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四半世紀ぶりに「時計仕掛けのオレンジ」を観てみた

Amazonプライムの100円セールのリストをチェックしていたら、キューブリックの時計時かけのオレンジがあった。1971年に公開された、私が生まれる前の作品だ。私が観たのは十代後半の頃だったと記憶している。いま改めて見るとどういう気持ちになるのかな、と思い観てみることにした。

映画の概要

舞台は近未来のロンドン、公開された71年当時からみた近未来のロンドンで、どうしようもない不良少年の姿を軸にして、その更生について社会システムがどのようなアプローチをするのかといった思考実験のような物語。SFの部類?

若いころに見た時と今の違い

当時はただただ怖い、という印象が強くて物語の概要をあまり理解できなかった。よく覚えているのはみっつ。singing in the rainを歌いながらおぞましい暴力をふるう主人公、曲のほがらかさと行動があまりにも対照的で強烈な印象に残ったことと、近未来の不良少年なのにベートーベンをやけに愛している主人公のよくわからなさ、一番はなんといってもまぶたを固定されて無理やり映画を見せられ洗脳されるシーン。

不思議なもんで、10代20代の頃に見た映画歌った歌ってのはよく覚えてる。

今見ると、当時は全く理解できなかった「なんでこの主人公はまぶたを固定されるとかこんな目に遭ってるの?」という理由がわかった。残酷な映画を見せながら肉体には不快感を与えて、暴力行為イコール吐き気がする事だと紐付けさせたのだ。要するに洗脳。

また洗脳された主人公を、護り解放するのが、主人公から直接被害を受けた作家だということも皮肉だ。その作家は自分がされたこがどうこうとかそんな感情は全く持っておらず、政治的なポジショントークとしてこの主人公がかわいそうだと言いたいだけなので酷いこともするし甘やかしもする。

10代の頃の私は、政治に興味もなかったし政治の汚さなんてよくわからなかったし、そこらへんのことは全く意味もわからず、理解もしてないから当然記憶にも残っていなかった。

主演俳優の演劇的力量、作品の演劇性

若いころはただ気味が悪いとしか思っていなかった主人公だが、今見るとその力量がすごいと感じる。

この口角をあげながらずるがしこそうに微笑む姿なんか最高にすごい。主役のアレックスは10代の設定で学校に通ったりパパとママと暮らしたりしているわけだが、主演のマルコム・マクダウェルは当時二十代後半だ。演劇の本場イギリスで相応の勉強して俳優としての経験も積んできてからの、この仕事であったらしい。演じるキャラクターと主演の素のイメージを重ね合わせるようなキャスティングが近年の日本ではされがちだが、この人は演技の技術で不良少年でらしいふるまいの姿を見せている。

また冒頭のレイプシーンからして相当胸糞悪いものではあるものの、場所がさびれた劇場のような場所で舞台の上でなされていて、舞踏的な要素もあったり、そこに登場するアレックス一味がきれいに一列に並んでいたりと、一事が万事演出が演劇的だ。

壮絶に過激でおぞましい表現はあるものの、この作品が表現したいのは「あらゆる芸術に敬意を示すこと」と「政治的に自分サイドが有利になることしか考えてない人間の理念のなさと役に立たなさ」と「どうしようもなくネグレクトされ利用され、他者から搾取するクズは死ぬまでクズである」ということなのかなと思った。

“You are what you eat.” 「あなたはあなたの食べたものでできている」

食事の面で、あなたはあなたが食べたものでできている、とか言ったりするけれど。文化的な面でも同じだと思う。アイドルみたいな芸能ショーや、ワイドショーみたいなニュースばかり見て育てば相応に育つと思うし、アートや学問や経済に関心を持っている人とはどんどん格差が広がると思う。

時計仕掛けのオレンジをみてインスパイアされて犯罪に走る人間もいれば、犯罪傾向のある人間やそれを後押ししてしまう人間とはなにかを考える人間もいる。犯罪者の90%が週七回以上パンを食べていたとして、パンをたべている人間がみんな犯罪をおかすわけではない。

何を見てどう感じるかなんだ。

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