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Claude3.5sonnet(new)が書いた小説本文01

明らかに自分のよりいいよね。前提となった情報は自分が作った数万字の設定とプロットとキャラ表。序章から第一章まで。ワンシーンずつ書かせたから重複や繰り返し、内容の矛盾などがあると思うがそれは自力で直せばいいわけだ。2時間半くらいで0からここまででっち上げたので、自分がテキトーに補った部分などごっちゃになってるが……。

◯序章

空が白む頃、レカは貧民街の路地を歩いていた。エルフの屑拾いの姿が目に入る。昨夜の暗殺現場から遠ざかるように、無意識に足を運んでいた。

「おっはよ!朝イチからパンでも買ってくかー」

意識的に声を弾ませる。血の匂いを消すように。昨夜の獲物が最期に見せた表情を、記憶の底に沈めるように。

「あ、レカ姉ちゃん!」

路地の隅で、獣人の少年が声を上げた。先日スリを働いて説教した子だ。今朝は早くから古鉄を集めている。

「おー、働き者じゃん。えらいえらい」

レカは少年の頭を撫でる。手の平に残る感触。昨夜、人の命を絶った同じ手の平。少年は気づいていない。レカは微笑を絶やさない。

「姉ちゃん、今日も娼館街の救貧院手伝うの?」

「そ。今朝はパン焼きの当番。クソ忙しいんだよー」

不意に、通りの向こうから人間の警官が現れる。少年の体が強張る。レカは自然と少年の前に立つ。

「おはようございまーす。今朝も早いっすねー」

軽い調子で声をかける。警官は目を細めるが、暗殺ギルドの腕章を見て、黙って立ち去った。

「ふー。まいどありー」

少年の肩の力が抜ける。レカは路地の奥、パン屋の明かりを見つめる。店主のミーチャは、種族差別で表通りの店を追われた獣人の女性だ。

「よーし、今日も大量買い付けて、みんなにバラまくかー。あ、おめーにも一個やるよ。ほら」

ポケットから出したパンを少年に投げ渡す。昨夜の暗殺の報酬で買ったものだ。

「わぁ!ありがとー!」

少年は満面の笑みを見せる。その純粋な喜びに、レカは一瞬だけ目を伏せた。

(誰かを殺して、誰かを救う。それがあーしの仕事なんだよな……)

朝日が路地を照らし始める。レカは背筋を伸ばし、いつもの調子で歩き出した。

「よっし!今日も元気でいくかー!ミーチャのとこ行って、リリアの救貧院に届けんのが今日の仕事!頑張るぞー!」

声高に叫ぶ。誰に聞かせるでもない。ただ、自分の心の底に沈む何かを、必死に打ち消すように。

路地の向こうで、パン屋の煙突から煙が立ち始めていた。今日も街は、止まることなく動き出す。レカの影は、朝日に照らされて長く伸びていった。


夕暮れの貧民街。石畳の路地に、エルフの老婆が倒れていた。

「へへっ、こんなとこで寝てんじゃねえよ、耳長!」

傭兵ギルドの制服を着た男が、老婆の背中を靴で突く。仲間の二人が下卑た笑いを漏らす。

「お、まだ生きてんのか?」
「このゴミ、路地の美観を損ねてるぜ」
「なあ、耳を切り取って売ったら、いい値金になんじゃね?」

老婆は身を丸め、震えている。その姿を見て、男たちの笑いが大きくなる。

「そこまでだ」

冷たい声が響く。振り向くと、金槌級の徽章を付けた冒険者、ルゥリィが立っていた。エルフ特有の尖った耳と美しい容姿に、傭兵たちの表情が歪む。

「へえ、上等なエルフ様だ。エリオン様の愛人じゃないか」
「冒険者ギルドの金槌級様に、こんな路地で会えるとはな」

「ひっひひ、なーに揉めてんすか?」

明るい声が路地に響く。酒の行商人に扮したLekaが、籠を抱えて現れた。

ルゥリィの魔法の詠唱が途切れる。彼女の鋭い直感が、この少女に危険を感じ取っていた。

「あー、この路地、ぜーんぶあーしの商売場なんスよ? お客さん同士の喧嘩は困るっス」

その声は明るいのに、どこか冷たい。傭兵たちは思わず後ずさる。

「な、なんだてめえ......」

「おや?」
Lekaは籠を下ろし、傭兵に近づく。
「あーし、この前も言ったよねえ? この路地での商売は許可制って」

その瞬間、Lekaの瞳が一瞬赤く光る。傭兵たちは青ざめ、逃げ出した。

取り残されたルゥリィは、老婆に近づこうとする。しかしLekaが制する。

「冒険者ギルドの金槌級様が、こんな路地で何を?」

「私は...」
ルゥリィは言葉を探す。
「昔、この老婆と同じ立場だった。娼館で働かされ、路上で眠り、人間に蹴られた」

その言葉に、Lekaの表情が微かに揺れる。

「でも、エリオンは私を救ってくれた。彼は言ったわ。『この街には救いが必要だ』って」

「へえ」
Lekaは老婆に近づき、そっと布を掛ける。
「でも、あんたは"救われた側"っスね」

その言葉は、刃のように冷たかった。

「私たちは...この街を変えられる。エリオンは......」

「あーね」
Lekaは立ち上がる。その背中は、どこか寂しげに見えた。
「でも、変えちまったら、今のあんたの居場所も消えちまうんじゃねえの?」

ルゥリィが返答に詰まる中、Lekaは老婆を優しく抱き起こす。

「あーしが保護施設まで連れてくから、お偉いさんは帰んな。シンパシー振りまくより、実際に何かしてやる方が大事だと思わね?」

その言葉には皮肉と、どこか自嘲めいたものが混じっていた。

ルゥリィは立ち去りながら、振り返る。
「あなたの瞳...」

「ん?」

「私と同じね。エルフの血を引いている」

Lekaは黙って老婆を抱き寄せる。その腕には、暗殺者特有の力が秘められていた。

「だとしても、あーしはあんたみてえに救われちゃいねえよ」

その言葉が、夕暮れの路地に響く。ルゥリィの背中が僅かに震えた。二人は互いの運命に気付かないまま、それぞれの道を行く。

老婆を抱えたLekaは、暗い路地を歩き始める。その瞳には、もう赤い光は宿っていなかった。ただ、深い悲しみだけが残されていた。

 朝靄の立ち込める路地で、レカは足を止めた。

(あいつ、獣人傭兵の制服……)

屋根に跳び移る。軽やかな動きに、魔力の赤い光が一瞬だけ瞳に宿る。瓦を踏む音一つ立てず、標的を追跡する。

(確かに情報通り。傭兵ギルドの制服着て、勝手な真似してやがる)

獣人傭兵は古い詰所へと入っていく。レカは壁に身を寄せ、中の様子を窺った。

「よし、明日から橋を封鎖する。通行料払えない奴は通すな」
「金払えない貧民どもを追い返せばいいんですね」
「そうさ。傭兵ギルドの権限だ。文句は通らん」

レカは目を細める。詰所の中には他の獣人傭兵も数名。そして―

(檻の中の女の子……?)

躊躇する間もなく、レカは影のように忍び込んだ。最初の一撃は確実に標的の咽喉を捉える。

「なッ!」

混乱する獣人たちを、レカは無言で仕留めていく。動きは正確で無駄がない。しかし―

「た、助けて……!」

檻の中の少女が声を上げた瞬間、獣人の一人が彼女に掴みかかる。レカは咄嗟に投げ刃を放つ。
刃は獣人の喉を貫き、そして―その向こうにいた少女の胸を突き抜けた。

「あ……」

レカの瞳が開かれる。少女は何も言わず、ゆっくりと崩れ落ちた。

血の匂いが充満する詰所に、朝日が差し込んでくる。レカは震える手で自分の腕を抱きしめた。

(また……また巻き込んじまった……)

体が勝手に動く。窓から飛び出し、屋根を伝って逃げるように走る。

(違う、違う、違う……!)

気がつけば、パン屋の裏路地に辿り着いていた。店の中から怒鳴り声が聞こえる。

「この役立たず!」

ミーチャの悲鳴に混じって、夫の暴力の音。レカは無意識に殺気を放った。たった今まで戦場だった場所での緊張が、そのまま溢れ出る。

「な、何だ……!?」

獣人の夫が震え出す。見えない死の気配に、本能的な恐怖を感じ取ったのだ。彼は尻餅をつき、よろめきながら逃げ出した。

「……レカ?」

ミーチャが恐る恐る声をかける。レカは我に返り、必死に殺気を抑え込んだ。

「あ、ああ……荷物、取りに来たよ」
声が掠れる。

ミーチャは黙ってレカを見つめた。その瞳には、何かを見透かすような光があった。

「……ちょっと待ってね」

彼女は奥に消え、すぐに大きな包みを抱えて戻ってきた。

「リリアさんの救貧院行きね。いつもありがとう」

レカは頷くことしかできない。ミーチャは優しく微笑んだ。

「気をつけて行きな。今日は……霧が濃いから」

その言葉に、レカは一瞬だけ目を伏せた。ミーチャは何も聞かない。レカは何も語らない。

「うん、行ってくる」

包みを抱え、レカは歩き出す。その手がかすかに震えているのを、ミーチャは見逃さなかった。朝もやの中、レカの姿が消えていく。路地には、パンを焼く香ばしい匂いだけが残された。

ミーチャは黙って空を見上げた。朝靄の向こうで、大時計塔の鐘が鳴り始めていた。



 救貧院の古い木造建物から、子供たちの歓声が漏れていた。

「はい、順番に並んでね」

Lilyの優しい声に導かれ、獣人やエルフの子供たちが整然と列を作る。その横でTeruが画用紙を配り、絵の描き方を教えている。

「ほら、こうやって線を引くと、もっと自由に描けるよ」

小さな獣人の女の子が、震える手でクレヨンを握る。普段は警戒心の強い獣人の子供たちも、この場所では安心して笑顔を見せていた。

突然、入り口に人影が現れる。

「よっ!配達サービスでーす!」

両腕に山のような荷物を抱え、背中にも大きな袋を背負ったLekaが姿を現した。常人なら持ち上げることすら困難な量だ。

「レカさん!」
Lilyが駆け寄る。
「また、そんなに。私たちで取りに行くって言ったのに」

「へへー、運動不足解消!」

荷物を下ろしたLekaの額には汗が光っている。服の裾が少しめくれ、包帯の端が覗いていたが、誰も気付かない。

「すごいな、レカ」
Teruが近づき、さりげなく彼女の様子を確認する。
「昨夜は……」

Lekaは軽く首を振り、話題を遮った。

「お、絵の教室?」
子供たちの輪に目を向ける。
「なんだなんだ、見せてよー」

獣人の子供が恥ずかしそうに描きかけの絵を見せる。不格好な線で描かれた時計塔。

「おー、うまいじゃん!」
Lekaは屈んで絵を覗き込む。
「あーしも描いてみていい?」

「レカさんも絵を?」
Lilyが嬉しそうに画用紙を差し出す。

「下手くそだけどな!」

不器用な線で絵を描き始めるLeka。子供たちが周りに集まってくる。かつて恐れられた獣人の街で、今は子供たちが笑顔で寄り添う。

「ね、レカさん」
片付けを手伝いながら、Lilyが静かな声で話しかける。
「私たち、暗殺ギルドは変わったんですよね」

Lekaの手が一瞬止まる。

「昔は…暗い噂もあったって聞きます。でも今は違う。私たちは街の人々を守る存在になったんです」

純粋な誇りに満ちた瞳。Lekaは黙って荷物を整理し続ける。

「だから、レカさんも…私たちのようになってはダメですよ」
Lilyは優しく微笑む。
「暴力は、もう過去のものですから」

一瞬の沈黙。Teruの視線がLekaに注がれる。

「あー、そうだな」
Lekaは明るく返す。その声は、いつもより少しだけ高かった。
「じゃ、あーし、そろそろ行くわ。他の配達もあるし」

立ち上がったLekaの手が、かすかに震えている。

「ありがとうございました!」
Lilyの屈託のない笑顔に、Lekaは片手を上げて応える。

「気をつけてな」
見送るTeruの声に、心配が滲む。

Lekaは足早に救貧院を後にする。その背中には、昨夜の暗殺で負った傷がまだ疼いていた。路地の影に消えていく彼女を、夕暮れの太陽が赤く照らしている。

「本当に優しい人ですね、レカさんは」
Lilyの言葉が、路地に残された空気を震わせた。

Teruは黙って、Lekaの背中が消えた方向を見つめ続けた。救貧院からは、まだ子供たちの笑い声が漏れている。



 白亜の大屋敷に戻ると、父が主催する夜会の喧噪が聞こえてきた。テルは裏口から忍び込もうとしたが―

「おや、わが息子よ。どこの貧民街を放浪していた?」

応接室のバルコニーから、ルドヴィクの声が降ってきた。来賓たちの笑い声を背に、父は葡萄酒を片手に優雅に手すりに寄りかかっている。

「……アトリエで絵を描いていただけです」

「ほう、今日はどんな絵かな? また、哀れな獣人の姿でも?」

父の皮肉めいた口調に、テルは一瞬だけ眉をひそめた。

「いいえ。時計塔です」

「ふむ。街のシンボルか。だが、お前にはその内部にあるリミナル・ダンジョンの本質など理解できまい」

ルドヴィクは軽やかに階段を降りてきた。その姿は優美で、まるで舞踏会の主役のようだ。テルは思わず後ずさる。

「理解できないからこそ、描くんです」

「なるほど。無知の産物としての芸術か。見ろ!みんな!小さなゲイジュツカのお帰りだ!」

バルコニーに出てきた来賓たちの笑い声が漏れ聞こえる。口々にテルを品評する。

「あらあ、大きくなったわねえ。テルさん。あなたのお父上、アルエイシス卿は若き日にこの街に文明の光、魔光灯をもたらした偉大な発明家…!ちゃんとお勉強してらっしゃるのでしょう?あとを継がないとねえ」

 ルドヴィクは笑った。

「ご婦人。若者に背負いきれない責任を負わせるのは酷というものです……何せ、あの子は筆よりも重いものを持ったことはありませんでなあ……」

 バルコニーに詰めかけた婦人たちが大きく笑った。その声はテルを萎縮させるのに十分だったが……彼は負けずに父に対してこう言い放つ。

「父上は何もかも理解していると?」

笑い声の中で、ルドヴィクはじっと自分の息子の目を見下ろす。
 バルコニーの階段をつたってゆっくりとテルのいる中庭に降りてきた。
 
「少なくとも、お前よりはな」
ルドヴィクは息子の髪を軽く撫でる。その仕草には慈愛と軽蔑が混ざっている。
「お前には才能がある。だが、それを正しい方向に向けていない」

「正しい方向とは、父上の望む方向のことですか?」

言い返した瞬間、応接室が静かになった。ルドヴィクは面白そうに息子を見つめる。

「ほう、反抗的になったな。誰の影響かな?貧民街をぴょんぴょん飛び回る誰かさんかな?」

 意外な言葉に、テルは一瞬だけ瞳を揺らした。

「彼女と僕は違います。僕は……僕なりのやり方で」

「やり方?」
ルドヴィクは愉快そうに笑う。
「何をする? 貧民街で絵を描いて、この街の闇が消えるとでも?」

テルは黙って父を見つめた。その瞳には、いつもの臆病な色はない。

「闇を消すのではありません。描き出すんです。誰もが見て見ぬふりをする現実を」

「ほう……」
ルドヴィクは息子の変化を確かめるように、じっと見つめ返した。
「芸術家気取りで現実逃避か。私の息子としては、お粗末だな」

「違います」
テルは小さく、しかし確かな声で言った。
「逃げているのは、むしろ父上の方では? 全てを理解したふりをして」

一瞬の沈黙。ルドヴィクは葡萄酒を一息に飲み干した。

「面白い。明日の評議会で、私の提案する新法案の説明を任せよう。お前の『理解』を見せてもらおうか」

「結構です。僕は……」

「命令だ」
ルドヴィクは背を向けながら言った。
「才能は、使われるべき場所で使わねばならない。それが貴族の責務だ」

テルは静かに息を吐いた。手には、今日描いた時計塔のスケッチが握られている。塔の影に、レカの姿を描き込んでいた。

「責務ですか……」

バルコニーでは、来賓たちの談笑が続いている。テルは館の裏手、自室とアトリエのある別棟へと足を向けた。今夜も、誰にも見せない絵を描き続けるために。

人々が見たがらない真実を、描き続けるために。




 アトリエの窓から、大時計塔の姿が見える。塔の各所に埋め込まれた魔導結晶が、夕暮れ時の街を青白く照らしていた。

テルは父から与えられた錬金術製図版に手を伸ばす。高価な道具だが、魔法科学ギルドの面々にとっては標準の装備品だった。起動すると、製図版の表面が淡く光を放ち、描いた絵が立体的なホログラムとなって浮かび上がる。

「この光……」

テルは思わず目を細める。街中に張り巡らされた導力管を流れる魔光エネルギー。父ルドヴィクが、わずか16歳で成し遂げた革新的発明だった。

「父上は言いましたよね。『魔法と科学の融合なくして、この街の未来はない』」

テルはペンを製図版に走らせる。描かれた時計塔が、瞬時に立体映像となって浮かび上がる。完璧な再現性。感情の入り込む余地のない、正確な描写。

「でも、この光は……嘘をつかない。だからこそ、人の心は描けない」

テルは製図版の電源を切り、古い画用紙を広げる。不揃いな手描きの線が、むしろ時計塔の威圧的な存在感をよく表現していた。

「父上の発明は確かに街を変えた。でも、光の届かない影も作り出した」

アトリエの隅には、魔導結晶で動く最新の画材が積まれている。全て父からの贈り物だ。その横で、テルは昔ながらの木炭を手に取る。

「完璧な光より、不完全な闇の方が、時には真実を映すんだ」

夕暮れの光が差し込む。テルの描く時計塔に、長い影が落ちていく。その影は、まるで街の暗部を指し示すかのように、貧民街へと伸びていた。

「父上は言います。才能は正しい方向に使えと」
テルは薄暗がりの中、黙々と線を重ねる。
「でも、正しさとは何なのか。誰にとっての正しさなのか」

アトリエの壁には、様々な絵が貼られている。最新技術で描かれた精密な街の設計図。そして手描きの、貧民街の日常風景。父の世界と、テルの見つめる世界。その間で、少年は今日も絵筆を走らせ続けていた。

窓の外では、街の魔導灯が次々と灯されていく。ルドヴィクの光が街を覆い尽くす中、アトリエの中だけが、どこか懐かしい薄暗がりに包まれていた。


 「あれ?またぶっ壊してんの?」

突然の声に、テルは画用紙から顔を上げた。窓辺にレカが腰掛けている。いつの間に入ってきたのか、夕暮れの光を背に、少し意地の悪い笑みを浮かべていた。

「レカ...」

机の上には、引き裂かれた魔導製図版の図面が散らばっている。完璧な立体映像で描かれた時計塔が、紙片となって床に落ちていた。

「へえ、今日は上等な画材も粗末に扱っちゃって?お坊ちゃまらしくないねえ」

レカは軽やかに部屋に入り、破られた図面を拾い上げる。その指先が、一瞬震えるのをテルは見逃さなかった。

「...血?」

レカの袖口に、かすかな染みが付いていた。彼女は何気なく腕を引っ込める。

「あ、パン屋で転んだだけ。心配すんな」

嘘だと分かっていた。でもテルは追及しない。レカも説明しない。その沈黙は、二人の間で交わされる無言の了解事項のようなものだった。

「ねえ、これ描いてよ」
レカは画材を手に取る。
「あーしが座ってるとこ」

「え?」

「いいから、さっさと描けよ」

テルは戸惑いながらも、新しい画用紙に向かう。レカは窓辺に腰を下ろし、外の景色に目を向けたまま動かない。夕陽が彼女の横顔を優しく照らしていた。

鉛筆が紙の上を走り始める。しかし描いているうちに、レカの頭が少しずつ傾いていく。夕陽の残光が、その金の髪を柔らかく照らしていた。

(珍しいな...)

テルは鉛筆を走らせながら、眠りに落ちていくレカを見つめる。普段の鋭さが消え、まるで子供のような無防備な寝顔。しかし――。

「ぅ...」

眉間に皺が寄る。細い指が震え、白い歯が唇を噛む。

(夢を見てるのか...?)

テルは描くのを止めて、そっとレカに近づく。レカの表情が、みるみる苦しげに歪んでいく。

「い、いや...」

掠れた声が漏れる。汗が額を伝い落ちる。

「あの子...あの子は...」

震える声に、恐怖と後悔が混じっている。テルは思わず手を伸ばしかける。が、一瞬躊躇う。レカの秘密に、これ以上踏み込んでいいものか。

「ごめん...なさい...」

涙が、レカの頬を伝う。夕陽に照らされて、まるで血のように赤く見えた。

「うっ...」

レカの震えが強くなる。もう、そのままにはしておけない。

「レカ!」

テルが肩を揺する。レカは跳ね起きるように目を開いた。瞳が一瞬赤く光る。

「!」

咄嗟にテルの手首を掴む。暗殺者の反射神経。だが、テルの顔を認めると、すぐに力が抜けた。

「あ...ごめ...」

レカは慌てて目をそらす。頬の涙を拭おうとするが、手が震えて上手く拭えない。

「大丈夫だよ」

テルが静かにハンカチを差し出す。レカは受け取ろうとして、また手が震える。

「...あーし、寝てた?」

「うん。少し」

「へえ...あんまり、ないんだけどな」

レカは虚勢を張るように笑おうとする。でも、唇が震えて上手く笑えない。

「寒いのかな」
テルは、さり気なくアトリエに置いてある毛布をレカの肩にかける。
「最近、夕方は冷えるから」

空が白む頃、レカは貧民街の路地を歩いていた。エルフの屑拾いの姿が目に入る。昨夜の暗殺現場から遠ざかるように、無意識に足を運んでいた。

「おっはよ!朝イチからパンでも買ってくかー」

意識的に声を弾ませる。血の匂いを消すように。昨夜の獲物が最期に見せた表情を、記憶の底に沈めるように。

「あ、レカ姉ちゃん!」

路地の隅で、獣人の少年が声を上げた。先日スリを働いて説教した子だ。今朝は早くから古鉄を集めている。

「おー、働き者じゃん。えらいえらい」

レカは少年の頭を撫でる。手の平に残る感触。昨夜、人の命を絶った同じ手の平。少年は気づいていない。レカは微笑を絶やさない。

「姉ちゃん、今日も娼館街の救貧院手伝うの?」

「そ。今朝はパン焼きの当番。クソ忙しいんだよー」

不意に、通りの向こうから人間の警官が現れる。少年の体が強張る。レカは自然と少年の前に立つ。

「おはようございまーす。今朝も早いっすねー」

軽い調子で声をかける。警官は目を細めるが、暗殺ギルドの腕章を見て、黙って立ち去った。

「ふー。まいどありー」

少年の肩の力が抜ける。レカは路地の奥、パン屋の明かりを見つめる。店主のミーチャは、種族差別で表通りの店を追われた獣人の女性だ。

「よーし、今日も大量買い付けて、みんなにバラまくかー。あ、おめーにも一個やるよ。ほら」

ポケットから出したパンを少年に投げ渡す。昨夜の暗殺の報酬で買ったものだ。

「わぁ!ありがとー!」

少年は満面の笑みを見せる。その純粋な喜びに、レカは一瞬だけ目を伏せた。

(誰かを殺して、誰かを救う。それがあーしの仕事なんだよな……)

朝日が路地を照らし始める。レカは背筋を伸ばし、いつもの調子で歩き出した。

「よっし!今日も元気でいくかー!ミーチャのとこ行って、リリアの救貧院に届けんのが今日の仕事!頑張るぞー!」

声高に叫ぶ。誰に聞かせるでもない。ただ、自分の心の底に沈む何かを、必死に打ち消すように。

路地の向こうで、パン屋の煙突から煙が立ち始めていた。今日も街は、止まることなく動き出す。レカの影は、朝日に照らされて長く伸びていった。


夕暮れの貧民街。石畳の路地に、エルフの老婆が倒れていた。

「へへっ、こんなとこで寝てんじゃねえよ、耳長!」

傭兵ギルドの制服を着た男が、老婆の背中を靴で突く。仲間の二人が下卑た笑いを漏らす。

「お、まだ生きてんのか?」
「このゴミ、路地の美観を損ねてるぜ」
「なあ、耳を切り取って売ったら、いい値金になんじゃね?」

老婆は身を丸め、震えている。その姿を見て、男たちの笑いが大きくなる。

「そこまでだ」

冷たい声が響く。振り向くと、金槌級の徽章を付けた冒険者、ルゥリィが立っていた。エルフ特有の尖った耳と美しい容姿に、傭兵たちの表情が歪む。

「へえ、上等なエルフ様だ。エリオン様の愛人じゃないか」
「冒険者ギルドの金槌級様に、こんな路地で会えるとはな」

「ひっひひ、なーに揉めてんすか?」

明るい声が路地に響く。酒の行商人に扮したLekaが、籠を抱えて現れた。

ルゥリィの魔法の詠唱が途切れる。彼女の鋭い直感が、この少女に危険を感じ取っていた。

「あー、この路地、ぜーんぶあーしの商売場なんスよ? お客さん同士の喧嘩は困るっス」

その声は明るいのに、どこか冷たい。傭兵たちは思わず後ずさる。

「な、なんだてめえ......」

「おや?」
Lekaは籠を下ろし、傭兵に近づく。
「あーし、この前も言ったよねえ? この路地での商売は許可制って」

その瞬間、Lekaの瞳が一瞬赤く光る。傭兵たちは青ざめ、逃げ出した。

取り残されたルゥリィは、老婆に近づこうとする。しかしLekaが制する。

「冒険者ギルドの金槌級様が、こんな路地で何を?」

「私は...」
ルゥリィは言葉を探す。
「昔、この老婆と同じ立場だった。娼館で働かされ、路上で眠り、人間に蹴られた」

その言葉に、Lekaの表情が微かに揺れる。

「でも、エリオンは私を救ってくれた。彼は言ったわ。『この街には救いが必要だ』って」

「へえ」
Lekaは老婆に近づき、そっと布を掛ける。
「でも、あんたは"救われた側"っスね」

その言葉は、刃のように冷たかった。

「私たちは...この街を変えられる。エリオンは......」

「あーね」
Lekaは立ち上がる。その背中は、どこか寂しげに見えた。
「でも、変えちまったら、今のあんたの居場所も消えちまうんじゃねえの?」

ルゥリィが返答に詰まる中、Lekaは老婆を優しく抱き起こす。

「あーしが保護施設まで連れてくから、お偉いさんは帰んな。シンパシー振りまくより、実際に何かしてやる方が大事だと思わね?」

その言葉には皮肉と、どこか自嘲めいたものが混じっていた。

ルゥリィは立ち去りながら、振り返る。
「あなたの瞳...」

「ん?」

「私と同じね。エルフの血を引いている」

Lekaは黙って老婆を抱き寄せる。その腕には、暗殺者特有の力が秘められていた。

「だとしても、あーしはあんたみてえに救われちゃいねえよ」

その言葉が、夕暮れの路地に響く。ルゥリィの背中が僅かに震えた。二人は互いの運命に気付かないまま、それぞれの道を行く。

老婆を抱えたLekaは、暗い路地を歩き始める。その瞳には、もう赤い光は宿っていなかった。ただ、深い悲しみだけが残されていた。

 朝靄の立ち込める路地で、レカは足を止めた。

(あいつ、獣人傭兵の制服……)

屋根に跳び移る。軽やかな動きに、魔力の赤い光が一瞬だけ瞳に宿る。瓦を踏む音一つ立てず、標的を追跡する。

(確かに情報通り。傭兵ギルドの制服着て、勝手な真似してやがる)

獣人傭兵は古い詰所へと入っていく。レカは壁に身を寄せ、中の様子を窺った。

「よし、明日から橋を封鎖する。通行料払えない奴は通すな」
「金払えない貧民どもを追い返せばいいんですね」
「そうさ。傭兵ギルドの権限だ。文句は通らん」

レカは目を細める。詰所の中には他の獣人傭兵も数名。そして―

(檻の中の女の子……?)

躊躇する間もなく、レカは影のように忍び込んだ。最初の一撃は確実に標的の咽喉を捉える。

「なッ!」

混乱する獣人たちを、レカは無言で仕留めていく。動きは正確で無駄がない。しかし―

「た、助けて……!」

檻の中の少女が声を上げた瞬間、獣人の一人が彼女に掴みかかる。レカは咄嗟に投げ刃を放つ。
刃は獣人の喉を貫き、そして―その向こうにいた少女の胸を突き抜けた。

「あ……」

レカの瞳が開かれる。少女は何も言わず、ゆっくりと崩れ落ちた。

血の匂いが充満する詰所に、朝日が差し込んでくる。レカは震える手で自分の腕を抱きしめた。

(また……また巻き込んじまった……)

体が勝手に動く。窓から飛び出し、屋根を伝って逃げるように走る。

(違う、違う、違う……!)

気がつけば、パン屋の裏路地に辿り着いていた。店の中から怒鳴り声が聞こえる。

「この役立たず!」

ミーチャの悲鳴に混じって、夫の暴力の音。レカは無意識に殺気を放った。たった今まで戦場だった場所での緊張が、そのまま溢れ出る。

「な、何だ……!?」

獣人の夫が震え出す。見えない死の気配に、本能的な恐怖を感じ取ったのだ。彼は尻餅をつき、よろめきながら逃げ出した。

「……レカ?」

ミーチャが恐る恐る声をかける。レカは我に返り、必死に殺気を抑え込んだ。

「あ、ああ……荷物、取りに来たよ」
声が掠れる。

ミーチャは黙ってレカを見つめた。その瞳には、何かを見透かすような光があった。

「……ちょっと待ってね」

彼女は奥に消え、すぐに大きな包みを抱えて戻ってきた。

「リリアさんの救貧院行きね。いつもありがとう」

レカは頷くことしかできない。ミーチャは優しく微笑んだ。

「気をつけて行きな。今日は……霧が濃いから」

その言葉に、レカは一瞬だけ目を伏せた。ミーチャは何も聞かない。レカは何も語らない。

「うん、行ってくる」

包みを抱え、レカは歩き出す。その手がかすかに震えているのを、ミーチャは見逃さなかった。朝もやの中、レカの姿が消えていく。路地には、パンを焼く香ばしい匂いだけが残された。

ミーチャは黙って空を見上げた。朝靄の向こうで、大時計塔の鐘が鳴り始めていた。



 救貧院の古い木造建物から、子供たちの歓声が漏れていた。

「はい、順番に並んでね」

Lilyの優しい声に導かれ、獣人やエルフの子供たちが整然と列を作る。その横でTeruが画用紙を配り、絵の描き方を教えている。

「ほら、こうやって線を引くと、もっと自由に描けるよ」

小さな獣人の女の子が、震える手でクレヨンを握る。普段は警戒心の強い獣人の子供たちも、この場所では安心して笑顔を見せていた。

突然、入り口に人影が現れる。

「よっ!配達サービスでーす!」

両腕に山のような荷物を抱え、背中にも大きな袋を背負ったLekaが姿を現した。常人なら持ち上げることすら困難な量だ。

「レカさん!」
Lilyが駆け寄る。
「また、そんなに。私たちで取りに行くって言ったのに」

「へへー、運動不足解消!」

荷物を下ろしたLekaの額には汗が光っている。服の裾が少しめくれ、包帯の端が覗いていたが、誰も気付かない。

「すごいな、レカ」
Teruが近づき、さりげなく彼女の様子を確認する。
「昨夜は……」

Lekaは軽く首を振り、話題を遮った。

「お、絵の教室?」
子供たちの輪に目を向ける。
「なんだなんだ、見せてよー」

獣人の子供が恥ずかしそうに描きかけの絵を見せる。不格好な線で描かれた時計塔。

「おー、うまいじゃん!」
Lekaは屈んで絵を覗き込む。
「あーしも描いてみていい?」

「レカさんも絵を?」
Lilyが嬉しそうに画用紙を差し出す。

「下手くそだけどな!」

不器用な線で絵を描き始めるLeka。子供たちが周りに集まってくる。かつて恐れられた獣人の街で、今は子供たちが笑顔で寄り添う。

「ね、レカさん」
片付けを手伝いながら、Lilyが静かな声で話しかける。
「私たち、暗殺ギルドは変わったんですよね」

Lekaの手が一瞬止まる。

「昔は…暗い噂もあったって聞きます。でも今は違う。私たちは街の人々を守る存在になったんです」

純粋な誇りに満ちた瞳。Lekaは黙って荷物を整理し続ける。

「だから、レカさんも…私たちのようになってはダメですよ」
Lilyは優しく微笑む。
「暴力は、もう過去のものですから」

一瞬の沈黙。Teruの視線がLekaに注がれる。

「あー、そうだな」
Lekaは明るく返す。その声は、いつもより少しだけ高かった。
「じゃ、あーし、そろそろ行くわ。他の配達もあるし」

立ち上がったLekaの手が、かすかに震えている。

「ありがとうございました!」
Lilyの屈託のない笑顔に、Lekaは片手を上げて応える。

「気をつけてな」
見送るTeruの声に、心配が滲む。

Lekaは足早に救貧院を後にする。その背中には、昨夜の暗殺で負った傷がまだ疼いていた。路地の影に消えていく彼女を、夕暮れの太陽が赤く照らしている。

「本当に優しい人ですね、レカさんは」
Lilyの言葉が、路地に残された空気を震わせた。

Teruは黙って、Lekaの背中が消えた方向を見つめ続けた。救貧院からは、まだ子供たちの笑い声が漏れている。



 白亜の大屋敷に戻ると、父が主催する夜会の喧噪が聞こえてきた。テルは裏口から忍び込もうとしたが―

「おや、わが息子よ。どこの貧民街を放浪していた?」

応接室のバルコニーから、ルドヴィクの声が降ってきた。来賓たちの笑い声を背に、父は葡萄酒を片手に優雅に手すりに寄りかかっている。

「……アトリエで絵を描いていただけです」

「ほう、今日はどんな絵かな? また、哀れな獣人の姿でも?」

父の皮肉めいた口調に、テルは一瞬だけ眉をひそめた。

「いいえ。時計塔です」

「ふむ。街のシンボルか。だが、お前にはその内部にあるリミナル・ダンジョンの本質など理解できまい」

ルドヴィクは軽やかに階段を降りてきた。その姿は優美で、まるで舞踏会の主役のようだ。テルは思わず後ずさる。

「理解できないからこそ、描くんです」

「なるほど。無知の産物としての芸術か。見ろ!みんな!小さなゲイジュツカのお帰りだ!」

バルコニーに出てきた来賓たちの笑い声が漏れ聞こえる。口々にテルを品評する。

「あらあ、大きくなったわねえ。テルさん。あなたのお父上、アルエイシス卿は若き日にこの街に文明の光、魔光灯をもたらした偉大な発明家…!ちゃんとお勉強してらっしゃるのでしょう?あとを継がないとねえ」

 ルドヴィクは笑った。

「ご婦人。若者に背負いきれない責任を負わせるのは酷というものです……何せ、あの子は筆よりも重いものを持ったことはありませんでなあ……」

 バルコニーに詰めかけた婦人たちが大きく笑った。その声はテルを萎縮させるのに十分だったが……彼は負けずに父に対してこう言い放つ。

「父上は何もかも理解していると?」

笑い声の中で、ルドヴィクはじっと自分の息子の目を見下ろす。
 バルコニーの階段をつたってゆっくりとテルのいる中庭に降りてきた。
 
「少なくとも、お前よりはな」
ルドヴィクは息子の髪を軽く撫でる。その仕草には慈愛と軽蔑が混ざっている。
「お前には才能がある。だが、それを正しい方向に向けていない」

「正しい方向とは、父上の望む方向のことですか?」

言い返した瞬間、応接室が静かになった。ルドヴィクは面白そうに息子を見つめる。

「ほう、反抗的になったな。誰の影響かな?貧民街をぴょんぴょん飛び回る誰かさんかな?」

 意外な言葉に、テルは一瞬だけ瞳を揺らした。

「彼女と僕は違います。僕は……僕なりのやり方で」

「やり方?」
ルドヴィクは愉快そうに笑う。
「何をする? 貧民街で絵を描いて、この街の闇が消えるとでも?」

テルは黙って父を見つめた。その瞳には、いつもの臆病な色はない。

「闇を消すのではありません。描き出すんです。誰もが見て見ぬふりをする現実を」

「ほう……」
ルドヴィクは息子の変化を確かめるように、じっと見つめ返した。
「芸術家気取りで現実逃避か。私の息子としては、お粗末だな」

「違います」
テルは小さく、しかし確かな声で言った。
「逃げているのは、むしろ父上の方では? 全てを理解したふりをして」

一瞬の沈黙。ルドヴィクは葡萄酒を一息に飲み干した。

「面白い。明日の評議会で、私の提案する新法案の説明を任せよう。お前の『理解』を見せてもらおうか」

「結構です。僕は……」

「命令だ」
ルドヴィクは背を向けながら言った。
「才能は、使われるべき場所で使わねばならない。それが貴族の責務だ」

テルは静かに息を吐いた。手には、今日描いた時計塔のスケッチが握られている。塔の影に、レカの姿を描き込んでいた。

「責務ですか……」

バルコニーでは、来賓たちの談笑が続いている。テルは館の裏手、自室とアトリエのある別棟へと足を向けた。今夜も、誰にも見せない絵を描き続けるために。

人々が見たがらない真実を、描き続けるために。




 アトリエの窓から、大時計塔の姿が見える。塔の各所に埋め込まれた魔導結晶が、夕暮れ時の街を青白く照らしていた。

テルは父から与えられた錬金術製図版に手を伸ばす。高価な道具だが、魔法科学ギルドの面々にとっては標準の装備品だった。起動すると、製図版の表面が淡く光を放ち、描いた絵が立体的なホログラムとなって浮かび上がる。

「この光……」

テルは思わず目を細める。街中に張り巡らされた導力管を流れる魔光エネルギー。父ルドヴィクが、わずか16歳で成し遂げた革新的発明だった。

「父上は言いましたよね。『魔法と科学の融合なくして、この街の未来はない』」

テルはペンを製図版に走らせる。描かれた時計塔が、瞬時に立体映像となって浮かび上がる。完璧な再現性。感情の入り込む余地のない、正確な描写。

「でも、この光は……嘘をつかない。だからこそ、人の心は描けない」

テルは製図版の電源を切り、古い画用紙を広げる。不揃いな手描きの線が、むしろ時計塔の威圧的な存在感をよく表現していた。

「父上の発明は確かに街を変えた。でも、光の届かない影も作り出した」

アトリエの隅には、魔導結晶で動く最新の画材が積まれている。全て父からの贈り物だ。その横で、テルは昔ながらの木炭を手に取る。

「完璧な光より、不完全な闇の方が、時には真実を映すんだ」

夕暮れの光が差し込む。テルの描く時計塔に、長い影が落ちていく。その影は、まるで街の暗部を指し示すかのように、貧民街へと伸びていた。

「父上は言います。才能は正しい方向に使えと」
テルは薄暗がりの中、黙々と線を重ねる。
「でも、正しさとは何なのか。誰にとっての正しさなのか」

アトリエの壁には、様々な絵が貼られている。最新技術で描かれた精密な街の設計図。そして手描きの、貧民街の日常風景。父の世界と、テルの見つめる世界。その間で、少年は今日も絵筆を走らせ続けていた。

窓の外では、街の魔導灯が次々と灯されていく。ルドヴィクの光が街を覆い尽くす中、アトリエの中だけが、どこか懐かしい薄暗がりに包まれていた。


 「あれ?またぶっ壊してんの?」

突然の声に、テルは画用紙から顔を上げた。窓辺にレカが腰掛けている。いつの間に入ってきたのか、夕暮れの光を背に、少し意地の悪い笑みを浮かべていた。

「レカ...」

机の上には、引き裂かれた魔導製図版の図面が散らばっている。完璧な立体映像で描かれた時計塔が、紙片となって床に落ちていた。

「へえ、今日は上等な画材も粗末に扱っちゃって?お坊ちゃまらしくないねえ」

レカは軽やかに部屋に入り、破られた図面を拾い上げる。その指先が、一瞬震えるのをテルは見逃さなかった。

「...血?」

レカの袖口に、かすかな染みが付いていた。彼女は何気なく腕を引っ込める。

「あ、転んだだけ。心配すんな」

嘘だと分かっていた。でもテルは追及しない。レカも説明しない。その沈黙は、二人の間で交わされる無言の了解事項のようなものだった。

「……父上の発明した魔導製図版じゃ、描けないんだ」
テルは破られた図面の断片を握りしめる。
「完璧すぎて。大時計塔の本当の姿が、映らない」
「本当の姿?」
テルは立ち上がり、窓際に歩み寄る。レカの隣から、街の中心にそびえる大時計塔を指差した。
「見てよ、レカ。あの塔の中に、Liminal Dungeonが眠ってる。父上の魔導製図版は建物としての時計塔は完璧に再現する。でも、その奥に潜む"何か"は……描けない」
夕陽に照らされた時計塔が、不気味な影を街に落としていた。レカは思わず身震いする。
「あーしも感じる。あそこんとこ、なんつーか……生きてんだよな」
「うん。父上は科学で、時計塔の全てを理解できると信じてる。でも僕には分かるんだ。あの塔は……誰にも理解できない何かを、その中に隠してる」
テルは古い木炭を手に取り、粗いスケッチを描き始める。不揃いな線が、むしろ時計塔の不気味さを際立たせていく。
「ほら。こうやって、不完全な線で描くと、逆に見えてくるものがある」
レカはスケッチを覗き込む。確かに、その荒々しい線の中に、既視感のような不安を感じた。
「まるで、あーしらみてーだな」
「え?」
「だってさ。お前は貴族の息子で、あーしは……」
レカは言葉を途切れさせる。
「でも、そんな肩書じゃ見えないものが、あるじゃん?」
テルはレカを見つめ返す。
「そうだね。父上は完璧を求める。科学で全てを説明しようとする。でも、この街には説明できないものがたくさんある。君のことだって……」
「あーし?」
レカは思わず身を引く。テルの視線に、何か見透かされそうで怖くなる。
「レカの瞳の赤さとか、その強さとか。科学じゃ説明できないでしょ?でも、それが君なんだ」
テルは微笑む。
「だから僕は、不完全な線で描くことを選んだ。そうじゃないと、大切なものが見えなくなる気がして」
レカは黙って自分の手を見つめた。人を殺めた手。でも、今はパンを配り、子供たちを助ける手。
「……テル。お前、あーしのこと、どう描くの?」
テルは新しい画用紙を広げ、レカの姿を描き始める。
「ありのままを。完璧じゃなくていい。むしろ、不完全だからこそ見えてくる君の……」
「ねえ、これ描いてよ」
レカは画材を手に取る。
「あーしが座ってるとこ」

「え?」

「いいから、さっさと描けよ」

テルは戸惑いながらも、新しい画用紙に向かう。レカは窓辺に腰を下ろし、外の景色に目を向けたまま動かない。夕陽が彼女の横顔を優しく照らしていた。

鉛筆が紙の上を走り始める。しかし描いているうちに、レカの頭が少しずつ傾いていく。夕陽の残光が、その金の髪を柔らかく照らしていた。

(珍しいな...)

テルは鉛筆を走らせながら、眠りに落ちていくレカを見つめる。普段の鋭さが消え、まるで子供のような無防備な寝顔。しかし――。

「ぅ...」

眉間に皺が寄る。細い指が震え、白い歯が唇を噛む。

(夢を見てるのか...?)

テルは描くのを止めて、そっとレカに近づく。レカの表情が、みるみる苦しげに歪んでいく。

「い、いや...」

掠れた声が漏れる。汗が額を伝い落ちる。

「あの子...あの子は...」

震える声に、恐怖と後悔が混じっている。テルは思わず手を伸ばしかける。が、一瞬躊躇う。レカの秘密に、これ以上踏み込んでいいものか。

「ごめん...なさい...」

涙が、レカの頬を伝う。夕陽に照らされて、まるで血のように赤く見えた。

「うっ...」

レカの震えが強くなる。もう、そのままにはしておけない。

「レカ!」

テルが肩を揺する。レカは跳ね起きるように目を開いた。瞳が一瞬赤く光る。

「!」

咄嗟にテルの手首を掴む。暗殺者の反射神経。だが、テルの顔を認めると、すぐに力が抜けた。

「あ...ごめ...」

レカは慌てて目をそらす。頬の涙を拭おうとするが、手が震えて上手く拭えない。

「大丈夫だよ」

テルが静かにハンカチを差し出す。レカは受け取ろうとして、また手が震える。

「...あーし、寝てた?」

「うん。少し」

「へえ...あんまり、ないんだけどな」

レカは虚勢を張るように笑おうとする。でも、唇が震えて上手く笑えない。

「寒いのかな」
テルは、さり気なくアトリエに置いてある毛布をレカの肩にかける。
「最近、夕方は冷えるから」

レカは黙って毛布を握りしめる。その指が、まだ小刻みに震えていた。

「...なんか、ホッとする」
レカが小さく呟く。
「あんたの絵、描かれてると痛くないんだ」

「痛く、ない?」

「ん...なんでもね」

テルは黙って線を重ねる。レカの強さの中に潜む儚さ。逆光に揺れる金の髪。窓の外を見つめる瞳の奥に秘められた何か。そして、今浮かべている弱々しい、でも少し安らいだような表情。

「あ」

レカが目を開ける。大時計塔で、魔導灯が次々と点灯し始めていた。ルドヴィクの発明した青い光が、街を覆い尽くしていく。

「もう、こんな時間」
レカが立ち上がる。その動きは、先ほどまでの儚さが嘘のように鋭い。
「仕事、行かなきゃ」

「レカ...」

テルが何か言いかけると、レカは軽く手を振った。

「今のは、あーしの休憩時間。明日からはまた、いつもの口うるさいレカでいるから」

そう言って彼女は窓に向かう。振り返った顔には、いつもの意地悪な笑みが戻っていた。でもどこか、さっきまでの安らぎの余韻が残っているように見えた。

「あ」
窓から出ようとして、レカが思い出したように振り返る。
「その絵、あーしにくれよ」

「うん...でも、まだ途中で」

「いいんだよ。途中のまんまで」

レカはそう言って、夕闇の中に消えていった。残されたテルは、描きかけの絵を見つめる。紙の上のレカは、まだ瞳の奥まで描き切れていなかった。

街は魔導灯の光で明るく照らされている。でもアトリエの中は、また薄暗がりに包まれていた。テルは、途中で止まったレカの絵を胸に抱く。

完成していない絵。語られない秘密。途切れた癒し。
それでも、二人はお互いの心を少しだけ、救うことができた気がした。

明日になれば、また街は動き出す。レカは暗い路地に消え、テルは父の光の下で生きていく。でも、この途中で止まった絵のように、二人の間には何か確かなものが残されていた。

アトリエの窓から、大時計塔がその影を落としている。その影は、まるで二人の運命を暗示するかのように、長く、深く、貧民街の方へと伸びていった。


 暗殺ギルドの執務室には、夜のような闇が満ちていた。窓から差し込む朝日も、厚い緞帳に遮られ、かすかな明かりを投げかけるだけだ。

「この街に必要なのは、表立たない正義だ」
スタヴロの低い声が響く。
「冒険者ギルドは表の秩序、我々は影の秩序を守る」

タティオンは書類に目を通しながら頷いた。
「獣人傭兵との関係も察知していたのか」

「ええ。反乱の芽は早めに摘まねば」
スタヴロは淡々と続ける。
「しかし妹は……少々荒っぽすぎる」

「レカか」
タティオンは微笑を浮かべる。
「彼女なりの正義があるのだ」

その時、扉が静かに開いた。

「ただいま戻りました」
レカが膝をつく。
「標的の処理、完了です」

「ご苦労」
タティオンの声は温かい。
「詳しく聞かせてもらおうか」

スタヴロが冷ややかな視線を投げかける。

「橋の封鎖を企てていた件、確認できました。傭兵ギルドの制服を着用し、勝手な徴収を……」

「他の関係者は?」
スタヴロが鋭く問う。

「全て、処理済みです」
レカの声が僅かに震える。

「痕跡は?」
「確実に消しました」

タティオンは満足げに頷く。
「よくやった。お前の働きのおかげで、街は安定を保っている」

「ですが」
スタヵロが口を挟む。
「現場の状況を見る限り、些か乱暴すぎやしませんか?」

レカの背筋が凍る。

「構わんよ」
タティオンが手を振る。
「結果が全てだ。レカ、よく頑張った」

その言葉に、レカは喉元まで込み上げてくるものを必死に押し殺す。
(言えない。あの子のことは……言えない)

「では、私はこれで」
レカは深々と頭を下げる。立ち上がる時、その手が微かに震えているのを、タティオンは見逃さなかった。

「レカ」
扉に手をかけた時、タティオンが呼び止める。
「今夜は家族で食事でもしようか」

その言葉に、レカの瞳が揺れる。
「はい……ありがとうございます」

扉が閉まると、スタヴロが溜息をつく。
「甘やかしすぎです」

「違うな」
タティオンは窓際に立ち、緞帳の隙間から差し込む光を見つめる。
「彼女には、まだ多くの仕事をしてもらわねばならん。そのための……必要な投資というわけだ」

執務室に再び沈黙が満ちる。廊下では、レカの足音が遠ざかっていく。その胸の内で、少女の最期の表情が、消えることなく焼き付いていた。

外では、朝の喧噪が始まりつつあった。暗殺ギルドの日常が、また一つ、影の中に沈んでいく。


 




◯第一章
夕暮れの貧民街。救貧院から戻る路地で、影から小さな刃物が閃いた。

「金を出せ!」
獣人の少年、十歳にも満たない。

レカは一瞬で少年の手首を掴み、刃を弾き飛ばす。
「こらぁ!死にてえのか!」

「レカ!」
テルが制する。
「優しく」

少年は地面に転がされながらも、歯を剥く。
「貴族の犬が!」

「まあまあ」
テルが笑顔で近づく。
「君、絵は好き? 救貧院で教えてるんだ。今度来ない?」

少年は一瞬、戸惑いを見せる。

「ほら」
テルはポケットから画用紙を取り出す。
「こんな風に、ね」
素早くスケッチを描いてみせる。少年の姿だ。

「…へた」
少年は小さく呟く。が、その目は絵から離れない。

「でしょ?」
テルは柔らかく笑う。
「もっと上手くなりたいんだ。君も一緒に描かない?」

レカは目を細める。
(テル、お前らしいな……)

その時。
少年の表情が一変した。

「うっせえ!」
懐から別の刃物を取り出す。今度は本気の殺意を乗せて。
「偽善者面して! てめえらのせいで、親も兄貴も……!」

一瞬の出来事。レカが少年を押さえ込む前に、刃がテルの頬を掠めていた。

「っ!」
テルの目が見開かれる。それは傷の痛みではなく、少年の眼差しへの衝撃だった。

「クソッ!離せ!」
暴れる少年をレカは路地に突き飛ばす。

「二度と顔を見せんじゃねえぞ。次は容赦しねえ」
低い声に、殺気が滲む。少年は震えながら逃げ去った。

沈黙が路地を支配する。

「……なあ、テル」
レカは疲れたように言う。
「この街はこんなもんだ。どうしようもねえよ」

テルは黙って頬の傷に触れる。その指先に、血の温もり。

 追加、レカが布でテルの傷を拭こうとする。その手をテルが優しく包む。レカは無意識の自分の好意の表れに戸惑い、手を引っ込めようとするが、テルはその手を握る。

「レカ、君は……あぶないしごととか、させられてない……?」

 沈黙の中見つめ合う2人。
 視線を外すレカ。

「関係ない街のこと」

二人は黙って歩き出す。
通りには人々の喧噪が満ちているのに、二人の間だけが異様に静かだった。

やがて、中央区と貧民街を分かつ川に差し掛かる。
夕陽に照らされた水面が、赤く揺らめいていた。

「じゃあな」
レカは振り返らず、貧民街への道を歩き出す。

テルは立ち尽くしたまま、レカの背中を見送る。
二人の間に流れる川は、この街の光と影の境界線のように思えた。

風が吹き、水面が波立つ。
その波紋が、二人の影を切り裂くように揺れていた。




 暗殺ギルドの装備室。レカが投げ刃を装着していると、スタヴロが静かに近づいてきた。

「今夜で全てを終わらせることもできる」

「……何を言ってるんです?」
レカは手を止めた。

「街を出る選択肢だ」
スタヴロは冷静に続ける。
「ルドヴィク様からの提案でね。テルと共に」

投げ刃が床に落ちる音が響く。

「父上は……?」

「知っている。むしろ歓迎しているようだ」
スタヴロは窓際に立ち、夕暮れの街を見下ろす。
「この街に必要なのは、確固たる意志を持った者たちだけだ。中途半端な理想を抱く貴族も、不安定な暗殺者も、邪魔になる」

レカは黙って落とした刃を拾い上げる。手が微かに震えていた。

「なぜ、今……」

「今夜の標的を知っているからさ」
スタヴロの声に、珍しく感情が滲む。
「エリオンは、かつて父上と共に戦った仲間だ。その相棒のルゥリィとね」

装備室に重い沈黙が落ちる。

「結局のところ」
スタヴロは背を向けたまま続ける。
「私たちは誰かの意志の道具でしかない。だが、お前にはまだ選択の余地がある」

レカは刃を鞘に収めながら、静かに答えた。

「兄さんは……私の何を知ってるつもりなんですか」

「お前の迷いさ。テルのことも、父上のことも、全てを」

「……」

「行くなら今夜だ。二人分の準備は既に整っている」

レカは装備を確認し、立ち上がる。
「私は、行きます」

「任務にか?」
スタヴロの声が冷たい。

「ええ。それが……私の選んだ道です」

「愚かな妹だ」

「兄さんこそ」
レカは扉に手をかける。
「私の何も分かっちゃいない」

夜の闇が迫る中、レカは暗殺の現場へと向かう。屋根を飛び移りながら、心の中で繰り返す。

(あーしには、他に道なんかない)

(だって、これしか……)

エリオンたちが潜む廃屋が見えてきた。月明かりに、レカの赤い瞳が光る。

(これしか、生きる意味を見出せないから)

影が忍び寄る。今宵も街には、暗殺者の足音が響く。
それは逃げ場のない運命への足音。
自ら選び取った、救いのない道への一歩だった。

建物の隙間から、テルの住む中央区の明かりが見える。
レカは一瞬だけ、その光を見つめた。
そして、闇の中へと姿を消した。


 月光が瓦礫の隙間から差し込む廃墟の屋敷を、Lekaは影のように滑るように進んでいた。昼間の偵察で得た情報を頼りに、エリオンとルゥリィの居場所を特定しようとする。レカの耳に、内部から女性の声が聞こえてきた。

「エリオンの妹を人質に差し出したのに、まだ信用してもらえないの!? 獣人傭兵部隊は酷いよ!」

「そう言うなルゥリィ。別々のギルド同士では警戒するのは当たり前だ」

レカは身を潜め、聞き耳を立てる。会話の主は標的……エリオンとルゥリィ。内容からすると、反乱者である彼らは共闘に不安を感じているのだろう。反乱の計画がまとまらないことへの苛立ちが伝わってくる。

(妹を差し出したのか……)

そしてレカは今から、兄の立場であるエリオンを殺す。自責の念が胸を締め付ける。しかしそれは、今夜の任務を遂行する決意をより強くする。内部からさらに声が聞こえてくる。

「ルゥリィ、落ち着いて話を聞いてくれ」

「もう無理なのよ!」

突如、ルゥリィの大声が上がる。レカはこの緊張状態を好機と見て、壁に身を寄せ、ゆっくりと内部に侵入する。

「……ごめんなない、ちょっとナーバスになってて……。でもエリオン、もうやめましょう。私たちには無理よ」

「でも、この街をもっとよくできるはずだ。冒険者ギルドの腐敗を正せば……」

「あなたは優しすぎるのよ。この街で何が起きているか、本当のことなんて誰も教えてくれない」

「だからこそ、僕たちが……」

「私、あなたとこのまま逃げ出したかった。小さな家で、二人で……」

ルゥリィの声に深い疲れが滲む。Lekaは思わず目を閉じる。先ほどスタヴロに言われた自分とテルの未来が重なる。

(クソ、関係ねえ。あーしはただのスティレット、標的の胸に突き刺さる一本の暗殺短剣に過ぎないんだ…っ!)

時間がない。Lekaは暗闇の中で短剣を握り直す。

(父さん……。これが、正義なのか?)

迷いを断ち切るように、Lekaは身を翻す。そして――廃墟となった屋敷の二階へと、音もなく飛び込んでいった。





 夏の終わりの夜。
暗殺ギルドの本部屋敷、三階のベランダ。
レカは手すりに背中を預け、夜空を見上げていた。額には血が付いている。

「酒でも飲むか?」

振り向くと、タティオンが立っていた。片手にボトルを持ち、もう片方の手には二つのグラス。長身の老人は、やや前かがみになって娘を見守るような姿勢を取っている。

「あ、はい……」

タティオンは黙って酒を注ぎ、一つをレカに差し出した。

「あーし、やっちまった気がします」

「ああ、そうか」

「あいつ、死にたくないって言ってたんです。でも、死んじゃったんです。それがあーしの手で」

「そうだな」

レカは一気に酒を飲み干した。タティオンは静かにグラスを満たし直す。

「おとうさん。あーし、人を殺すのって、もう慣れたと思ってたんです。でも……」

「慣れることなどない」

タティオンは夜風に吹かれながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「涙は枕に拭ってもらえ。涙を流すなら、枕に染み込ませるだけにしろ。他人に見せてはならん。ギルドの戦力が涙を見せてはいかん」

「はい……」

「だが、今夜はワシがお前の枕だ」

レカは父の胸に顔を埋めた。タティオンの胸からは、かすかに血のにおいがした。それは今夜レカが浴びた血のにおいと、どこか似ていた。

「あーし、正しいことをしたんでしょうか」

「お前は任務を遂行した。それ以上でも以下でもない」

「街のため、ギルドのため……」

「そうだ。お前は立派な仕事をした」

タティオンの大きな手が、レカの頭を優しく撫でる。その手のひらには、何十年もの殺しの記憶が刻まれているはずなのに、今はただ温かかった。レカは顔を上げ、父の目を見つめる。

「おとうさん。あーしのこと……本当に愛してくれてますか?」

タティオンは微笑んだ。その表情には慈愛が満ちていたが、目は笑っていなかった。

「愚問だな。お前は我が愛しい娘よ」

レカは再び父の胸に顔を埋めた。そうすることで、タティオンの目に宿る冷たい光を見なくて済む。父の愛情が計算づくのものだと気づいていながら、それでも信じたかった。今はただ、この温もりに身を委ねていたかった。

「さあ、もう遅い。休むがいい」

「はい、おとうさん」

タティオンは立ち去り際、ベランダの入り口で振り返った。

「レカよ。お前の心の優しさは、決して弱さではない。だからこそワシはお前を選んだのだ」

その言葉を最後に、タティオンは闇の中へと消えていった。レカは夜風に吹かれながら、まだしばらくそこに立っていた。血のにおいが消えるまで。心の痛みが和らぐまで。

翌朝になれば、また彼女は冷酷な暗殺者として街を歩かねばならない。でも、今夜だけは——ただの寂しい少女でいることが許されるのだ。

レカは空を見上げた。今宵の月は、どこか父の目に似ていた。温かく、そして冷たく。


近くの木の影でバルコニーを見るレカ。リリアを抱きしめるタティオン。レカの時より嬉しそうだ。テルのアトリエのところへ行くレカ。しかし中を覗くと、自分の絵をぶち壊しているテルが見えた。「こんなもの、何の意味があるっていうんだ!」

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