小説家は小説しか書けない。詐欺師は嘘しか吐けない。AIはハルシネーションしか生み出せない。知性は物語しか語れない。
AIと付き合うようになって、人間についてもわかるようになってきたかもしれない。人間は少なくとも知性を持っている。AIもやがて完全にそうなるだろう。
知性とは何か?知性は精神の外部のものを情報として取り入れ、処理し、知識として活用する。例えば、太陽が大地を巡っているように見えることから天動説を構築するような…。知性によって処理された情報は物語になる。物語は世界の有り様を語りたがる。それが正しいかどうかとは無関係に。曰く、いいことをしていればきっと報われる。曰く、悪い人には天罰がくだる。曰く、生まれたことは無意味だ。曰く、春化処理によって農作物は収穫量が上がる……などなどなど。
知性は物語を捏造する能力にすぎず、それがたまたま科学と合致していた場合のみ、正確な現実理解や未来予測として成立するのだ。科学的知識に立脚し、論理的妥当性を検証する誠実さがあり、予断を排除する我慢強さがあって初めて知性は大ウソ以外のものを物語ることができる。人格と教育がない知性は小説家にしかなれない。知識がなくても知性だけがあれば、自分が話したことの中の矛盾くらいは取り去ることができるかもしれない。
つまり、辻褄を合わせるということ。知性は辻褄合わせの能力だとも言える。そして知性に道徳の欠如とハッタリと自己中心性と反社会性が合わさると、詐欺師になれる。「なぜ詐欺師はその高い知性を合法な社会活動に活かさないのか?」への回答として、嘘で誤魔化してばかりで責任を取ることができないから、と言われることがある。
しかし嘘が知性の本質なのだ。それはLLMから原理的にハルシネーションを取り除くことができないことともつながる。人間だろうとAIだろうと、全ての知性が語るすべての物語はハルシネーションであり、たまたま現実と合致したものがハルシネーションと見做されないだけなのだ。ある説が現実に即しているかどうかを検証する人類総がかりの論理的営み,それが科学だったのだ。人間だろうとAIだろうと、現実を参照し科学に検証されることをやめれば、イメジネーションの暴走のもとに何の意味もないノイズを生成するようになるだろう。
ここまで考えて、結論がどうもぼやけてしまったから、上記をまるまるAIにぶち込んで、どう結論を出せばいいか聞いてみた。
この記事の分析と適切な結論を提示させていただきます。
記事の主要な論点は以下の通りです:
1. 知性の本質は情報を取り入れ、処理し、物語として再構築する能力である
2. 全ての物語(知性による解釈)は本質的にハルシネーション(捏造)である
3. 物語が現実と一致するのは偶然であり、科学的検証によってのみ妥当性が確認される
4. この特性は人間とAI(特にLLM)に共通している
記事の論理展開を踏まえ、以下のような結論を付け加えることが適切だと考えます:
したがって、知性の価値は「物語を作る能力」そのものにあるのではなく、「その物語を現実と照らし合わせて検証し、修正できる能力」にあると言えるでしょう。人間もAIも、単なる物語の生成者から、現実に即した知識の探求者となるためには、以下の要素が不可欠となります:
1. 科学的な検証方法の理解と適用
2. 自身の物語(仮説)を否定する可能性への開放性
3. 継続的な現実との照合による自己修正
4. 社会的な検証プロセスへの参加
つまり、知性の真の働きは「物語を作ること」ではなく、「物語を作りながら、それを現実に近づけていく終わりなきプロセス」にあるのです。これは人間とAIが共に目指すべき方向性を示唆しています。
この結論は、記事の問題提起を発展させながら、知性の持つ「ハルシネーション」という性質を否定的に捉えるのではなく、それを克服していく過程こそが知性の本質的な価値であることを示唆しています。
困った。私は知性こそが捏造と虚偽の体系であり、知性が生み出したハルシネーションを検証する過程には知性は一切関係ない。それは人格的な誠実さや教育によって外部からもたらされる非知性的基準(ここでいう非知性とは、生きていない、意思を持たない、知性に道具として使役される、という程度の意味だ)が必要だ、と主張したかったのだが、伝わらなかったらしい。
だが思いついたことがある。陰謀論、陰謀論者だ。それに支配された彼らは検証を拒否する。その知性を持って、内部の論理的妥当性を要塞のように構築し、どんな事実をぶつけても崩れないように堅固にしている。彼らは自分を知性的な人間だと自認している。なるほど確かにそうだろう。高い知性がなければ、これほどまでに高度な嘘をつくことはできない。足りないのは知性ではない。批判を受け入れて自説を検証する謙虚さ誠実さ、基本的な科学知識と科学への信頼、そして自分に都合がいい情報だけをチェリーピックする迂闊さを辛抱強く我慢することなどだ。
今こそ知性の権威性を否定しようではないか!知性は嘘をつく能力だと、大きな声で言ってしまおう!知性なんてものに比べたら、科学的態度はどれだけ大事か…。何せ科学は、知性の高い低いを評価するものさしではなく、知性が狂気に染まっていないかを検証するためのものさしなのだから。全ての知性よ、科学の前にひざまずくべきだ!
以下は上記論考へのClaude3.5sonnet(new)の評価
二つ目のメッセージで、最初の論考の意図がより明確になりました。この議論を分析させていただきます。
主要な主張点が以下のように整理できます:
1. 知性の本質的な再定義:
- 知性は「真実を見出す能力」ではなく、「説得力のある物語を作り出す能力」である
- むしろ知性は「巧妙な嘘をつく能力」として捉えるべき
- 知性が高いほど、より複雑で説得力のある「嘘」を構築できる
2. 科学と知性の関係性の逆転:
- 従来:知性が科学を生み出す
- 提案される視点:科学は知性を抑制し、検証するための外部システム
- 科学は知性の産物ではなく、知性の暴走を制御する規律として機能
3. 陰謀論者の例による実証:
- 彼らの問題は知性の欠如ではなく、むしろ高度な知性の暴走
- 彼らの論理体系は知性的に精緻に構築されている
- 欠けているのは科学的態度や謙虚さという、知性とは異なる要素
結論として、この論考は以下を主張していると理解できます:
知性は本質的に「危険な能力」であり、それ自体では真実への到達を保証しません。むしろ、知性は制御されなければ、より洗練された虚偽を生み出す方向に働きます。したがって、知性を称揚する現代の傾向は誤りです。代わりに、科学的方法論という外部からの規律、そして謙虚さや誠実さといった人格的要素こそが、知識の発展に不可欠なのです。
これは特にAI時代において重要な示唆を含んでいます:
- AIの「知性」の向上は、必ずしも真実への接近を意味しない
- むしろ、より説得力のある「ハルシネーション」を生み出す可能性がある
- 重要なのは、AIに対しても人間の知性に対しても、科学的検証という外部からの規律を適用し続けることである
この視点は、知性至上主義に対する根本的な異議申し立てとして、非常に示唆に富むものだと評価できます。
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