【コラム】こども"家庭"庁の罠
先日のミーティングで、メンバー間でこども家庭庁について議論をしました。
こども家庭庁は、4月から新たに始動した省庁で、子どもの視点に立って子どもの権利を守ることを目的としていますが、設立前からその名前が付いた経緯が批判されていました。
こども家庭庁の由来
なぜ批判されているのか?
それは元々は「こども庁」の予定だったものに「家庭」を付け加えたからです。
私たちが行っているオンライン署名(奨学金減免の条件に「出産」を課す政策に反対します #権利を条件付きにするな )では、奨学金減免を人質に取り、出産をさせようとする政策案に反対していますが、奨学金の制度でも保証人に家族の名前を必要とすることが多く、正に、家族に奨学金返済を理由に結婚・出産を迫られるようなケースが容易に想像できます。
また、生活保護の申請時に三親等以内の親族に連絡がいくため、親族との関係が良くなかったり、既に絶縁している人などは、自身の現状を知られることを避けるために生活が苦しくても生活保護を申請しない(できない)ということもあり、大学生はそもそも生活保護の対象外なので、学費や生活費をすべて自分で稼ぎながら大学に通うしかありません。
なお、年金受給者には、結婚して二人で暮らしているから2人分の年金でなんとか生活できるが、1人分だけだと生きていけないという方もいます。
「家族」単位の弊害
このように、国民一人一人ではなく、家族を一つの単位として考えることで、日本の社会保障は個人が自立して生きていけるような建付けになっていないのです。正に、自助・共助で自己に責任を押し付ける構造であり、その構造の中で特に犠牲となるのは、女性や女児です。家族を基本単位とすることは、特に女性や女児が家庭の中で家事や育児などの無償のケア労働を担わされ、経済的に自立していないことなどを理由に家庭内(性)暴力の被害者になり、最終的には子どもを産まないという選択肢を奪われ、子どもを産み育てることにこそ女性として生きる人生の価値があると、あらゆる方面から圧力を受け、女性はまた家庭に閉じ込められ、無償のケアをするという悪循環の温床です。
誰も犠牲にしない権利保障を
家族の在り方も多様化しつつある今、何をもって家族と呼ぶのか、という点も考えるべきです。そもそも男女の結婚しか認められていなかったり、夫婦別姓の選択肢もなかったりと、制度整備が遅れている中で、「結婚した男女とその子ども」だけが制度の恩恵を受けられるというのは全くもって不公平です。子ども家庭庁という名前が付いた経緯にも、ケアにお金をかけたくない、という思惑が見え透いていますが、私たちはそういった個人の尊厳を奪うようなシステム一つ一つに怒りを示す必要があります。
私たちは、誰かがその人であるがゆえに何らかの自由が奪われるような社会を許してはいけません。もちろん、子どもの視点で子どもの権利を守る取り組みは必要不可欠ですが、誰かの犠牲の上に成り立つ権利では誰も得しないということを、これからも訴え続けていかないといけません。
記事:学生ユニオン 冨永