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【小説】声フェチの夜

「私ね、声フェチなの。だからダークウェブで海外の事故現場の映像見てるんだ。被害者の家族が泣き叫んでるやつ。いいよね。あれ。愛を感じる。私の息子が、私の息子が、って、何かわからない言語で言ってるの。言葉がわからないぶん、感情にダイレクトに伝わってきてね、いいんだよ」

 藤崎さんをアパートの一室に招き入れ、コーヒーを入れていた時、背中に浴びせられたのはそんな言葉だった。

 無地のマグカップからコーヒーパックを引き上げる手が止まる。彼女の方へ振り向く気にもなれない。

「それ引かせようと思って言ってる?」

「えー? なんで?」

 勇気を振り絞るというわけではないが、少しの抵抗感を押し殺して声の方を振り返る。

「いや普通にドン引きなんですけど」

「去年の、会社の新歓でさ」

 彼女は、まるで今の会話など無かったかのように続けた。

「君が帰ったあと、先輩、君のこと、こう言ってたよ。ヤバいやつだって。ひどいよね。オタクじゃんって。営業してる人ってオタク嫌いなのかな。君、別に変なこと言ってないじゃん。ただ先輩に無理に今ハマってるもの聞きだされて、正直に答えただけで」

「……その時その声フェチの話してたら藤崎さんの方こそやばかったっすよね」

「そーだね。でもこの話はこれから寝る相手にしかしないから」

 その言葉を聞いて、やっと台所からリビングへとコーヒーを持っていく気になった。ソファに腰かけた彼女は、スマホを見るでもなく、テレビをつけるでもなく、ぼんやりと女の子座りをしていた。俺は四角いニトリ製のテーブルの対角線に座った。一番彼女から遠い位置だ。あえて選んだ。右手のコーヒーカップを中央に置き、自分のは手に持ったままで。

「高校のとき、浴衣姿でゲームセンター行ってね、クレーンゲームしたんだ。彼氏が直前でバイク窃盗でパクられてさあ。仕方ないから花火見るのやめて一人でゲーセン行ったの、そしたらさー。クレーンゲームでぬいぐるみが取れない女の子が泣いててさあ。癇癪だよね、あれね。床に寝転がって手足をめちゃくちゃに動かしてたの。ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ泣き喚いてて……」

 彼女が俺を見た。

「興奮したな。事故で頭打っておかしくなっちゃった海外の人みたいで」

 唐突な告白は続いた。だが今度は、その言葉に潜む何かが見えたような気がした。

 彼女は痛みへの共感を求めているのではない。痛みそのものを求めているのだ。それは愛おしさと紙一重の、歪んだ形の親密さなのかもしれない。

 僕はコーヒーを一口飲んで考える。人は誰しも、他人の心の闇に触れたがる。それは好奇心なのか、共感なのか、それとも──。

「あのさ」

 僕は決意を固めて切り出した。

(ここまでをClaudeの支援のもと北條カズマレが書き、以降をOpen AI o1が書く。方言監修:北條カズマレ)

「そういうの、普通の人には引かれるよ。でも、僕は──」

 言いかけて、言葉を止める。何をどう言えばいいのだろう。コーヒーをもう一口、口に含む。けれど苦みが舌を通りすぎても、心のざわつきは収まらない。君の声フェチや、ダークウェブで悲痛な声を探す行為を「わかるよ」と肯定するのは簡単ではない。でも、否定して切り捨てるのは簡単だし、それじゃあ彼女と向き合っていることにはならない。僕自身、そこにほんの少しの興味があることを認めざるを得なかった。

「……普通に考えたら、オカシイよ。誰かの泣き叫ぶ声を好んで見るなんて。それを『愛を感じる』って言いきるなんて」

 彼女は何も言わない。ソファに腰かけたまま、顔を伏せている。もしかしたら、僕が彼女を責めていると感じたのかもしれない。そんなことはしたくない。したくないのに、僕の言葉はどこか攻撃的だ。

 視線を落としたまま、彼女は小さく息を吸う。そして、細い声で言った。

「……変だよね、やっぱり」

 ごめん、と言いかけた唇が、コーヒーの苦みとともに縛られる。彼女はこう続ける。

「でも、私、小さいときからこうなんだ。痛みとか、泣いてる声とか、辛そうな声とか……なんか、心が動いちゃうんだよ。好きなわけじゃないの。こう……何て言えばいいのかな。そこにある気持ち? 愛情が混ざってる感じ、そういうのが“純粋”に思えてしまうのかな」

 俺はじっとそれを聞いていた。コーヒーを一定の間隔で啜る。多分、聞いてるようにも聞いてないようにも見えていると思う。意識してそうした。相槌も最小限に。

「私が声に執着するようになったのは、おばあちゃんが亡くなった時からかな」

 その瞬間、俺は思わず失笑しそうになった。ごく普通の、誰もが持っているような喪失体験。それを持ち出して自分の異常性を説明しようとする。まるで週刊誌の実話コーナーみたいな安っぽさだ。

 藤崎さんは、コーヒーカップを両手で包むように持ち、温もりを確かめるように見つめている。演技じみた仕草にも、どこか作り物めいた雰囲気を感じた。

「病院で、おばあちゃんの最期に立ち会えなくて。でも、家族が録音した声だけは残ってた。『イオリちゃん、大好きだよ』って」

 ドラマのような台詞。そう思った瞬間、俺は自分の皮肉な目線に気がついた。なぜ俺はこんなにも彼女の言葉の端々に、偽物を見出そうとしているんだろう。もしかしたら、本当に彼女の中にはそんな清らかな動機があるのかもしれない。でも──。

「藤崎さん」

 声を出す。彼女は表情を曇らせることもなく、柔らかに頷いた。

「その話、本当ですか?」

「……ふふ」

 彼女は小さく笑う。予想外の率直な質問に驚いた様子もない。

「嘘を見破ったつもり?」

「いや、嘘かどうかは重要じゃない。ただ、それだけの理由で人の痛みに魅せられるわけないでしょう。おばあちゃんの声を求めるなら、なぜわざわざ事故現場の悲鳴なんですか」

 彼女は黒い瞳を僅かに細める。そこには、さっきまでのか弱い少女のような雰囲気は微塵もない。

「やっぱり鋭いね。そう、私もそう思うの。理由なんてきっとない。説明できないものを、むりやり説明しようとしたら、こんな陳腐な物語になっちゃう。でも人って、そういうのを求めるでしょ? 理由も背景も、すべてが釣り合ってる、きれいな物語」

 俺は思わず唾を飲んだ。彼女の言葉には、どこか痛々しいほどの正直さがあった。

「本当は、ただの趣味かもしれない。でも、そうは言えないでしょ? 『なんとなく、人の痛む声を聞くのが好きなの』なんて。だから適当な理由を作る。でも、その理由自体が嘘くさいって気付いてる。気付いてるけど、それ以外の説明の仕方を知らない」

 彼女はコーヒーに口をつける。その仕草には、もう演技めいたところは微塵もない。

「君は私の嘘を見抜いた。でも、その嘘の下にある本当の私を、まだ理解してないよね?」

「......ええ」

 正直に認めた。カップの中で、黒い液体が揺れる。

「理解できるとも、理解したいとも、今は言えません」

「それでいい」

 彼女は微笑んだ。その表情には、さっきまでの作られた愛らしさはなかった。ただ、どこか虚ろで、それでいて確かな存在感のある笑顔。

「理解できない私を、ちゃんと理解できないと言える君が、私は好き」

 コーヒーは完全に冷めていた。けれど俺たちは、まだカップを手放そうとしなかった。それは、これから始まる何かの、ほんの序章に過ぎないと感じていたから──。

 彼女の目は沈んだまま揺れている。その揺らぎを見て、僕はコーヒーを置き、そっとテーブルの向かいに腰を下ろした。

「僕もさ、単純にドン引きってわけじゃないんだ」

 たぶん、僕自身もどこかで彼女の“闇”が気になっている。なぜそんなものを追い求めるのか、どんな感情が渦巻いているのか。理解するほど怖いものはない。それでも、ここで逃げるよりは、一歩踏み込みたいと思った。

「藤崎さんが、その……“痛み”みたいなものを求めるのはわかった。でも、同時にそれって誰かと深く繋がりたいからなんじゃないかって思う。もしかしたら……僕は間違ってるかもしれないけど」

 彼女はうつむいたまま、かすかに首を横に振る。

「わかんない。私にも。痛みがあって、そこに愛があって……でも、実際それを求める自分はすごく悪趣味で、嫌な人間なんじゃないかって思う」

「そこまで頭でわかっているなら、まだ救いはあると思うよ」

 自分でも場違いなセリフを言っているのはわかる。でも、僕なりにかけられる言葉は、それくらいしかなかった。

「……やっぱり変わってるね、君」

 顔を上げた彼女は、ほんの少しだけ笑っているように見えた。半ば呆れたような、その残り香のような微笑み。それが悔しいくらい綺麗で、僕は正直ドキッとしてしまう。

 そんな僕の心情を察するように、彼女は口角をわずかに引き上げる。ゲームセンターのクレーンゲームで取ったという、おかしなぬいぐるみのエピソードを楽しそうに話す時の、あの表情に似ていた。


「……何か、聞いてみたいことある?」

 彼女は少女のように首をかしげる。素直にそれを可愛いと思ってしまう自分がいる。ダークウェブーー多分、特別なブラウザとか使ってなくて、「ダークウェブ」って名前の転載ブログだと思うけどーーや泣き叫ぶ声への嗜好など、一筋縄では理解しがたい事柄が彼女の中にある。けれど、人間はそんな単純ではない。自分でも説明できない闇を内包して生きているものだ。僕がそうであるように、彼女もまた、その“闇”から逃げないでいる人間なのかもしれない。

 やや緊張して、僕は口を開く。

「もしさ、本当に誰かの痛みを求めるなら、今ここにある、僕の気持ちはどうなのかなって」

「君の気持ち?」

「理解したいけど、少し怖い。だけど知りたいし、受け止めたい。でもまだ全部はわからない……この曖昧な僕の不安定さみたいなものも、“声”として感じたりするのかなって」

 自分で言っていて、何だか恥ずかしい。でも彼女は逃げずにまっすぐ僕を見つめると、少し笑う。

「うん、聞こえるよ。君の声。恐る恐る寄り添おうとしてくれる感じ。ちょっとだけ頼りないけど、でも優しいね。そういうの、嫌いじゃない」

 彼女はそう言うと、身体を前に倒してテーブルに身を預ける。気を抜いた幼子のように見える、その姿に僕は息をのんだ。

「……そっか。じゃあ、もう少しだけ、聞いてもいい? 藤崎さんのこと」

「いいよ。でも、ちゃんと覚悟してね?」

 彼女の色素の薄い瞳に灯るものは、好奇心か、それとも暗い笑みか。僕はその曖昧さごと受け止めるために、胸の内で呼吸を整える。

 人は誰しも他人の心の闇に触れたがる。けれど同時に、それは自分の闇を照らしてしまうリスクも孕んでいる。僕はコーヒーの冷めた苦みを噛みしめながら、彼女の瞳の奥を見つめ返した。

「大丈夫だよ。僕はここにいる」  

 言葉を紡ぐ僕自身の声が、どこか震えていたかもしれない。それでも彼女はうっすらと微笑んだ。それは、長い夜の入り口に相応しい、危うくも温かい合図のようだった。

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