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【小説】気づきのホモデウス(前編)

 暮れかけた夕陽が、灰色のビル街をオレンジ色の光で染め上げる。その光が、西日に弱い相棒の顔に当たると、思わず眉をひそめて「暑苦しいな」とぼやき始める。いつもの小さな愚痴が、奇妙に心地よかった。  
 俺たちが初めて出会ったのは、警察民営化反対の声が、まだ黙らされてなかった頃だったか。俺が非広告収益型刑事として駆け出しの頃だ。相棒は俺より年上で、国家解体大戦のずっと前に政府の刑事部門から独立して探偵事務所を構えていた。彼は警察内部の硬直したシステムに嫌気がさして、より自由なネット配信型探偵として証拠を追いかけることに専念する道を選んだという。  
 それからしばらくして俺も警察を辞め、自分の正義を貫こうと相棒に声をかけ、二人で非広告収益型探偵事務所を立ち上げた。最初はコミュニティの喜捨積立金が原資だった。小さな浮気調査や、中小企業の不正を探る裏仕事。コミュニティへの貢献度が低い仕事がメインだった。だが俺たちは次第に、そういう場にこそ社会の……なんというか、不正の闇とまでは言わないが……あれだ。小市民たちのちょっとした怠慢と見て見ぬふりの結果ってやつに出くわす。暗い路地裏の放置死体、ブロック使用権を獲得してまでネットにあげるほどでもない書類の偽造、すれ違うさまざまな人間模様……主に身体改造に関する些細な感情のもつれ。闇は浅く、そしてくだらない、そしてそんなものの積み重ねが社会を生きづらくしていた。そんなくだらない汚物処理みたいな仕事ばかりの10年だった。だが、それをなんとかやっつけて、コミュニティを健全化することに生きがいを感じるようになっていた。
 相棒はときどきこんなことを言っていた。仕事帰りの無人タクシーの中で、禁止薬物のタバコを吸いながら、窓の外の飲料用降雨を眺めつつ。
「真相は藪の中。みんながみんなめいめい勝手なことを言って、出鱈目な事を真実だと信じ込む。だから俺たちみたいな奴が出張ってきて、証拠を集めて本当のことを明らかにしないといけない。けどな、相棒。わざわざここまでしないと真実に辿り着けない現実を、俺たちはよく知っているだろう? 世の中には、ものがなくなったとか、言った言わないの喧嘩とか、本当に些細なことが山ほどある。その一つひとつを正しく解決してやる暇なんて、ないんだよ。結果として、真実のラベルを貼られた出鱈目な噂が世の中の情報マーケットに大量に出回る。ディープフェイクをいくらスクリーニングしても、民主的な手続きで市民権を得た嘘はどうしようもない。そしていつか、そんな嘘のかたまりが、大きなうねりとなって、大事件が起こる。そうなれば俺たちみたいな零細ではなく、巨大な人型ロボットを乗りこなす、広告収益型刑事の出番だ。なあ、もしこの世がそんなふうにできているんだとしたら、おれたちはむしろ……」  
 そこまで言って、相棒は火がついたままのタバコを座席のフィルターに突っ込んだ。車内の違法化学物質が許容量を超えるとエラーが出て、車両の利用権を剥奪されずに済むんだ。その小さなハッキング行為もまた、彼が言いたいことに関連しているようだった。そうして奴は黙ってしまった。その先の言葉を飲み込んでしまったわけだ。煙草が苦手な俺は、奴がそれを吸うたび、いつも苦笑いを浮かべるだけだ。  
 「考えすぎだぜ、相棒」  
 そんな軽口を叩き合える日常が、いつまでも続くと思っていた。だが、気づきって奴は人間をいつまでも放っておかないらしい。昔なら、カルマとか言ったのかもしれないが。

 数日後。相棒は突然死んだ。  
 早朝、広告収益型警察からのメッセージで知らされた。表向きは「自殺」とされたが、俺はまったく信じていない。相棒があんな形で自ら命を絶つなんてあり得ない。なぜなら、俺たちはつい先日までこれまでになく巨大なヤマに手をかけようとしていたからだ。  
 相棒は死ぬ前日まで、ある株式国家の大株主の不正取引に関する、重大な証拠を追っていた。
「もう少しで裏が取れるんだ。お前にはメタ情報だけ伝えておくよ。危ないヤマだからな」
 そういう話は無人タクシーでするのがおきまりになっていた。タクシーの周回ネットワークの追跡不能性を、俺たちは信用していたから。奴はその株主の情報をさらに深堀りするため、経済ヤクザとの接触まで図ろうとしていた。そんな最中に「自殺」というのは、あまりにも不自然だった。  

 遺体と対面した時の光景は、今も忘れられない。衝撃を受けながらも、俺は探偵としての目で現場を見渡していた。確かに部屋の鍵は内側から閉まっていたし、彼の手には自殺を示唆するようなメモまであった。だが、そのメモは相棒の書く文章の文体とはまるで違っていた。さりげない言い回しのミスや、筆圧やクセが出るはずの箇所が妙に違和感を放っていたのだ。  
(奴は殺されたのだ)
 頭の中でその言葉が繰り返される。だが証拠不十分とみなされ、広告収益型警察は「自殺」と断定して捜査を打ち切った。いつものパターンだ。ネット配信で盛り上がらない案件を、奴らは本気で追いかけたりしない。

 非広告収益型経済圏の仕事仲間や、生産活動従事者の友人のほとんどは「あんな勤勉な奴が……」と怪訝そうに首を傾げるが、それ以上には踏み込んでこない。誰もこの死の裏にあるモノを知ろうとはしない。結局は、表面上の「真実」に丸めこまれ、誰もがそのラベルを疑わなくなるのだ。いや――疑わないふりをするのだろう。危険に近づきたくないからじゃない。個人用情報収集/フィルタリングAIが毎日のニュースヘッドラインに並べる以上の情報を処理できる人間は少ない。広告が表示されないレベルの購買力しかない貧困層なら尚更だ。日々の生産活動に追われ、見なかったことにする。  
 俺だけが、相棒のために、この曖昧な真実と戦わなくてはならなかった。それ自体はいいんだ。そもそもそういう仕事だからな。

 しかし、相棒の死を境に、俺のプライベートは急激に崩れ始めた。  
 実のところ、俺には妻と小さな娘がいる。二人の存在が俺の心の支えである一方、探偵の仕事は昼夜を問わない。張り込みや裏取り、時には危険な潜入調査に時間を取られ、家族と食卓を囲む機会も激減していた。仕事柄、守秘義務が多く、妻に詳しいことを話せないもどかしさもあった。  
「パパ、今日は一緒に夕飯食べられる?」  
 幼い娘にそう尋ねられても、俺はいつも曖昧な笑顔を浮かべ、うなずくことができない。結局、家族のためと言いながら、俺は家族と過ごす一番大切な時間を犠牲にしていたのだ。プライベートへの還元の少なさが、じわじわと家庭に不和の影を落としていた。  
 相棒が生きている頃は、そんな葛藤を彼とよく飲み屋で愚痴り合っていた。  
「お前のとこも大変だよな。俺もそうだ。仕事で真実を追いかけてるのに、一番身近な妻や息子には、そこで得た気づきすら渡してやれない。家族が何を望んでるのか、知ってるはずなのに――」  
 相棒がカウンターでしんみりつぶやく。  
「子どもの誕生日も記念日も、ことごとくすっぽかして、俺たち何やってんだろうな。自分だけが解き明かした真実なんか、自分だけしか興味を持てないようなクソみたいな真実なんか、コミュニティどころか家族にも話せないような真実なんか……」  
 互いに酔いかけた頭で、空虚な笑い声を響かせる。俺はただの仕事仲間のこの相棒が、急に無二の親友のように思えてきて、必死で慰める言葉を探った。
「いいじゃねえか。配管工が、どこのバルブを閉めればいいかの真実について気づいたことを家族に話すか? 水道を使う人間にとっては、水道さえつかえればいいんだよ。蛇口を捻る、水が出る。それでいいんだ。その下でどんなパイプがどこに繋がってて、上層都市の排水から浄水場を通って、自分のところまでたどり着くのに、どこでどんな問題が起きてどう解決されたかなんて、気にしないだろう? この世のことは万事そういうもんだ。問題を解決する人間は、気づきなんて自分のところで滞留させておけばいいのさ。元々コミュニティにも家族にも還元できねえもんなんだ」
 相棒は、そうなのかねえと言って、酒を煽った。
 そんな俺たちに、なぜかわずかな誇りがあったのも事実だ。「誰かがやらなきゃならないこと」を俺たちが担っているというプライド。しかし、その裏にある貧しさ――「仕事で得た気づきを家族に還元できない」惨めさ――は、確かにあった。やれ、あの食品会社はこんな不正なデータを隠してたんだぞ、発癌リスクがないなんてウソだ、お父さんはちゃんと書類の誤魔化しを知ってるんだ、なんて言えないんだ。おおかた、妻がスーパーで具材を買ってきた時に、ある商品を見て嫌な顔をして見せるくらいだ。もっと酷い隠し事もある。実際、娘の同級生が、俺がもっとちゃんと言いふくめておけば、都市の垂直昇降装置の不備で落下事故で死ぬようなことは起こらなかった。娘だけは、俺が遠回しに言った通学路の変更を、受け入れてくれていたんだが。

※この作品は以下のメモをもとにo1に執筆をさせたあと、さらにそれを筆者が改変したモノである。

同僚「真相は藪の中。みんながみんなめいめい勝手なことを言って出鱈目な事を真実だと言い張る。だから俺たちみたいなのが出張ってきて証拠になるものを集めて本当のことを明らかにしないといけない。でもよお、相棒。わざわざここまでしないと真実が明らかにならないってことを俺たちはよく知ってるけど、日々のなんでもない、例えば、ものがなくなったとか、言った言わないの喧嘩とか、そういうものはどうすればいいんだろうな。とてもじゃないが手が回らない。そうして真実のラベルが貼られた出鱈目がみんなの人生のマーケットに出回って、いつかそれが大きなうねりになって、俺たちが出てこなきゃいけないくらいの大事件が起こるんだ。なあ、そうだとしたら、おれたちはむしろ……」

主人公「考えすぎだぜ、相棒」

それから数日後、相棒は死んだ。

自殺だということだったが、おれは信じなかった。

殺されたのだ。

そして主人公はプライベートで気づきを無視した結果を突きつけられ、「ホモデウスになるための選択」をしないといけなくなる。

プライベートの不和、仕事での情熱、仕事で得たものをプライベートに還元できない貧しさ。仕事で得た気づきを家族に提供できない貧しさ。

「気づき」こそ重大な選択の時にあなたの背中を押してくれる。ー

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