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「わたしのワンピース」をつくる
絵本『わたしのワンピース』と私
私が生まれたとき、母の知人が絵本をプレゼントしてくれたらしい。
らしい、というのは、それを知ったのがつい最近だからだ。幼いころの私は、誰かがくれた本だとか、そんなことには思いをいたすこともなく、ただ与えられたものを享受するだけだった。
絵本のタイトルは『わたしのワンピース』。西巻茅子さんの作品で、1969年の刊行以来、187万部(2023年現在)のロングセラーとなっている。
ある日、うさぎのところに空から1枚の白い布が降ってくる。うさぎは布でワンピースを縫い、それを着てうきうきとでかけていく。白いワンピースは、でかけた先々で出会う風景の模様に変わっていく。
本を贈られて40年たった今、この作品を読んでみると、ファンタジーの物語を今なお書きつづけている私の、「ファンタジー」の根源だと感じる。
「三つ子の魂百まで」は本当だなぁ。
ひとつめのきっかけ
きっかけのひとつは、母だった。
母は日ごろからワンピースをよくつくる。いつも同じ型紙のワンピースをつくって、部屋着にしている。高校時代、家庭科の先生と相性がよかったらしく、裁縫の基礎が血肉になっている。
私はといえば、家庭科の先生に特に恨みもないが、高校時代まったく裁縫に興味がなく、課題のブラウスは途中から母に縫ってもらい、マフラーは祖母に編んでもらった。
小学校のときは、いいかげんにフェルトを縫ってぬいぐるみもどきをつくったりしたのだが、思うさまつくっていただけで、基礎の「き」もなかった。
だから、いい歳になって何か繕う必要に迫られても、いつも母にやってもらっていた。
ある日、母が「角野栄子さんのワンピースが気になる」と言いだした。
私は興味もなく聞き流したが、とにかく母が図書館で型紙つきの本を物色しているのは見ていた。
この本、角野栄子さんの「ワンピースの設計図」なるもの(特徴のまとめのような図)は載っているのだが、すぐに同じワンピースをつくれる型紙がついているわけではない。裁縫の本ではなく、エッセイ的な本なのである。
「いい型紙をみつけたよ。これが角野栄子さんのワンピースに近いと思う」
後日、こう言いだしたときも聞き流し、完成品を「見て見て」と持ってきたときも聞き流していた。けれど、そのときは気が向いて、私も試着させてもらうことにした。
母が選んだ布地は、幼稚園児のスモッグのような鳥の模様で、いい年齢の今、それを着たいとは夢にも思わない柄だった(なぜか母には似合うのだけれど)。
しかし、試着した瞬間、えもいわれぬ感情に襲われた。
ゆったりしてどこも締めつけがないかたち。
それでいて、裾がひらっと動いてかわいい。
同時に、初めての感覚に貫かれた。
私もワンピースをつくりたい。自分の好きな布で。
ふたつめのきっかけ
ほぼ時を同じくして、Eテレの番組「てれび絵本」で絵本『わたしのワンピース』が放映された。
声に独特な響きのある歌手・CHARAによる朗読だった。
たまたまEテレの番組表を眺めていて『わたしのワンピース』の文字に気づいた私は、気になったので録画しておいた。このとき、『わたしのワンピース』という絵本を過去に読んだことは覚えていたが、内容は一切覚えていなかった。
番組を見て、大人になった今の眼で『わたしのワンピース』の内容を知り、私は驚いた。
論理も何もなく、ただ想像の膨らむままに進んでいくファンタジーに、私がいま小説で書いているファンタジーの根源があるように思われた。
緻密な世界設定のつくりこみだとか、リアリティだとか、ファンタジーの創作技法にはいろいろなセオリーがあるけれど、私はそのどれにもあまり興味がない。
私が好きなのは、ざっくりと世界設定をつくったあと、小説本文を書き進めながら、自分が思っていたよりもその世界が広いことに気づく瞬間だ。これは、のびのびとした自由な発想が肝であって、論理とか首尾一貫とかではないのである。
『わたしのワンピース』の白い布地のワンピースのうちに、無限に広がっていく世界。
生まれたときにその本をもらっていたことは、番組を見たときに知った。
私は自分の根源にあるものを知りたくて、たぶんとっくの昔にボロボロになって捨ててしまっただろう絵本を、また買った。ロングセラーの絵本は、最寄り駅のやや寂れた書店にも当然のように置いてあり、今も自室のデスクの上にある。
「わたしのワンピース」をつくる
偶然やってきたふたつのきっかけ。
それは、裁縫とは無縁だった生活を一変させた。
私は母と一緒に近場の布地屋さんに向かった。興味をもって布地屋さんに入ったことがほぼないので、右も左もわからないまま、棚から布を引っ張りだしては自分に似合うかどうか当てた。
その中から、白地に青のストライプのリネンを選びだした。
布地屋さんは「水通し」してくださいね、と言ってくれたが、そもそも水通しが何なのかすら知らない。
リネン生地は縫う前に水通しと呼ばれる下処理を施す必要があるとのことで、とにかく母に言われるまま、買ったばかりの布を水に浸け、干した。
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乾いた布地、糸、ボタン1つ、母がみつけだした型紙の本。これで準備は万端。あとは作業するのみ、と本を開いたが、手順を見ても何からどう手をつけてよいのかさっぱりだった。
その後、何度かやってみてわかったが、意外と本は裁縫をやりつけた人たちにとって当たり前のことを、当たり前のように省略してくる。本当の初心者などお呼びでないのか、昔あった料理本のように、その本を出している会社が開催する料理教室で習う前提でつくられているのか。真偽のほどは不明だが、とにかくちんぷんかんぷんだった。
幸い、我が家には何枚ものワンピースを自分でつくってきた母がいる。
そこで、最初の1枚は母が見本としてつくってくれることになった。
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できあがったのが、「わたしのワンピース1号」(布調達:下北沢もめんやまきの)である。2022年4月21日のことだった。布を水通ししたのが16日で、母はたった5日で縫いあげてくれた。
1号のできあがった翌日、いよいよ自分でワンピースを縫うべく、次の布を買いにでかけた。
好みで選ぶとストライプのリネンばかり手にとりそうなので、あまり普段着ないような布、それでいて失敗してもダメージが少ない、つまり安価な布を選んだ。
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服の大半をモンベル(登山ウェア)が占める私にとって、今までまったく無縁だった「水玉模様」が生活に入りこんだ瞬間である。
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このワンピース「わたしのワンピース2号」(布調達:下北沢もめんやまきの)は、私単独でつくったデビュー作にして、どこへ行くにも着ていく殿堂入りワンピースになった。
とはいえ、当然、見本の1号があったからといって、手順を全部理解できたわけではなく、まさに手とり足とり母に教えてもらい、やっと完成に漕ぎつけた。
ちなみに、この2号では、ぼんやりしていてあらぬ場所にハサミで穴を開けるという失敗をしでかし、リボン的なものを縫いつけてカバーしたのはいい思い出だ。
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なかなかかわいくリカバーできたと思うが、服をつくっている最中の布に意味なく穴を開けたことの絶望、取り返しのつかなさは、ハサミをもっているときは慎重にしないといけないという裁縫の常識を私の骨身に叩きこんだ。
2号の水玉ワンピースが思いのほかうまくいったので気をよくした私は、3号も自分になじみのない路線に行くことにした。
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今度は「花柄」である(「わたしのワンピース3号」布調達:下北沢もめんやまきの)。
今まで着たことがなかっただけで、案外着られる可能性もあるのではないか? と思ってチャレンジしたわけだが、結論をいうとこれがもう似合わなかった。
初心者が苦労して裁縫に勤しみ、苦労の果てに手に入れたのが似合わないワンピース……残念ながら、人生そういうこともある。
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4号は、3号の反省を経て、清楚な柄の花柄ワンピース(「わたしのワンピース4号」布調達:横浜スワニー)にしてみた。
3号は花の主張が激しかったからダメだったんだ、清楚な柄なら似合うのでは? ということでつくり、一時的にはまずまず気に入っていたのだが、ご覧のとおりわりと薄い布で、下着が透けそうで落ちつかず、やがて着なくなった。
よい服の条件、愛用したい服の条件というのは、いろいろな要素があるものだ。
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5号、このへんになってくるとだいぶ手慣れてきて、縫い目などのクオリティもだいぶ上がってきた。自分の技術的な出来栄えとしては、おそらくこの5号が最高だっただろう(過去形)。
もう花柄には懲りたため、リネンに舞い戻ってきた。もう水通しも手慣れたものだ。好きな要素しかないこの「わたしのワンピース5号」(布調達:吉祥寺ユザワヤ)は、2号に次ぐお気に入りになった。
5枚やりきると、今度はなぜか人のためにつくってみたくなった。
ちょっとしたおこづかいと材料費を出してもらい、「たにんのワンピース1号」製作を引き受けることに。
初めてよそさまと連れ立ってユザワヤに行き、その人に似合う布地を物色するということをした。印象深いのは、その人こと長年レッスンしてもらっている歌の先生は、驚くほど似合う布が少ないということだ。
わりと何でもステキに着こなす人のように思っていたのだが、それは苦労して厳選した結果だったらしく、なんとあててもあてても着られそうな布がないという事態になった。
あまりに似合う布がみつからないので疲れる、というこれまた初めての経験を経て、ようやくたった1種類、布をみつけだした。これを、その年の歌の発表会までにワンピースに仕立てる、というのがミッションとなった。
ところでそのころ、私は長い無職期間を終えて、再就職したばかりだった。
2022年8月に再就職し、10月に歌の発表会。仕事は楽しいが、まだ慣れていない職場で、ヨロヨロしながらワンピースを縫い進め、「疲れのあまり袖がつけられない」という情けない事態に陥りつつ、最後は伝家の宝刀・母の手を使ってなんとか発表会に間に合わせた。
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無事、発表会に着ていただけてよかったよかった。
とはいえ、再就職したばかりのときにバタバタしすぎて疲れた私は、「たにんのワンピース1号」(布調達:吉祥寺ユザワヤ)を最後に、ワンピースづくりを停止したのだった。
仕事はデスクワークなので肩がこる、ワンピースづくりも肩がこるんだよ……! 結果的に、無職で暇を持て余していた人の趣味、という様相を呈した。
ワンピース狂いの日々を振り返って
あとから思うと、ワンピースづくりに勤しんだのは、2022年4月から10月までのたった半年だった。
半年で5枚のワンピースを縫いあげ、最後は曲がりなりにも人のためにつくるところまでいった。思いだすだに充実していたと思う。
最近は手をつけられていないものの、私はワンピースづくりを完全にやめたわけではない。
今でもまだ新しいワンピースをつくりたいし、別の型紙にも挑戦したいし、現にストック布も2種ほど待機している。2022年冬に着たいと思って入手した冬の生地は、中途半端に切られた状態で、今も裁縫部屋(家の座敷を勝手に裁縫部屋にした)の床に転がっている。
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最後に、今までこれだけ楽しませてくれて、これからも楽しませてくれるだろう、型紙の本について。
この本の「B2」ワンピースの型紙こそ、母が「角野栄子さんのワンピースに似ている」といってみつけてきたものだ。
この型紙でつくるワンピースには、いくつもの魅力がある。
裁縫初心者でも挑戦可能なシンプルなかたち(私は完全にひとりではできなかったが)。
襟ぐり、脇などがゆったりしていて、体を締めつけない。このワンピースにレギンスとスニーカーをはいて、どこにでもでかけられる。ちょっとおしゃれな場所でも、近所でも、どちらでもOK。
裾が絶妙にひらっとしてかわいい。でもそこに手間がかかるわけではない。
布を変えれば雰囲気が変わるから、いくらでもつくりたくなる。まさに『わたしのワンピース』の世界。
出会って1年以上経つが、今でもオススメしたい型紙である。
いろいろな人が、この型紙を使ってそれぞれの好きな布でワンピースを仕立てて一堂に会したらすてきだなぁ……などと妄想したりする。「わたしのワンピース大会」どうですか? お子さんだけでなく大人も、というか大人がつくって大人が着るのもいいんではないですか?
1枚の型紙から無限にふくらむ「ファンタジー」
母が、角野栄子さんのワンピースをきっかけに出会った、ワンピースの型紙。
この1枚の型紙から、ストライプリネン、水玉、花柄(大)、花柄(清楚)、無地リネン、小花柄と、同じ型紙とは思えないほど、さまざまな表情のワンピースが生まれた。
まさしく、『わたしのワンピース』が描いたファンタジーのように、現実にも1枚の型紙に無限の世界が広がっていた。