なりたかった大学生。
「あんたの学費、妹の福祉手当からお金から出してたんやから。妹に感謝しなさいよ。」母に言われた。
「あんたの学費も生活費も4年も面倒見れない」と言われたことがきっかけで、大学進学をあきらめ専門学校に進んだ。
今思えば、県立大学に入っていれば専門学校に行くより安かったのになぁと思う。両親は全くそのあたりが詳しくなかった。
無知であることが損をする。社会に出て最初に学んだことだ。
そして、冒頭に戻る。学費が妹の福祉手当から補われていた話。
私は、妹が疎ましかった。
LINEを使って朝8時過ぎに一通目が来る。「しごとにいきましたか」朝一でこれを見るとイラっとするのだ。どんなにしんどくても、怒られるとわかっていても仕事には行かなければならない。しかも8時には始業だ。のんきにLINE見てる暇なんてない。
昼休憩になり私が「仕事してるよ」と返すと「仕事中はLINEだめです。」と返ってくる。おそらく私が「仕事行ったよ、休憩中」と返せば「お疲れ様です。」と返ってきただろう。文をそのままにしか受け取れないので、仕事中にLINEをしている。と思っているのだ。
毎日、毎日こんなやり取りをしていると疲れる。ある日母親に「LINE送ってこないように言っといて」というと母から「ちょっとぐらい良いじゃない」と諭された。それで怒りが湧き上がってつい言ってしまったのだ。
「どうせ、私が妹の世話しないといけないんでしょう。今私が仕事してお金貯めてるのは、妹が施設に入った時に賄うお金が心配だから働いてるの。」
その返しが「あんたの学費、妹の福祉手当からお金から出してたんやから。妹に感謝しなさいよ。」だった。
衝撃だった。今まで妹を世話してきたけど世話になったなんて一度も思っていなかったからだ。
その日から「妹が障がい者でなければ良かったのに。」とばかり思っていた事に「妹が障がい者だから進学できた。」が加わったのだ。
進学先で唯一無二の友人を得たのも、尊敬できる先生に出会えたのもすべて妹のおかげだったのだ。
それ以来私は、今まで妹のせいにしてきたことも実は「妹が障がい者でなくても、現実は変わらなかった」のではと思うことがある。
「妹が障がい者でなければ、買い物が怖くなかったのに」買い物ぐらいと思う人もいると思うが、買い物は日常生活だから困る。小さい子供は無邪気だから妹を指さして変だという。すると母親は言う「指をさしたら駄目よ、かわいそうでしょ」かわいそうが何を意味するのか分からないが「変でかわいそうな家族」になるのだ。それが何度も続くと買い物が憂鬱になるのだ。
しかし、実際指さしてきた家族も50人ぐらいいるスーパーのたった1組だ。50人に1人ぐらい性格的に合わない人間は世の中に存在するので仮に妹が障がい者でなくても遭遇してた苦手な人と思うこともできる。
最近思えるようになってきたことなので、今でもたまに「もし妹が障がい者でなければ良かったのに」と思うことがある。20年近く思い込んできた思考回路のスイッチを変えるのは複雑でたまにショートすることもある。
思い込みでいい方に変わるなら別にいいかなと思う最近です。
あと、最近大学に行けなかったことを素直に嫉妬だったと認めたら少しだけ気が楽になりました。
久しぶりに書きたいことが書けました。読んでくださりありがとうございました。
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