観察している私、ということ
※この記事は個人の感想です。
もう年末です。大晦日です。
Covid19パンデミックが発生してもうすぐ2年になります。
波が何回かあった末に、オミクロン株では海外はフランスが1日20万人新規感染という報道があったかと思えばアメリカは1日48万人が新規感染というスケールが桁違いな状況。
陽性率はいかほどかによりますが、検査数はもっとでしょう。
よくそんな数のPCR検査が1日にできるもんだ、と素直に感心してしまいます。
日本でその検査数はいろいろな意味で逆立ちしたって無理そうです。
オリンピック期間中で日本全国での最大の検査数が17万件に届いていませんでしたから。
そこが限界なのか抑えていたのかがわかりませんが。
幸い、現在のところオミクロン株感染での重症化や死者はニュースでは流れてきていません。
そして、現行のファイザーとモデルナの3回目を接種という掛け声はかけられています。
関連する日本の報道に関しては疑問が多いです。
ワクチンは株が違うと効果が低いと当初は言われていたのが、後から効果があると言われたり、感染している事例のデータで見ていこうと言っていたにも関わらず、2回接種しても感染している例が多いのは報道ではサラッと流されています。
こうなると、これまでと同じワクチンを追加接種してもどれだけ機能するだろう?と思うののは論理的な思考だと思うのですが、それには触れられないまま、単純に追加接種が勧められるのは不思議です。
そもそも接種していたから重症化は免れているというのも高齢者以外の確率や実数といったエビデンスがないので、「〜〜らしい」ということが普通に報道されて政策もそれに沿ってとられていく。
情報も錯綜しすぎで朝令暮改です。まるで重みというものがありません。
このことわざをこんなに肌に感じることになるのも珍しいです。
要は物事を見る軸足がなく、その場その場の空気を読んで対応する状態に全世界的に陥っている、と言えるのではないでしょうか。
ここまでパニック気味になると社会の中で正常に機能している部分の方が少ないんじゃないかと思うほどです。
こうなると何が正しいかはわからないので、個人的には正しいあり方を模索することをいったん脇に置いている、という態度を取らざるを得ません。
そして観察をしています。
社会も、自分の心の動きも。
「信頼」と「確かな価値」という二文字がどこを探しても見つからない世界を経験するのはなかなかないことだからです。
自分の利益を優先する世界の中で、そこで嬉々として動き回って差別化を図ろうとする人たちをこんなにたくさん目撃する機会というのもなかなかないことだろうなと思います。
エゴが全開で動いて、脊髄反射的に全速力で行動している人々です。
そのバイタリティはある意味すごいなと思う一方で、それを見て勝手に虚しさを感じている自分もいます。
虚しくなる自分も観察しています。
年が明けて世界がどうなっていくのかはわかりませんが、周りの情勢に振り回されずに風と陽の光を感じて、やることをやって思考を深めて淡々と時を重ねていく、個人的にはそんな道は進めたら良いと思います。
みなさま、それぞれに良いお年をお迎えください。
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