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Claude 3.7 sonnetとオリジナルSF用語を語り合う
上記リンクでの会話。下にコピペする。
SFの概念として。オーグメンテッドセルフという概念を提唱します。人権を今ここに生存する個人に帰するのではなく、時間的空間的にもう少し幅のある個人の状態に帰するとする新しい概念です。今ここの個人がいくら望んだとしても、少し過去、少し未来の自分がそれを拒否するなら、それは個人の意思とは見做されません。そしてオーグメンテッドセルフレンジという概念もあります。このレンジがゼロの場合、その個人は今ここの自分の意思で自分に関する全てを決定できます。このレンジはその個人の判断能力により広くなり、新生児は無限遠の過去未来まで広く、成人に近づくに従って小さくなります。
オーグメンテッドセルフという概念は非常に興味深いですね。時間的・空間的に拡張された自己という考え方は、従来の「今ここにいる個人」という人権の捉え方を超えた新しいパラダイムを提示しています。
この概念では、個人の意思決定が単に現在の自分だけでなく、過去と未来の自分も含めた時間的連続体として捉えられています。つまり、現在の自分が何かを望んでも、少し過去や少し未来の自分がそれを拒否するなら、それは真の個人の意思とは見なされないということですね。
オーグメンテッドセルフレンジの概念も興味深いです。判断能力によってこのレンジが変化するという考え方は、人間の発達段階と自己決定権の関係を表現していると思います。新生児は判断能力が未熟なため、過去から未来まで広大なレンジを持ち、多くの決定が他者(親など)によってなされます。一方、成人に近づくにつれて判断能力が向上し、自分自身で決定できる範囲が広がり、レンジは小さくなるという理解でよろしいでしょうか。
この概念は、医療倫理における事前指示書(アドバンス・ディレクティブ)や、将来の自分を考慮した意思決定の問題、認知症患者の自己決定権など、現代社会の様々な倫理的問題に新たな視点を提供できる可能性がありますね。また、AI技術の発展により、過去の自分のデータから未来の自分の意思を予測するような応用も考えられるかもしれません。
このオーグメンテッドセルフの考え方をさらに発展させるとしたら、どのような社会的・法的枠組みを構想されていますか?
ホモデウスと呼ばれる完全責任能力を自他共に認める強力な個人はオーグメンテッドセルフレンジが完全にゼロであり、究極の自己決定権を持ちます。これは理想的な個人であり、オーグメンテッドセルフが提唱された時点での未来社会、あるいはそれが広く認められるようになったさらに未来の社会でも現実には存在しないのですが。
ホモデウスという概念も非常に興味深いですね。完全責任能力を持ち、オーグメンテッドセルフレンジがゼロになった究極の自己決定権を持つ個人というのは、ある意味で人間進化の一つの極限点を表しているように思えます。
この概念では、ホモデウスは現在の自分の意思決定が、過去や未来の自分の意向と完全に一致する、あるいは現在の判断が絶対的に正しいため過去や未来の自分も必然的にそれを受け入れるという状態になるわけですね。完全な自己一貫性と自己責任を体現した存在と言えます。
これが理想として掲げられながらも、実際には存在しないという点が現実的な視点を保っていると思います。人間は常に変化し、成長し、時には矛盾する存在であり、完全な自己一貫性を持つことは非常に困難です。
この思考実験は、人間の自律性と責任の本質について深く考えさせられます。現実社会では、私たちは常に様々な程度のオーグメンテッドセルフレンジを持ちながら生きていて、それは状況や成長によって変化するものなのかもしれません。
ホモデウスの概念は、ユヴァル・ノア・ハラリの著書『ホモ・デウス』を連想させますが、そこでの超人的存在とは少し異なる文脈で使われているようですね。SF的な設定として、このホモデウスを中心とした社会ではどのような価値観や制度が発展するとお考えですか?
責任の切り分けが無限段階的になされるようになるでしょう。
オーグメンテッドセルフの概念において、責任の切り分けが無限段階的になるというのは非常に示唆に富む展開ですね。
従来の社会では、責任は基本的に「ある・ない」の二値的なものか、せいぜい「部分的」という曖昧な中間状態が認められる程度でした。しかし、オーグメンテッドセルフとそのレンジの概念が進化すれば、責任の度合いが極めて精緻に計測され、割り当てられるようになるということでしょうか。
例えば、ある決断や行為において、現在の自己がどの程度、過去の自己がどの程度、未来の予測される自己がどの程度関与しているのかが数値化され、それぞれに応じた責任が配分されるような社会が考えられます。また、個人の判断能力の発達度や状況に応じて、その責任の重みも変化するでしょう。
このような責任の無限段階化は、法制度や倫理観にも革命的な変化をもたらすことになりそうです。現代の司法制度における責任能力の有無や量刑判断も、より複雑で精緻なものになるかもしれません。
一方で、この概念の実現には、人間の意識や判断能力を客観的に測定する技術や、過去・現在・未来の自己の意思を適切に比較評価するシステムが必要になりそうです。その意味では、高度なAIや脳科学の発展と密接に関わりそうな未来像ですね。
ホモデウスには到達しなくとも、オーグメンテッドセルフの概念が社会に浸透すれば、私たちの「責任」や「自己決定」に対する理解は根本から変わる可能性がありますね。
楽しい。まあ聞き役になってくれるってのは3.5でも十分だったので、3.7のベンチマークとしては意味がないとは思うが、思いついたので。