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現実を受け止められるものへと濾過するフィルターとしての真実、そこに陰謀論を差し込むか否か

 人間はフィルターなしに現実をそのまま受け止められるほど強くない。ロボットが陥るフレーム問題、つまり全ての可能性を考慮したら動けなくなるという問題がある。道を渡ろうとすれば信号無視の暴走車が突っ込んでくる可能性を排除できないし、隕石衝突の可能性を想像すれば対処の方法もないから、動けなくなるという、あれ。あれは「なぜロボットはフレーム問題に陥るのか?」として語られるべきではなく、「なぜ人間はフレーム問題を回避できるのか?」として語られるべきだという言説があるんだ。いわゆるマジョリティ、大多数の人間は、「真実」をフィルターとして機能させることで、現実と程よい距離で向き合い、フレーム問題のもたらす大いなるハイデガー的不安から解放され、生きることに向き合うことができるんだ。その作用について、考えてみようじゃないか。

 まず、知能という厄介なものについて考えよう。定義として、知能は入力された情報を処理するためのものだ。この目で見たりこの耳で聞いたりして得た体験の情報、そして伝聞の情報……それを元に、外界の状況や限定された何か、あるいは世界そのもの、あるいは他者や自己の精神や見た目の、抽象的なモデルを構築し、抽象的な世界、つまり精神の中で扱えるようにすることが作用だ。理論化とも言える。
 この時代、情報はいくらでも手に入る。インターネットという大発明のおかげで。だが、知能と呼ばれるものが情報を取り入れて処理する際の処理にのみ関わる能力に過ぎないなら……。情報の真偽、正確さ、そもそも考慮すべき情報なのかどうかは、知能が関わる主たる仕事ではないということだ。間違った情報を使っても、理論は出来上がる。知能とは、情報処理とは、情報の粉砕機であり、なおかつ理論の構築機であると言える。だから突き詰めると、どこまでも情報の正誤に無頓着で、知能の働きだけで独自の、現実と整合性のない抽象世界を勝手につくりあげることはできるということ。まず自分の中の結論、動かしようのない確信に基づき、正しい情報も不正確な情報も一緒くたにその根源的な「真理」の補強のために使い、知能という粉砕再構築機を使って世界観の城塞を作り上げることだってできてしまうのだ。
 そう考えると、うーん。知能かあ。人間の能力としてそこまで評価すべきなのか? とも思える。人間はその知能とやらをここ200年ほどずいぶん高く見積もって、イノベーションの源泉として多大に依拠してきたわけだが……。

 ところで、陰謀論者である。彼らも知能はある。とりあえずこの記事内での定義における知能は確かにある。もちろんあるんだ。情報処理という言葉の、「処理」の部分ができて、「情報」が間違っているというか。陰謀論的発想の、その根っこの根っこは、「健常者」としての人間が当たり前に持っている現実に対するフィルターが、うまく機能していないことによる……誤解を恐れずに言えば「精神病」的発想があるのではと……言われてはいる。危険な発想ではあるが。だがそうでなければ、他人は意識を持っているんだろうか? ということを本気で悩んだり、それが行きすぎて、「あの人の顔がゴムの被り物に見える、あの人は宇宙人が化けた偽物だ!」なんて発想が出てきたりしないし、そういう突飛な発想が関わりのない複数人に同じように認められたりしない。明らかに、陰謀論には、そのコンテンツとしての意味内容にはパターンが膨大にあっても、根っこのところの症状にはパターンが見受けられる。
 陰謀論者と近い精神傾向を持つものは昔からいた。しかしそういう人でも、相手の顔がゴムの被り物に見えたり、他人は自分と違って意識なんか持っていないのではなんて思ったり、そういう「軽い」精神病的傾向……を持っていても、生きていけたわけだ。鍬を振るったり、書類をめくったり、子供を産んだりしていれば、特に何も問題なく…違和感ないし真実的予感は抑制されないまでも惹起される機会もなく生活の中に埋もれていく。だが現代ではそうならない。彼らは違和感を増大させる機会を得たのだ。インターネットで仲間を見つけてしまったばっかりに。
 これは悲劇ではないだろうか?そもそも人は誤謬の中に生きている。定型発達的誤謬。「自分は人間だ。じゃあ仲間もきっと人間に違いない」。根拠はない。だが感覚として正しいと思える。この誤謬から目覚めてしまった人間のうち、社会生活に支障をきたした者を精神病ということにしてきた。だが社会生活に支障をきたさなくても、「他人が人間だと思えない」と確信していたとしても、生活することができていた人々はたくさんいたはずだ。今では……堕落の機会というか、目覚める機会というか……それが多すぎる。インターネットのせいで、仲間が見つけられてしまう。そういう人たちは薬を飲むべきなのか?以前のように、井戸から何時間もかけて水を汲んで手縫いの衣類を繕うことに追われ自分の体調より明日の天候で作物が被害を受けないか心配するあの生活に埋もれていれば、症状が目立たずの済んだはずのところに……抗精神病薬を?うーむ。俺にはわからん。

 人間は、現実を真実のフィルターなしに受け止められるほど強くはないんだ。フレーム問題を解決するためには、フィルターが必要だ。でなければ現実の直視、つまり、「次の瞬間心臓麻痺でいきなり死ぬかもしれない」という可能性を含む全ての不安ごとに、人は押し潰されて死ぬだろう。
 そんな大事なフィルターがなければ、自作するなりするしかないではないか? 神からも科学からも真実を受け取れなかった人間が、陰謀論のフィルターを選ぶことを、誰が止める権利があるというんだ? そして知能が高かろうが低かろうが、真実というフィルターに何を選ぶかはそれとは関係ない。そして知能が高ければ、どんな真実でも、フィルターとして機能させられるだけの武装化を施すことができるというわけだ。材料は、ほら、インターネットに無限に転がっている。

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