『いつのまにか70日』
がんが肝臓に転移して、『がんかわいがり』をはじめて70日が経った。
転移=ステージ4なのですが、末期という訳ではない。がんの自覚症状はない。70日前から化学療法を始めて、主治医も変わった。外科から化学療法センターのほうに移ったからだ。で、私はなんの為に『がんかわいがり』を始めたのか忘れていた。何だったのだろうか。
ただ、なんとなく『がんかわいがり』をしている。そんなテキトーな患者が此処にいる。肝臓の大小6個のがんは、結局どうするのか忘れている。その辺の話を主治医と詰め忘れた気がする。『がんかわいがり』無しで、ほったらかしてしまうと、だいたい2年半で死ぬのか。『がんかわいがり』をやっても、だいたい2年半で死ぬのか、どっちだったかも忘れている。まあ、いいか。そんな人もいる。文系の人間とはそんなもんだ。
世の中には、『死』というものにたいして、酷く鈍感な人間がいる。それが、私なのだ。が、それが他者にたいして攻撃的に振る舞うきっかけになってしまう人間もいる。障害者施設などの暴力事件のニュースを見るたび、適性試験などはないのだろうかと思ってしまう。人類は、攻撃的だから遺伝子を繋いでこれた。また、集団生活を受け入れることが出来た。これもまた、人類が繁栄を手に入れた理由のひとつだ。そして、他者にたいして依存できる。これも繁栄の理由だろう。私などは依存しまくりだ。人間の宿命には色々事情があるのだ。あまりに悲しい事情は終わりにしたい。
何処かで、攻撃的でない人間こそが繁栄する。そういう『パラダイムシフト』が必要なのだろう。ところで、『パラダイムシフト』と言う語を、はじめて使ってみたのだが、使い方として合っているのだろうか。今回は、「合っているような気がする」に賭けてみた。
私は、ただただ、のんべんだらりとした、49歳のすこし早い余生を過ごせれば良い。痛いのは嫌いだ。がん終末期が痛いのなら、法律の範囲内の安楽死のぎりぎりのところで、逝かせて欲しいものだ。ぎりぎりまでエッセイは書こう。