オンライン授業か対面授業かそれが問題だ
(本文章は私個人の見解による解釈、表現が含まれていることを予めお断りしておきます)
日常は大事だ、それは誰にとっても
#大学生の日常も大事だ というハッシュタグでTwitterがにぎわっているらしいです。
https://twitter.com/D6Hy1q0FQJuxtPO/status/1284137078914076673
私は教員側ですが、その気持ちは少しはわかります。
そりゃオンラインばかりは辛かろう
学生にとっては、延々とディスプレイ画面に向かってずっと授業を受けていなくちゃいけないのは辛いだろう。
大量の課題も辛いだろう。
友達と話したいだろう。
タピオカだって飲みたいだろう。
新入生だったら友達を作りたいだろうし、サークル活動なんかやってみたいだろう。
彼らのキラキラしたキャンパスライフの日常が戻ればいいと私も願っています。
でも、残念ながら今は難しいです。
そしてもしかして最悪の場合は、これからも。
教員も辛い
さて、一方で教員もなかなか大変です。
そして圧倒的に孤独です。
別に辛い自慢をしたいわけじゃありません。淡々と事実を書いていきます。
以下は先週1週間の私のスケジュール。
日曜:夕食を食べた後から3:00過ぎまで、メール処理、翌週や翌日の授業準備。(なぜ昼間やらないのかって?子供の面倒を見たり家事をしているからです。オンライン授業開始直後は土日の昼間も授業準備をしていました)
月曜:午前授業の後、午後いっぱいゼミ、からの会議(22:00まで)、からの火曜の授業準備が3:30まで
火曜:朝から終日授業の後に学生のオンラインアンケート作成〜夜半まで
水曜:午前授業準備、午後会議が6時間
木曜:膨大なメール処理と金曜の授業準備と採点作業
金曜:午前授業の後に午後はお腹が気持ち悪くなって寝込む。起きたら夕方、会議の議事録を書いて途中で力尽きる。
土曜:午前は家事、午後は朦朧として身体を休めつつ家族と過ごすがどこかに出かけられるわけでもない。外食もできない。公園に行くかスーパーに買い物か図書館くらい。
オンライン飲みなんてしたことない。
これまでもそんな時間は皆無。
おそらくこれからもない。
圧倒的に孤独な労働環境
授業はすべてオンライン授業。
授業の準備をする時は一人。
圧倒的に一人。
会議はすべてオンライン。
みな疲れ切っているのか、活発な議論が出てこない感じです。
もしかしてみんな遅れてきた5月病状態なのかもしれません。
報告を聞いているだけの会議も連続します。
気がつくと1日中無言でずっとキーボードとディスプレイに向かって過ごしています。
1日12時間以上。多い時は16時間くらい。
時々腰をやられないようにストレッチをする。
外に目をやると晴れの日もあれば雨の日もあるが、基本的にあまり関係ありません。ずっとPCの前ですから。
外に出れるのは夕方の散歩の時だけ。雨の日は出れない。
まるで囚人です。
SNSはほとんど見る暇がありません。見ていたら時間が経ってしまいますので見ないようにしています。
ニュースを見るのは新規感染者数をチェックする夕方以降だけ。
新しいキャッチフレーズが出てくるのを確認して、夕ご飯食べてお風呂入れてからまた授業準備作業を再開します。
これでも先月よりもだいぶ慣れてきて少し心の余裕が出てきました。
関係ないけど先週末は、ひどく寝違えました。
「寝違えて、梅雨寒」
自由俳句ができそうです。
時々街頭スピーカーから「新型コロナの感染拡大防止に〜取り組みましょう〜」と聞こえてきてすごいディストピアで近未来な感覚を覚えます。
授業をしてもDiscordだとひたすらタイピングしているし、Zoomを使っていても画面共有しながらひたすら喋っているだけ。
しゃべっている分だけこちらの気は紛れているが、学生の顔が見えないのはなかなか感触がわかりません。
慣れてはきたのですが、単純にわからない。
通信量の負荷を下げるためと無理強いのパワハラにならないように、講義中はカメラは自分だけオン、他はオフにしています。
時々、学生の部屋の中に干してある洗濯物が目についたりするので、やんわりと背景機能を教えたりします。
少人数ならば授業開始時と終わりの時にカメラをオンにさせて顔を確認します。
誰とも会話が成立していない。画面の向こうには10数人の時もあれば120人くらいが見ている(はず)の時もあるけど、会話をするわけではありません。
ずーっとやっていると自分が腹話術師の人形のような気持ちになってきます。
しゃべっているのはたしかに自分だけど、喋らされているのか、喋らせているのか。
唯一ゼミだけは会話ができて人間らしいコミュニケーションができます。
学生はなんとなく鬱々とした表情なのでこちらが頑張ってテンション上げていきます。
しゃべるとゼミの学生もなんとなくほっとしたような顔になっている気がします。気のせいかもしれないけど。
1日のうち、家族とご飯を食べる時と子供とお風呂に入る時だけが「会話」している時間、あとは一人でずっとPCの画面を見ています。
最後にちゃんと家族以外の大人と話したのはいつだろう?
教員同士はなかなかオンラインで話すことは少ないです。なぜならばそれぞれがオンライン授業の準備に忙殺されているから。
または他の人は順調にいっていて、自分だけが周回遅れでムダにもがいているのかもしれません。
「へえ、そんなところで苦労してるの?」
と苦笑されたら、とチラッと考えないでもないです。
いや、たぶん考えすぎ。
一人で作業をするのが好きな私でもここまで圧倒的に一人の状況はなかなかなかったので、なんだか狐に化かされているように時間が過ぎていきます。
(ほら、もう午前一時過ぎ)
気分転換も休憩も下手くそなのか、クタクタになるまでPCの前にいます。
たとえ寝ている学生がいる授業でも、面と向かって話していてどれだけ多くの情報と目に見えないコミュニケーションがあったかがわかります。
それが教員側にとってどれだけ救いになっていたかも。
限界に近いのは学生だけじゃない。でも、、、
教員はうまくやっている人もいるかもしれませんが、いろいろ限界の人はいるんじゃないでしょうか。
少なくとも家庭のある教員は奥さま達は相当イライラしていると思います。
普段いない人がいるだけで、例え自室にこもって仕事していてもペースが狂うようですから。そして時々本人は辛そうな顔をして家の中を飲みものを飲みにウロウロしている。
鬱陶しいことこの上ないでしょう。
通勤ゼロ時間だから楽だろうなんて誰が言ってますか?
(通勤が運動だってことがよくわかりました。今は血行障害が起こりそうなくらい座りっぱなし)
大学は学費や施設費の一部を返還しないで儲けてる、教員は楽をしてるとか誰が言っていますか?
(大学に行って授業をしていた方が実は効率が良いのです)
研究が進むから後期もオンライン授業を教員が希望しているんだろう、なんてどうして言えるんでしょう?
(4月からこっちほとんど研究に時間を使えていません。なんなんだこれ。しまいには自分の能力を疑い始めてきたし、研究者なのかどうかもわからなくなってきそう)
そりゃ中にはそういう問題のある「教員」もいるかもしれません。
ちゃんと講義をせずに、レポート課題だけ出してひたすら学生に書かせてる「授業」をしている教員。
学生の理解度とかはお構いなしにポンポン演習課題を出してフォローはまったくせず、「授業」を進める教員。
でも、みんな初めての事態です。誰が誰を責められるというのでしょう。
心ある大多数の教員はなんとかこの状況をプラスに持っていこうとしています。なぜならば、もうかつての教育の日常には戻れない、と多くの「まともな教員」が予測をしているからです。
ならば、今が教育を進化させるチャンス。
そう捉えるしかありません。
これまでいろいろと折り合いがつかなくてできなかった試みができるチャンスでもあると考えたら状況は変わります。
少なくとも意識の上では。
なぜオンライン教育をやっているのか
しかし、そんな大学のオンライン教育に対して、冒頭のように世間の風当たりは強いものがあります。
小中高が動き出しているのに、街には人がいるのに、なぜ大学だけが対面授業へ動き出さないのか。
オンライン授業は本来の授業の形じゃない。
高額な授業料に見合っていない。
大学の設備も使えないのはけしからん。設備費を返金するべきだ。
そんな圧力とも言える声が波状攻撃のように聞かれています。
でも、なぜかみんな判を押したように言うことが同じで、言い回しがニュースで言われているのと同じなのが特徴ですが。
大学がオンライン教育をやっている理由は単純です。
(※以下は私個人の見解です)
学生に必携PCという環境があって教育を止めなくてすむため。
そして学内に感染者を出さないため、学生同士で感染を拡大させないためです。
大学という空間は密も密、大密を前提として回っているところがあります。
講義には100人以上が集まる、サークル活動でも学生同士は接近している。ラウンジ、学食、感染のリスクを避けるのは、部屋の換気では間に合わない可能性が高い。
圧倒的な人の数、それが一定の空間にいる。
1〜2mのソーシャルディスタンスを保つのは不可能。
病院と違って大学では防護服はなく、エリア分けもできない。
そして学外では、キラキラしたキャンパスライフを彩る象徴とも言える、飲み会、アルバイト、集まるイベントもあります。
そこに行くのを止めることはできません。
対面授業を開始し、無症状の感染者が登校し、他者に感染していったらどうなるか?
よしんば彼らが発症しないとしても、無症状のままそれぞれの家に帰っていったその先には保護者がいます。40〜50代の保護者、そして中には70〜80代の祖父母と同居している家庭もあります。
重症化または死亡するリスクが高い世代です。
そして若くても感染者が重症化するリスクはゼロではなく、無症状であっても後遺症に悩まされる事例が出てきています。海外では重症化から死亡するケースがあります。
その確率はものすごく小さくてもまったくのゼロではない。
そう、まったくのゼロではないんです。
それを直視せずに、若者はほとんど重症化しないので感染者が20〜30代の間に増えても、医療体制は逼迫していないから大丈夫とジャッジをする一定数がいるのはなぜなのでしょう?
新型コロナの死亡率はインフルエンザ以下と言って、大学も対面授業をするべきだ、という声があがるのはなぜでしょう。
学生がかわいそうだ。
学生は辛い。
大切な青春時代をそんな目に遭わせてけしからん。
その声をあげている人は本当にわかっていて声をあげているのでしょうか?
大学の対面授業開始は、大学の教職員、学生、保護者が参加する壮大なロシアンルーレットといっても過言ではないことを。
(※これは私個人の見解です)
世間の声の圧力に押されるように6月下旬から対面授業を開始した大学が各地にあります。
1〜2週間経過して学内の感染者が出てきている大学が数多くあります。3月の頃と比べてなぜかニュースになっていません。
上記の事例を見ると、大学で感染者が判明した場合、行動履歴を追い、キャンパスを数日間封鎖し、消毒を行い、学内での濃厚接触者のPCRを検査をしているようです。学外で感染した/しない、感染させた/させていないを大学が声明で発表するケースもあります。
その間はもろもろがストップ&ゴーして、さらにあらゆる場面で消毒を徹底しながら「対面授業」を続けていかないといけない。
おそらく一度や二度じゃ済まないのではないでしょうか。そうすると授業スケジュールは寸断していく可能性があります。
今、夏休みがほとんど消えたことが問題になっていますが、後期はもっと短い冬休みがなくなる可能性も出てきます。
大晦日とお正月に授業をやりたいですか?
そして年明けの入試スケジュールに影響が出る可能性もあります。
対面授業でどんな対策が考えられるでしょう。
学生には毎日検温報告をさせ、手はこまめに消毒させて、常にマスクを着けさせる。
授業中は学生同士の会話はなるべく控えさせ、大声で話すのを禁止し、必要以上に大学に長時間滞在するのをやめさせる。(つまり、授業が終わったらさっさと校舎から出るようにする)
飲み会やカラオケに行くのも禁止する。
上記を実際にどこまで実施するかはわかりませんが、もしこのような対策を行なった場合、対面授業を始めたとしても学生が求めていたはずのキラキラしたキャンパスライフとはだいぶ遠い姿になってしまうかもしれません。
ロシアンルーレットを回すのか
経済を回すことも大事でしょう。
もうどうにも限界に近づいている産業があるのは知っています。
でも、それと命を秤にかけていいいのでしょうか。
コロナで死ぬ前に経済に殺される、とも言われています。
でも、命あっての経済です。
死んでしまったり健康を損ねたら、お金も使えませんし稼げません。
だから論理的にロシアンルーレットの弾の確率がゼロにならない限りは、学生に楽しくない、辛いとディスられながら不満を持たれながらも、孤独感に苛まれながら教員はオンライン授業をやっていくしかないのかなと思っています。
それが今、教員にできる唯一の命を守る行動だからです。
(※しつこいようですが、私個人の見解です)
それでも対面授業、オンライン授業と並行する対面授業(ハイブリッド授業)を実施するのなら、ロシアンルーレットに参加する覚悟をもってやるしかないと思っています。
大げさと言われるかもしれませんが、そのくらい行動履歴の不明な大量の人々が大学に集まるのです。
なし崩し的な再開
オンライン授業をやって必死に食い止めているつもりでいる側から、Go Toキャンペーンのニュースを聞くと暗澹たる気分になります。
企業のテレワークがなし崩しになくなったのもそうです。
なに考えてるの?
広めようとしているの?
未収束のまま経済活動を再開して、感染者が広まっているのは、スウェーデンでもアメリカでもすでに前例があるのに、なぜ見ようとしていないのでしょうか?
これで感染者が増えて重症患者が中高年齢者層に増えて、医療も経済が回らなくなっていったら、大学に進学できる家庭は減っていき、学生数は減っていくでしょう。
そうすると大学は無事では済みません。
そこまで見てロシアンルーレットを始めるのに抗っているのがオンライン授業、とも言えます。
(※個人の見解です)
一大学教員がこんなことを思って書き綴っていても力はないのかもしれません。
個人的には、今はジワジワと首が締まっていく感覚を感じながらも、焦りと不安を突き抜けた不思議な境地に浸っています。
満足とはなにか
とりあえずオンライン授業で「教育」は止まっておらず、進んでいます。
もちろん一部の授業の質や進行方法に問題がまったくないわけではなく、理想ではないかもしれないけど、最低ラインは進んでいると言えるでしょう。
不満も多いでしょうが、果たして今の状況で100%の満足を大学以外の他の産業にも求めることができるでしょうか?
オペレータが減ってお客様窓口はつながらない
外食には気軽に行けない
通勤電車は感染のリスクを抱えながら運行している
美容室はクラスター発生のリスクを怖れながら営業してる
旅館は客足が戻らない
観劇もスポーツ観戦もできない
接触が必要なありとあらゆる産業が、進退極まってきています。
その中でオンライン授業という代替手段で進行して、さらに教育の新しい局面に移行しようとしている大学をやみくもに叩く風潮があるのは、残念です。
人々の間に大きな社会不安が先立っているから叩くのかもしれませんが、もしかしてそれは教育の未来をつぶすことにもなりかねないからです。
だから大学を安易にバッシングする前に、学生にはちょっと立ち止まって考えてもらえたらいいなと願っています。
満足する大学教育ってなんだろう?と。
そして、ただ「大変だ」「辛い」と言うのではなく、どうしたらもっと楽しくできるだろう?良くなるだろう?と。
そしてアイデアを思いついたらどんどん教員に意見をして、教員も耳を傾けて共に乗り越えられていけたらこんなに良いことはありません。
教員に建設的な意見をすることを臆することはありません。
なにせ今回の事態は教員もスタートラインにいて、今までのメソッドはそのままでは通用していかないのは本人達が痛感しているのですから。
学生にとってこんな好機が今までにあったでしょうか?
この先の大学教育
これからの大学がどうなっていけばいいのか、どうなれば知の開拓と共有が進む場であることができるのか。
そもそも大学とはどういう場なのか。
今回の新型コロナはその良いきっかけを与えてくれたとも言えます。
実際にはそこまでオンライン授業が悲惨だと感じている学生ばかりではなく、楽しんでやれている学生もいるのもアンケートを取っていてわかってきています。教員も楽しくやれているオンライン授業もあります。
でも、もっと楽しくできるにはもう少し教員と学生の経験値が必要だとも考えています。
今はとにかく移行期の1年目と考えて行動をするしかないのだろうな、と観念してフワフワと漂いながら手足を動かしている亀のような存在。
それが今の自分だとも言えます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?