見出し画像

緊急レポート けんけんの東欧見聞録② ベラルーシ編 ~日常と戦争の狭間で~

■はじめに

はじめまして、中野絢斗と申します。
一般財団法人日本青年館さまのご厚意で、今回寄稿させていただく機会を頂戴しました。あらためて感謝申し上げます。

2022年の今、ロシア軍がウクライナに軍事侵攻し、世界全体に激震が走っています。私は学生時代からずっと、日本とロシア、ウクライナ、ベラルーシなど東欧諸国とのより良い未来をめざし、活動をしてきました。

そんな自分の想いとは裏腹に、大好きな国が大好きな国を侵略し、また多くの友人知人が現地で困難な生活を強いられています。日本国内においても、僕の大好きな国々がネガティブなイメージで広まり、誤った先入観を持たれるようになってしまいました。本当に悲しい限りです。

どうにか、僕の大好きな国々を、大好きな日常の景色を、大好きな方々のその暮らしを、少しでも多くの方々に知ってもらいたい。そのように考えていたところ、ちょうどこのような絶好の機会をいただけました。本稿ではウクライナやロシア、ベラルーシの「日常」を、そしてその魅力を伝えていけたらと思っています。

今回は第二弾として、「ベラルーシ」をご紹介します。
第一弾の「ウクライナ編」はこちらからどうぞ。

1,ベラルーシの「日常」

「ベラルーシ」という国をご存じだった方はどれほどいるでしょうか。
ロシアやウクライナなどに挟まれた国で、かつてのソビエト連邦時代は「白ロシア」という名前で知られていました。
一説には、かつてこの地域一帯がモンゴルの支配を受けた際に(タタールのくびき)、方角を色で表す五行思想が持ち込まれ、「白ルーシ」と呼ばれたことが由来ともいわれています。

 こちらは、首都ミンスクにそびえたつ、「ミンスクゲート」と呼ばれる建物です。

画像1

レーニン像をはじめとして、ソビエト時代の社会主義の雰囲気が色濃く残っているのが特徴です。「ソビエト・テーマパーク」という異名があるほど。

画像2

ミンスクの地下鉄の駅構内の様子。共産主義のシンボルである「鎌と槌」のデザインが残っているのがわかります。

画像3

こちらはケンタッキーです。社会主義建築を象徴するような彫像のもとに、資本主義を象徴するケンタッキーが入居するという、まさに冷戦以降の平和な世界情勢を表すかのような建物です。

画像4

 マクドナルドもこのような外観です。ミンスクの街並みに溶け込んでいますね。ちなみにベラルーシの人々はマクドナルドやケンタッキーが老若男女関係なく大好きで、本当にいつも賑わっています。

画像5

今でこそそんなに愛されているマクドナルドやケンタッキーですが、社会主義時代は西側諸国の文化はほとんど流入してきませんでした。こちらは、コカ・コーラの代用品として開発された「ベラ・コーラ」。本家(?)よりも甘い味がします。

画像6


一方で、ミンスクには近代的な建築物も多いです。
この特徴的なダイヤモンドの形をした建物は、なんと「ベラルーシ国立図書館」。カフェも併設されていて、夜中にはライトアップされます。

画像7

こちらはベラルーシ国立大学。私も留学していた大学です。

画像8

ミンスクは、社会主義時代の街並みと近代的な建物が融合する、どこか不思議で、でも居心地の良い都市でした。


首都ミンスクから離れ、地方都市へと行くと雰囲気はガラリと変わります。

こちらは世界遺産の「ミール城」。ベラルーシは良くも悪くも”観光地化”されていないので、世界遺産の街でも時間がゆったりと流れています。

画像9

城の内部はこのような感じ。私は詳しくないのですが、「進撃の巨人」の世界観に似ていると、日本の漫画が好きなベラルーシ人の友人は言っていました。

画像10

こちらは同じく世界遺産のネスヴィジ城。これまたのどかで、風光明媚な場所です。映画に出てきそうな雰囲気ですね。

画像11

こちらは、ウクライナ国境との近くにあるホイニキという小さな村。

画像12

当たり前のように、生活のなかで馬が使われています。

画像13

首都ミンスクと、これら地方都市が見せてくれる景色。いずれも美しく、ベラルーシが歩んできた歴史や文化、人々の生活が詰め込まれています。

2, 政権と人々

本稿を記すにあたって、政治的な話題は極力控えているのですが、ベラルーシはとある人物を抜きには語れません。その人物とは、アレクサンドル・ルカシェンコ。30年以上にわたって、ベラルーシの指導者として君臨してきました(写真はWikipediaから拝借)。

画像14ルカシェンコ

 良く言えば、巧みな外交手腕で、ロシアやEU、中国、アメリカなどの大国の間でバランスを取りながら存在感を発揮してきたほか、安定したベラルーシ社会を長きにわたって築き上げたといえるでしょう。

一方で、その安定の裏には言論弾圧や人権弾圧が存在し、国際社会から問題視されてきました。また、新型コロナウイルスに対しても、「トラクターの運転をしていれば治る」「アイスホッケーをしていれば感染しない」「ウォッカを飲めば治る」など、多くの迷言を残しています。

2020年に行われた大統領選挙では、有力な野党候補者がほぼ全員立候補を認められず、逮捕された活動家の夫にかわってスベトラーナ・チハノフスカヤ氏が立候補をしました。野党陣営は結集して彼女を支援するも、結果はルカシェンコが80%を獲得し、彼女はたった10%の票しか取れずというものに。

ただ、開票箱の票を入れ替える等の不正の告発が相次ぎ、過去最大規模の抗議活動が広がりました。チハノフスカヤ氏は命の危険を感じて隣国リトアニアに亡命し、自身が正当な大統領であると名乗っています。

 ベラルーシの国旗とされるのが、一般的にはこちらのものです。ただ、この国旗はルカシェンコ政権を象徴するものとされ、使わない方々も増えてきています。

画像15ベラルーシ国旗

自由や民主的なベラルーシを求める人々の間では、赤と白の旗が掲げられます。こちらはソビエト時代よりも以前のベラルーシ人民共和国の国旗であり、反体制派のシンボルとして利用されています。ロシアのウクライナへの軍事侵攻をめぐる抗議集会でも、頻繁にこの赤白旗が掲げられている姿が目立ちます。

画像16人民共和国

日本ではあまり触れられることがないのですが、ベラルーシのこういった事情を知ったうえだと、ニュース等への見方もまた変わってくるのではないでしょうか。

3, ベラルーシと日本の関係

紹介してきたベラルーシですが、意外にも日本とはとても縁の深い国でもあります。

こちらは首都ミンスクの中心部にある「センダイ公園」。その名前の通り、仙台市との友好を記念して造られた公園で、桜の木や石灯籠まであります。

画像17せんだい公園

桜が咲く時期になると、日本人だけでなくベラルーシの方々もお花見にきていました。

画像17さくら

ベラルーシ議会の横にある聖シモン・聖エレーナ教会には、日本国旗が掲げられ、長崎・浦上天主堂の鐘のレプリカが置かれています。

画像19鐘

さらには、広島や長崎、福島の土が入ったカプセルも。

画像20カプセル

実はベラルーシは、チェルノブイリ原発事故の影響で国土の7割近くが汚染されたとも言われており、いまだに汚染が激しく立ち入りが制限されている地域もあります。

このような経緯から、広島・長崎・福島を経験した日本に対して、ベラルーシの方々は常に連帯をしてくださっています。ベラルーシの学校と、福島県をはじめとする被災地の学校との相互交流も盛んで、お互いに研修旅行として行き来する関係となっています。

実は先ほど紹介した「ホイニキ」という地域こそ、原発事故の影響で汚染が激しかったところであり、立ち入り制限区域に今でも隣接しています。小学校には放射能クラブというクラブ活動があり、「キノコは汚染が激しくて危ない」といった知識を幼少期から覚えさせられるとか。

画像21村の風景

いま、そのホイニキ周辺の地域には、ロシア軍が展開していると報道されています。見渡す限り広がっていた美しい草原や村々に、ウクライナに侵攻するための軍隊が駐留していると思うと言葉がありません。

4,最後に

今回はベラルーシをご紹介してきました。
正直、ベラルーシの知名度は日本ではかなり低かったのではないでしょうか。たまに話題になったかと思えば、東京オリンピックでベラルーシの選手が亡命したり、今回の戦争であったり、ネガティブな話題でしかニュースにならないのは非常に悲しいものです。

自分も留学生として現地で暮らすまで、正直ポジティブな印象は持っていませんでした。ただ実際に暮らしてみると、そこにはニュースからは決して見えてこない、ベラルーシの人々の「日常」があり、気がつけばその「日常」を愛している自分がいました。

ロシアのウクライナへの侵略戦争は、また同時にベラルーシの方々の「日常」も破壊しつつあります。ベラルーシのあの「日常」に、またいつの日か自分が混ざれることを夢見ながら、一刻も早い平和が訪れることを心から祈ります。

画像22夕焼け

■筆者紹介:中野絢斗
1997年、神奈川県生まれ。日本とウクライナ、ロシア、ベラルーシの真の友好関係をめざして活動中。2019年にベラルーシ国立大学国際関係学部に留学。そのほか、2018年度日露学生交流事業学生総代表、北方四島交流事業訪問団、北方領土問題対策協会学生研究会代表、早稲田大学東欧同好会代表などを歴任。

いいなと思ったら応援しよう!