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外面の社交性は完璧なんだけど、インターネットの波に疲れてしまう症状について。

今日、久しぶりに「綺麗な空気吸ってる!」を実感した。ヘイズの季節が終わったっぽい。だいたい約3週間。文字にすればそれほど長くないのだけど振り返ると長かった。

息子のビルドキャンプが12月に中止になった。「ビルドキャンプ」とは何か。新学年になって、友達同士より分かり合うためにみんなでオリエンテーリングをしたりゲームをしたりするらしい。1学年も少ないし、中学生だし、元々みんな仲ええやん(息子の学年は比較的穏やか)。このキャンプ、必要?という気持ちもあったが、キャンプが12月に延期になったと聞いて「その時何を新たに積み上げるの。。?」と多くの親が思ったと思う。知らんけど。

色々なプロジェクトに関わっているおかげで私自身は日々忙しい。ただ、現在は基本ネットでの交流を基盤にプロジェクトに関わっているので個人的にはすごく楽である。そう私は気が付いてしまった。

俺って社交的コミュ障なんだよね。

「社交的コミュ障?」このアンティ何言ってるの?と思う人もいるだろう。ここで私は声を大にして言いたい。世の中には「社交的コミュ障」という症状があることを。

具体的症状は簡単だ。

実際の交流はできる、むしろうまい。人前で話すこととか、実際、とても、上手い。会話も上手だ。時々ギャグも言う。つまり、社交的だ。でも、でも、帰宅すると、もう立ち上がれないくらいの疲労感。あの時あんなこと言わなきゃよかった。あの時あんな顔しなきゃよかった。いや、そもそも行かなきゃよかった。いや、そもそも生きててごめんなさい。。。。撃沈。

なんてのが、社交的コミュ障。

私自身は現在8割英語圏で生活してるので、まず「交流そのものに疲れる」。そしてたまにこの社交性を発動せなあかん時があって、その時がね、マジでね、疲れる。。。

たまに、同じタイプの社交的コミュ障の人とは同じ匂いを感じるのでありがたい。彼女たちもきっと帰ったら疲れてるんだろうな。。。とかみんな泥のように眠ってくれ。。。とか願わずにはいられない。

仲間とか、交流をずっと続けられる人って純粋にすごいなって思う。常に人に会い続けられる人。それが苦じゃない人ってすごい。(まあ人からは何か食べたいって思って10分くらいで数品作るのすごいって言われますが無意識にある程度できちゃう。。なので人によって「できること」って違うんだよねってことで)

インターネットってほんとすごい力持ってる。インターネットの世界で現実の世界との作法が使える時代がやってきた。だから、現実世界のように逆らえないスピードに遭遇するときもある。インターネットの荒波も辛い。

みんな、なんでそんなに交流を続けられるの?

こうやって孤独な人は孤独を極めていくのかもしれん。そしてそこから何かがまた産まれると信じている。