。飲み会が18時からで、銭湯が始まるのが16時だったため、飲み会前に取りに行くこともできなかった(自宅から店までは約30分かかる)。
さらには店と銭湯が近かったため、店に行く前に取りに行けると思い、運転者に「すいません昨日お風呂セット忘れたので銭湯寄って貰っていいですか?」とお願いした。その時は快くOKしてくれたが、時間が経つに連れて
「いややっぱおかしくない??」
と冗談風には言われたが、かなり強めに詰められた。私は冗談風に本音や悪意を込められた時はめちゃくちゃ敏感に察知するので、かなり反省した。
恐らく、めちゃくちゃ失礼なことをしたのだろう。次からは同じことがあったとしても絶対にしない。
このようなことを初見で色々な人にやり続けている。理由としては、自分が同じことをされても全く嫌ではないからだ。
小学生の時は「自分がされて嫌なことは人にしない」とよく言われる。それは、大体の人間がされて嫌なことは共通しているからだ。相手がされて何が嫌なのかを想像するには、自分の中の経験からでしか予測できない。
そのため、人と関わった経験の少ない俺はたくさんの人を怒らせてしまう。人と関わっていないため、この行動をしたときに相手が不快に思うかどうかが一切分からない。
今回の件も、仮に俺が運転者で、10歳下くらいの後輩が
「正露丸さん、銭湯に忘れ物したので行くついでに寄ってもらっていいですか?」
と聞かれても難なくOKし、そのことは一切気にしないと思う。でも実際にされたわけではないので、俺の想像力が足りてないだけかもしれない。
今は注意だけで済んでいるが、いつかは人間関係に大きな亀裂が入りそうな行為をしてしまいそうでとても怖い。感覚がずれているせいで、色々な人を怒らせてしまっている。友達ならまだいいが、同僚となると話は別。ましてや取引先にこのような失礼を働いたら大損害である。
自分がされて嫌なことは人にしないというのは簡単だが、自分がされて嫌ではないが、人が嫌だと思うことに対応するのはめちゃくちゃ難しい。自分の中でパターンを覚えないといけない。
よく「相手の視点に立つ」というが、その「相手の視点」も自分のフィルターを通すことでしか見ることができない。俺のフィルターは相手と合わなさすぎることが多い。俺の網目はガバガバだが、相手の網目はもっときめ細かい。俺の網目を細かくする作業が必要である。
そもそも社会とは
社会人3年目の雑魚が社会を語るのもおこがましいが、俺が考える、社会で上に立てる人間は、繊細な人間が多いと思う。
繊細であるがゆえ、細かいところに気が回り、ちょっとしたこともしっかりと処理を行い成果を上げる。そして繊細があるゆえ、人間関係も丁寧になる。そういう人が仕事のできる人だと思う。
つまり、社会は繊細な人に合わせなければならない。繊細な人の声が大きくなるのだ。仕事ができる人は、たくさんの知識がついているので、気になる箇所も一般の人より多い。
逆に言えば、大雑把で鈍感な人間は、社会から爪弾きにされる。大雑把なので仕事に漏れが多く、鈍感なため周りがどう思うかの想像力が欠如している。そんな人間が一般社会でやっていけるわけがない。あっという間に窓際部署だ。
気も利かない
「失礼」とよく言われる人間であるが、それと同じくらい「気が利かない」ともよく言われる。これは幼少期の頃から父親に永遠と言われ続けていたのでショックは小さかった。
これも理由は同じで、自分が相手側に立って同じようなことをされた時、別になんとも思わないからだ。どちらかというと申し訳なさが勝つくらいで「別に自分でできるし、気を遣ってやって貰ったところで特に変わらないなぁ」と思うことだらけである。
これも言われすぎて全然覚えていないので、自分の感覚の話をするが、飲み会で目上の人のグラスが複数個空いていた時は「何飲まれますか?」と聞かなければならない。店員にまとめて注文するためだ。これは目上の人に対して当たり前のマナーかもしれないが、俺はどっちかというと嫌な方である。
自分で飲むペースは自分で決めたいし、後輩から「何飲まれますか?」と聞かれたら急かされている感じがして落ち着かない。
「話に気を取られていて注文のタイミングを見失っているからその機会を与えている」というものあるかもしれない。そんな時は特に何を飲むかも決めていないので困る。優柔不断なタイプなのでより困る。
このレベルで、世間との感覚にギャップが生じている。この差を埋めていかなければならない。
この感覚が世間と一致している人は、新卒の頃から上手く付き合っていけるのだろう。
度々インターネットでは、マナー講師が掲げるとんでもマナーに「なんでそんな細かいとこまで気を遣わないといけないんだ!!」というツイートがバズるが、俺の中では毎日がとんでもマナーで、全員がとんでもマナー講師に見えている。周りと比べて基準が低すぎる気がするので、そこも合わせていかなければならない。
空気も読めない
失礼・気が利かない・空気が読めない、最悪の三拍子である。救いがあまりにもなさすぎる。というより、失礼で気の利かない人間が空気なんか読めるわけがない。当然の因果だ。
これも言われすぎて覚えていないので、直近の空気読めないエピソードを語ろうと思う。
同僚の息子が、以前箱根駅伝に出たという話になった。小さいころからマラソンをし、中・高でも結果を残し、大学でも選ばれるくらいまで頑張ったというような一通りの話をし、まぁまぁ盛り上がった後、ここからさらに盛り上がるであろう発話を俺がした。
「でも箱根駅伝って1月にタンクトップで短パンってめちゃくちゃ寒そうじゃないですか??」
そう放った瞬間、その場から空気が消え去った。物音ひとつなく、夜寝る時にしか聞こえてこない冷蔵庫のブーンという音が聞こえてくるくらい静まり返った。今まで感じたことないくらいスベり散らかした。その後に
「いや、そういう話はしてない」
「話の腰折るなよ」
「そういうとこだよ?」
と散々言われてしまった。未だになぜここまで言われてしまったのかよく分からない。逆に俺が言われたら「いやめっちゃ寒そうよな!!分かる!!」と盛り上がっていただろう。それを世間一般は許さない。なぜ許されていないのかは分からない。そのくらい空気が読めない。
空気が読めないというより、同じ空気を吸っていない気がする。周りの人間は酸素を主に吸って生活しているが、俺は二酸化炭素を吸って生活している。
周りが酸素不足で窒息しそうになっていても、俺は酸素がいらないのでピンピンしている。周りが窒息死する中、俺だけは無慈悲に生き残ってしまう。
実際に先に死ぬのは俺の方なので例えがかなり不適だが許してほしい。
自己中心的な考えである
こういう時によく言われる指摘としては「お前は自己中心的な考えだから周りのことが分かっていない」と言われる。ここは反論させてほしい。
全員自己中だから。自己中だから周りから嫌われないように、自分がされて嫌なことを相手にしないんだよ。自己中で周りから好かれたいから気が利くことをするんだよ。
俺も基本的にそうだ。それをだ、たまたま自分と周りの不幸が合っていただけで、たまたま自分と周りの幸せが合っていただけで、こっちだけが自己中心的だと言われる筋合いはないだろ。お前らだってそうなんだよ。みーーーーーーーーんな自己中なの!!常に自分が一番なの!!中心に置いてるものがお前たちと違うだけなの!!
言い訳くらいさせてくれ
ここまで見たまともな人間たちはこう思うだろう。
「そんなのただの言い訳だ。自分がやらない理由を並べているに過ぎない」
と。はっきり言わせてもらう。そうだ。めちゃくちゃ言い訳だ。もう周りに合わせる気力などない。生きづらいを受け入れてやっていくしかない。だとしても、だとしても言い訳はしたい。自分を理解してほしいという気持ちは少しばかりある。だからこうやってnoteに書いてるからね。
でも職場でそんなことをやったら誰にも受け入れられずに余計孤立していく。
この場所くらい惨めでダサく居させてくれ。職場でそんなことをしたら、ただでさえ無い居場所が余計なくなってしまう。
8時間も居場所とは思えない場所にいるのはとても苦しい。
とは言えお前たちが羨ましい
社会に適合できている人間がめちゃくちゃ羨ましい。自分の価値観とは違ってもそれを認識して周りに合わせられている人間が羨ましい。自分の幸せと周りの幸せが一致している人が羨ましい。
俺みたいな周りと合わず生きづらさを感じている人間は、クリエイティブな才能を持っている傾向が強い。だがそれは
クリエイティブ→生きづらい
であって、決して
生きづらい→クリエイティブ
ではない。俺は生きづらいにも関わらずなんの才能もない。あったとしても継続する才能もないし努力なんてもってのほか、気持ちがあったとしても目の前のサボりの誘惑に負けて全くやらない。
御託を並べてしまったが、要はただの無能だ。愛想が良いわけでもなければ仕事もできない、コミュニケーションが上手いわけでもなければ周りに合わせることもできない。
だからと言ってそれに甘んじて社会生活を送るわけにはいかない。年を重ねれば重ねるほど風当たりが強くなり、知らぬ間に腫れ物扱いをされ孤立する。こんなの一瞬である。
もう3年目にもなり、それなりの仕事が求められ、全然知らないということが許されなくなってきた。早く周りに合わせなければいけない。自分の幸せと他社の幸せを一致させたい。自分の深いと他者の不快を一致させたい。
でも光が見えない。ずっと間違いという暗闇の中で彷徨い続けている。 世の中に正解というものはないだろう。人の数だけ視点があるし、人の数だけ正解はある。
ただ、間違いというものはほとんどの人間に共通している。その間違いを間違いと認識せずに生きてしまっている。
どこで歪んだのだろう。なぜもっと早く気づけなかったのだろう。社会に出てから、より自分の悪さだけが浮き彫りになっている。
みんなそうだよ
こういうときによく挙げられる反論として「みんなそうだよ。みんな生き辛いよ」と言ってくる。先ほど、自己中心的な話の部分で同じようなことを述べてダブスタになってしまうがここではっきり言わせてほしい。
だから何??それで解決したと思ってる??辛さの量なんて誰にも分からないし、比較することもできない、自分の辛くないことが相手にとっては辛くて辛くて仕方ないかもしれない。
それをなぜ「みんな辛い」で片づけるの?それを言って「よーし、みんな辛いんだ!!頑張るぞ~~~」ってなると思ってる?ならないよ?そんなこと言われた日には突き放された気分にしかならないからね??
こっちの方が辛いよ
だから知らねぇって。お前が辛いから何なんだよ。何を根拠にそれを言ってるんだよ。俺が今辛いと思っているところは自分がとっくに通り過ぎてるからか?俺が辛いと思っているところはお前にとっては何ともないからか??それで何を測れるんだよ。
お前のものさしでこっちを測ろうとするな。お前が楽勝なものは俺に辛かったりするし、俺が楽勝なものはお前にとっては辛かったりする。
それでいいじゃん。それを気に入らないからって干渉してくんなよ。俺がいつお前に迷惑かけたんだよ。お前の方が経験が上かもしれない。俺の方が劣ってるかもしれない、気に入らないことがあるかもしれない。でもお前に迷惑かけてないだろ。
俺のことを思って言ってるというより、お前が気に入らないから指摘してるだけだろ。俺が悪いのは認めるから、悪いこと以外に日頃の不満をぶつけるのはやめてくれ。
それでも生きていくしかない
散々言い訳をしてきたが、それでも生きていくしかない。社会という地獄で耐えるしかない。環境を変えたところで根本が間違っているからどこに行っても同じような人間関係になり、仕事もおざなりになるのだろう。
特にやりたいこともないし、あっても努力をしないから仕事ができないまま孤立していくだろう。でも仕方ない。それが今の俺なんだから。
「金貰ってるんだから最低限の仕事はしろよ」
耳が痛いほど言われてきた。俺も最低限の仕事はしたい。でもできない。やろうと思ってもできない。忘れてたとかでもなく、やることすら過らない。その繰り返しでいつの間にかやらなくなっていた。もがくことすらできない。
できれば社会と関わらずに生きていきたいがそういうわけにも行かない。家賃も払わなければいけないし食費も必要。奨学金も返さなければいけないし車のローンもある。たくさん我慢をしなければならない。全員が自分のやりたいことだけで生きてしまったらあっという間に社会は終わっている。
ストレスを金に換えて、そのストレスを金で洗い流す。ずっとプラマイゼロみたいなことをやっているが、それが労働というものなのだろう。普通は嫌な仕事でもどこかにやりがいを見つけたりするのだろうが、俺はそんなもの一切ない。定時で退勤できて、給料も安定しているからやっているだけだ。
でも、居場所がない。出勤すれば自分が座る席はある。仕事もある。ただ「自分はここにいていい」という安心感は一切ない。ただただ摩耗して、ミスをするたびに周りからの冷たい視線を感じ、それに怯えまたミスを繰り返し、俺はいつ成長するのだろう。
人間は結局社会貢献を通して居場所を探しているのかもしれない。でも俺には社会貢献はできなさそうなので、これでは居場所は作れない。早く見つけたい。
社会人経験豊富な人から見たらこの文章は、甘えていて、世の中を舐めているクソガキの戯言にしか見えないだろう。それでも黙ってて見ていてほしい。どうしようもないクソガキも結構いるんだよということを知って貰えればそれだけでいい。
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