日本式管理職は小学校の先生からGTOを目指す時期が来たのではないか。
日本式の管理職って小学校の先生みたい。そりゃオーバーワークやわ。
画像はこちらからお借りしました。
日経COMEMOの企画、最近攻めてますね。良き傾向です。
ちなみにこのタイプのレゴは子供が飽きやすいので床に放置されることが多いです。知らずに踏むとめっちゃ痛いです。レゴはきちんと片付けましょう。
東南アジアに住んで7年目突入の私。最近の私は日本式の会社組織に触れていません。なので日経COMEMOの記事を読む度にとてもノスタルジックな気分になります。東京ラブストーリを思い出します。もちろん赤名リカは鈴木保奈美さんです。
日本の会社組織を日経新聞の記事などで外から見るようになって感じたことがあります。それは
「日本の現場管理職は仕事として定義されてること以外にやらなきゃいけないことが多すぎる」
英語圏の組織でプロジェクトに参加したとき、驚いたことがあります。それは「何をいつまでどの報酬で行うか契約書で明記される」こと。これ以外に依頼される事案が発生した際は基本的に契約書が修正されるまでは事案は動きません。「状況をみてやってあげる」的な配慮は皆無。逆に止められます。
日本式の会社組織における「状況を相互に配慮する感覚」は「メンバーシップ雇用形態において求められる基礎的所作」なのかもしれません。まさに必要故なんでしょうけど、これって現状の社会では相互にタスクが大量に発生してしまう状況を産んでいる感じがします。そして、これってどこかで既視感あるなと思ってまして、考えてみたら。。。
「日本の小学校の先生!」
日本の小学校の先生って「メンバーシップ型雇用」における管理職にすごく似てるのではないでしょうか。「主タスクが過度に多い」、「主タスクおいて現場が多い割には決定権がない」などはまさに一緒。
「日本の小学校は日本式組織の所属の学び方を覚える場所」と唱える方もおられます。その仮説はこのような日本式企業形態に通じているのかも。思い当たる節が沢山あります。そしてその仮説をなぞれば
「日本の小学校形式をジョブ型形式に近づければ日本の管理職も変われる?」
プロジェクトにおいてマネージメントは絶対に必要です。同時に同じ形式にしがみつくことはない。何故なら状況は常に変わっているから。「ジョブ型雇用以外が何故通用するの?」と純粋に疑問を感じる層は確実に増えていきます。
今回のお題記事にもこのような引用がありました。
また、一部の会社では、ニューノーマルにあわせて、マネジメントスタイルを変えようとしている会社も出始めています。管理職にプレーイングを求めるのではなく、マネジメント、すなわち組織を率いて成果を出すことを求めるように変わろうとしているのです。
テレワーク(っていうかこの言い方にそもそも前世代を感じる)が働き方を変えるきっかけになったとしたら、その波には乗ったほうがいい。全てをマネージメントを強要される小学校の先生から各科目をそれぞれ専門的に管理する高校の先生に変貌するチャンスです。
日本の管理職の皆さんはGTOを見直しましょう。POISONを歌おう。
言いたいこと言えないこんな世の中じゃ POISON
俺は俺を騙すことなく生きてゆく
見直したんですが、いい歌詞ですね!