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談山神社 夫婦ほっこり旅 2-1 奈良 桜井 藤原氏 御朱印 紅葉 奈良県 桜井市 夫婦旅行

夫婦ほっこり旅 奈良 2nd version

「来月、奈良に行ってくるよ」
「えっ! 昨年も奈良に行かなかった? いや、その前の年も行ったんじゃなかったっけ? 奈良って、そんなに見るところがあるの?」
 友人は驚いた様子で目を丸くし、何度も首をかしげている。そんな反応をよそに、私は自信をもって言いたい。奈良には見学したい場所が山のようにあるのだ。
 歴史好きの多くは、まず京都を訪れる。そして、やがてこう気づく。「多くの寺社は、応仁の乱で焼失している。だから、本当に古いものは奈良にこそ残っている」と。
 実をいうと、私もかつては時間を見つけては京都に通っていたひとりだ。平家物語の哀歌や幕末動乱の激しい風に胸を打たれながら、京の路地や寺社を歩き回ったものだ。しかし、歴史への探求心は、次第により深く、より遠い過去へと向かっていった。
 そうして辿り着いたのが、奈良の世界だった。奈良時代、飛鳥時代、古墳時代。限られた史料と、不確実な情報を頼りに紡ぎ上げられた古代のロマン。そのミステリアスで無限の広がりに、私はすっかり魅了されてしまった。
 奈良を思い浮かべると、まず平城宮跡歴史公園の雄大な風景が脳裏に蘇る。朱雀門をくぐり、真っ直ぐに伸びる朱雀王子の先に堂々とそびえる大極殿。その眺めは、まるで千数百年前の古代の息吹を直に感じさせるかのようだ。あの感覚は、奈良の地を訪れなければ得られない特別なものだろう。
 こうして、今年も妻と奈良を訪れることにした。初めて奈良を訪れた際、一人で見た紅葉の美しさを、どうしても妻にも見せたかったという気持ちが背中を押した。
 そのため、今回の旅行の日程は、一昨年の秋に一人旅で訪れたときのものを参考に組み立てた。そして今回は、妻の実家がある岡山を旅の出発点とすることにした。妻とともに、岡山から奈良への旅路を辿るのが、これまでとはまた違った新しい楽しみになるに違いない。

1日目 談山神社
  
 朝5時起床。岡山駅から新幹線で京都に向かう。京都駅でJRみやこ路快速に乗り換え、奈良に行く予定だ。
 早朝、倉敷の町にゴロゴロという音が響き渡り、その音はお世辞にも心地よいとは言えなかった。妻の旅に伴う荷物は非常に多い。ぎっしり荷物が詰め込まれた中型のキャスター付きバッグを転がしながら、背中には20リットルのデイバッグ、肩には小型ポーチがかかっている。私は30リットルのデイバッグだけ。
 毎度のことながら、妻のバッグに荷物を圧縮して詰めながら質問してしまう。
「なんでこんなに荷物が多くなるのかな?」
「そりゃ多くなるわよ。御朱印帳が重いし、ホテル用の着替えや寝間着、それから……」
 後は耳に入ってこない。とにかく妻にとっては、すべて必需品らしい。
 登山を趣味としてきた私は、軽量・コンパクト・機能性を重視したパッキングが習慣化しているため、今回もデイバッグひとつという身軽さだ。
 というわけで、ふたり合わせると、かなりの荷物で移動することになる。もちろん、妻の重いキャスター付きバッグは私が持ち運ぶことになる。
 それでも、なんとか自宅の最寄り駅から岡山駅に移動し、新幹線乗り場に到着した。京都までの新幹線自由席券を購入し、改札を抜けようとすると、自動改札機のアラームがけたたましく鳴った。近くにいた係員が来たので説明すると、
「新幹線はSuicaには対応していません。そこで乗車券を購入してください」
 とのことだった。新幹線がSuicaに対応していないとは知らなかった。まだまだ日本のデジタル化は遅れているなと再認識する。
 指示されたようにSuicaのデータを消去してもらい、奈良までの乗車券を購入した。
「それにしても、みどりの窓口を廃止してしまった駅や無人駅が、こんなに多くなってきたのに、新幹線がSuicaに対応できていないというのは困るね。いちいちこんな手間がかかる状況では、乗客はもちろん、駅員さんにも負担が大きいよな」
「人手不足はこれから、もっと加速してくるんだから、早くすっきりとデジタル化して、効率的に運用できたらいいのにね」
 ふたりであれこれ考えながらも、到着した新幹線に乗り込んだ。コロナ下での旅行に慣れていた私たちは、新幹線自由席の込み具合に驚愕した。平日なのに空席がほとんどないのである。車両を移動して、なんとか離れ離れにではあるが座ることができた。その後、新大阪で多くの人が降りたおかげで、ようやく入り口近くに並んで隣同士で座ることができた。
 ほっとしたのもつかの間、新大阪を過ぎて数分経った頃、隣に座っていた妻が、そわそわとし始めた。ダウンジャケットのポケットやカバンの中に何度も手を入れ、首を傾げている。もしかして、と思い浮かんだことを振り払うかのように声をかけた。
「どうしたの?」
「切符がない!」
 やはりそうきたか。かつて自分も同じように焦ったことがあったな、と思い出しながら先を促した。
「さっき岡山駅の改札を通った後、このポケットに確かに入れたはずなのよ。それがなくなっているのよね。おかしいな。確かに入れたのよ、ここに……」
 ダウンジャケットの右ポケットを指さしながら、目は宙をさまよっている。
「入れたのなら必ずあるはずだから、降りてからゆっくり探したらいいよ」
「わかった。でもポケットのジッパーを締めてなかったから、もしかしたら落としたのかもしれない」
 こんな時、焦って探すと、あるものも見逃してしまう。落ち着いて、きちんと探せば必ず出てくるものだ。今までの数々の経験から、このことには確信があった。切符を捨てることは、まずありえない。

 京都駅に到着し、降りたホームの片隅で切符の捜索を開始した。入れたと思っているポケット、カバンのポケット、普段は入れそうもない場所まで、時間をかけて隅々まで探していった。
「やっぱりない! 岡山駅の中で落としたんだわ。ポケットから落ちたんだと思う。あーあ、どうしよう」
「精算所で支払わないといけないと思うけど、とりあえず改札の係員に相談してみよう」

 京都駅の構内は、外国人観光客でごった返していた。岡山駅で人の多さには慣れていたつもりだったが、京都駅はその比ではなかった。周りからは、さまざまな言語が聞こえてきて、どこの国に迷い込んだのかと錯覚してしまうほどだ。
 改札口の係員に状況を話すと、近くの精算所に案内してくれた。精算所にも数名の外国人観光客がいて、何やら交渉中だったが、思ったより早く順番が回ってきた。
 精算所の中を見ると、若い女性職員がひとりで対応しているようだ。今までの経緯を説明すると、
「乗車券が落とし物として届けられていないか、問い合わせてみますので、しばらくお待ちください」
 と言って、慣れた様子でスマホを操作し、岡山駅の関係施設に電話し始めた。岡山駅の担当職員と数秒話した後、私たちの前に書類を出し、その書類に書き込みながら、今後のことについて説明してくれた。スピーディー! 素早い手際に感心しながら、あれよあれよという間に処理が終わった。
 結局、岡山から奈良までの乗車券と新幹線の自由席特急券は、再度購入することになった。ただし、岡山駅で落とし物として届けられたり、後で切符が見つかった場合は、奈良駅で払い戻しをしてもらうとのことで、その証明書類もいただいた。
 当然のことながら、妻と一緒に平謝りをした。親切かつ迅速に対応してくれたJR京都駅の職員さんには、感謝の念が尽きない。
 後ろを振り向くと、早速、外国人観光客らしい人が精算所の窓口を覗き込んで話をしていた。時計を見ると、ほんの数分しか経過していなかった。係員の手際の良さに改めて感動した。
 計画していた列車には乗れないだろうと半ばあきらめていたのだが、余裕で間に合いそうだ。私たちはバッグを転がしながら急いで8番ホームに向かった。予定していた「みやこ路快速」の座席に落ち着いたとき、私たちは妻とともに安堵のため息をついた。
「いやあ、旅にはハプニングがつきものやねぇ!」
「本当やね。どうなるかと思ったけど、うまく電車に乗れてよかったわ」
「あの女性職員さんの対応には感心させられたよ。さて、奈良に着いたら荷物をホテルに預けてから動くとするか。明日は雨になりそうやから、今日は一番遠い談山神社に行っておこう」
 ホテルに荷物を預けた後、私たちはJR奈良駅に戻り、万葉まほろば線で桜井へ向かうことにした。そこからバスかタクシーで談山神社に行く予定を妻に説明する。
「バスは1時間に1本だから、かなり待たないといけないし、人手不足のご時世なのでタクシーはつかまりにくいかもしれないね」
 そう話しているのに妻の反応がない。いや、反応はあった。目だけが笑ってこちらを見ているのだ。
「お父さん、あった!」
「えっ? タクシーも最近はなかなかつかまらないことが多いよ」
「そうじゃなくて、切符があったのよ。ほらっ!」
 妻は胸ポケットから2枚の切符を取り出し、今度は目だけでなく顔全体をほころばせて笑顔で言った。
「ポケットにぴったりと張り付いていたみたい。どうして気がつかなかったのかなぁ?」
妻は胸のポケットを覗き込みながら首をひねる。
「あーっ、切符の裏の色が茶色でポケットの裏地も茶色だったからだ。それにピタッとポケットの裏地に張り付いていたから触ってもわからなかったんだね、たぶん」
 妻は「うん、うん」とひとりで納得しているようだった。
 多くの場合、結末はこんなものだ。やはりそうだったのか、と想定内の「オチ」にほっとひと息ついた。
「奈良駅で払い戻ししてもらおう」
 奈良駅の改札を抜けると、すぐ右手にあるみどりの窓口に向かった。最近はみどりの窓口が混雑していることが多く、かなりの待ち時間を覚悟していたが、数分で順番が回ってきた。
ここでも平身低頭。証明書を提出し、経緯を説明した。私たちの不注意を非難する様子は全くなく、親切丁寧に払い戻しをしてくださった。ここでもJRの職員さんに感謝、感謝である。
「今後は気をつけます。お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
 私たちは妻とともに深く頭を下げ、みどりの窓口を後にした。
 駅を出ると、懐かしい奈良の町並みが目に飛び込んできた。心の中で「また来たよ!」とつぶやきながら、前回も利用したホテルへ荷物を預けに向かう。そのホテルは、まるで古巣に戻ったような安心感を与えてくれる場所だ。
 何よりも、このホテルには温泉大浴場があるので、妻のお気に入りとなっているのだ。
 荷物を預けたら、JR奈良駅の万葉まほろば線①番のりばに急ぐ。奈良ではJR、近鉄、奈良交通のバスなどすべてSuicaが使えるので便利だ。ここでもJR職員さんの迅速な対応のおかげで、予定していた電車に乗ることができた。本当に感謝、感謝である。
 桜井駅までは約30分。途中、天理、巻向、三輪など、歴史好きには馴染み深い名前の駅を通過する。道中ではいろいろなハプニングがあったが、奇跡的に予定の電車に乗ることができた。その時のバタバタ喜劇を思い返しながら、ふたり並んで車窓越しに流れるのどかな田園風景を眺め、しばし心を和ませた。
 遠くの山肌には、山の辺の道が縫うように続いている。先ほどまでの慌ただしさが嘘のように、列車の「ガタンゴトン」という音色が穏やかに時間を刻んでいく。
 しばらくのどかな時間を楽しんでいたが、「次は天理です」という車内アナウンスで現実に引き戻された。
「さて、桜井まで時間があるので談山神社について解説させていただきましょか?」
 私は談山神社の境内図をザックから取り出し、妻に手渡した。
「はい、はい、よろしく! 主祭神は、奈良だから大物主さんか、天照さんでしょ」
「それがどっこい、まったく違うんですねぇ。あの有名な『大化の改新』、今は『乙巳の変』というみたいだけど覚えてる?」
「これは社会で習ったから、知ってまーす。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した事件だよね。ムシゴロシの大化の改新で覚えさせられたなぁ」
「そうそう、中大兄皇子というのは後の天智天皇で、中臣鎌足というのは、後の藤原鎌足で、あの藤原氏の始祖なんだよね。日本書紀や古事記の編纂に関わった藤原不比等の父親でもある。
 そのふたりが、当時の最高権力者を暗殺したというすごい事件なんだ。今でいえば、皇太子と最大野党の党首が結託して、国会内で総理大臣を暗殺してしまったようなものだからね。これは大変なことだよな。一種のクーデターだよね」
 妻は眉間にしわを寄せ、首を傾げながら言った。
「『和をもって尊しとなす』が理想だったはずなのに、暴力で解決し、さらにそれが正当化されて記紀に記されているのは、勝者の視点が強いわね。それにしても、蘇我氏はどうしてそんな大胆な行動に出たのかしら?」
「それまでのことを整理してみるよ。あの有名な聖徳太子(厩戸皇子:うまやのおうじ)さんが関係してくるみたいだよ。
 天才的な知力と人気があったとされる聖徳太子が亡くなってから、もめごとが多くなってくるんだな。
 聖徳太子が亡くなった後、蘇我馬子(そがのうまこ)が権力を得る。
 続いてその権力は子供の蘇我蝦夷(そがのえみし)に引き継がれ、天皇の皇位継承にまで口出しするようになった。
 さらに、その息子の蘇我入鹿(そがのいるか)は、自らに近い古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を次の天皇に即位させようと画策していたらしい。
 ところが反蘇我勢力は、聖徳太子の子である山背大兄王を推薦し、争いが勃発した。これを許せないと思った蘇我入鹿は、斑鳩宮(いかるがのみや)で聖徳太子一族を襲撃し、滅ぼしてしまった。斑鳩宮というのは、昨年行った法隆寺の東院の場所だよ。
 これはいくらなんでもひどすぎると怒った反蘇我勢力が、中大兄皇子と中臣鎌足を中心に、天皇による政治を取り戻そうと蘇我入鹿の暗殺を計画したということらしい。
 特に中大兄皇子も次期天皇候補だったから、自分も蘇我入鹿に殺されると恐怖を感じたんじゃないかな?」
 妻は頬に手を当てて考え込んだ。
「うーん、蘇我ちゃんもたいがいやね。やっぱり、権力を長期間同じ人たちが持ち続けると人間の悪い所が出てくるんやね」
「そうそう、いつの時代も一緒やね。それに残念に思うことがもうひとつあるんだよ。
 蘇我入鹿を暗殺した後、彼らは軍勢を飛鳥寺に集結させた。蘇我蝦夷は敗北を悟り、自宅に火をつけて自害したんだ。これによって蘇我氏だけでなく、屋敷にあった多くの文書が焼けてしまった。この文書が残っていたら、記紀だけでなく、もっといろいろな真実がわかったと思うんだけどな。うーん、残念!」
 電車は巻向駅を出て三輪駅に向かっているようだ。車内アナウンスと共に三輪駅のホームが見えてきた。
「ところで、談山神社はどうなった?」
「中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌子(藤原鎌足)は、飛鳥寺の蹴鞠会で出会ったらしいよ。
 仲良くなったふたりは、多武峯という山でこっそりと暗殺の相談をした。その談合を行った山が、談山神社本殿の裏にあるんだよ。
 鎌足は亡くなった後、現在の高槻市に埋葬されたんだけど、その後、遺骨の一部を多武峯の山頂に移し、十三重塔と講堂を建立して妙楽寺と称したそうだね。
 その後、神殿を建てて鎌足の御神像を安置し、談山神社としたとのこと。つまり、御祭神は藤原鎌足というわけだ」
「なるほど、御祭神は藤原鎌足さんなのね」
「藤原氏も曽我氏に負けず劣らず、いろいろあったよね」
 日本の神社のほとんどが、人や岩、山など実在していた対象を神としてお祀りしていることが多い。
「1週間前にテレビの全国ニュースで談山神社の紅葉を紹介していたね。あれを見て行く気になる人が増えたんじゃないかな?」
「そうよ。私は参拝する人が絶対多いと思うな。バスは1時間に1本で25分くらい乗るんでしょ。うまくタクシーがあればいいんだけどなぁ。」
 歩くのが苦手な妻は、不安そうに言葉を漏らした。私もあのニュースには驚いた。「おいおい、やめてくれー!」と心の中で叫んでいた。
 神社やお寺は、静寂の中で心静かにお参りしたいものだが、現実はなかなかそうはいかない。今日は旅行初日で、一番混雑する時間帯に重なりそうだ。しかも桜井駅到着時間からバスの発車まで、かなり時間がある。頭の隅には「前途多難」の四文字が光っていた。

 桜井駅に到着するとタクシーのりばに急いだ。
「あっ! タクシーがいる!」
 妻の明るい声が響いた。ネット情報では談山神社までタクシーで約15分となっている。タクシーに乗り込み、行先を告げると駅の高架を潜って山の方に進みだした。車窓からは時折紅く色づき始めた木々が見え、晩秋の奈良を訪れている実感がわいてきた。車はどんどん坂道を上っている。
 私たちよりも、やや年配らしき運転手さんが話しかけてくれた。
「昨日は日曜日だったから、すごい人だったんですよ。談山神社の駐車場が満車で大変でした。今年は紅葉が遅れていて、平年ならもう終わっている頃なんですけどね」
 先週のニュース報道のことを話すと、納得されていた。
「今日は、それほどでもないと思いますよ。それにしても最近は、外国人観光客さんが多くなって、どこも大変みたいです。あれ?」
 山の中腹で車が進まなくなった。前方では、何台もの車が数珠つなぎになっている。反対車線からも車がひっきりなしに降りてきていた。私は妻と共に頷いた。(今日もすごそうだ)
 車は通勤時間帯の渋滞のように、少し動いては停車することを繰り返している。スムーズに動き出したのは、手前の駐車場入口を越してからだった。
「山の中だから車で来る人が多いんだよね。それにしても、いくつかある駐車場は全部満車みたいやね」
「あれ見て! 観光バスが何台もきているわよ」
 もうそこは完全に有名観光地と化していた。

談山神社(たんざんじんじゃ)

 私が談山神社に行きたいと思ったきっかけは、ある本を読んだことだ。その本は、笑い飯哲夫著『ブッダも笑う仏教のはなし』だった。
 この本は、仏教の歴史や考え方について、お笑い芸人の笑い飯哲夫さんらしく、難しい理屈は抜きにして、面白く解説していた。その中で、ご自身の故郷にある談山神社について紹介していて、ぜひ訪れてみたいと触発されたのだった。
 タクシーから降りると、すぐ前が参拝受付だった。電車の中で妻に渡した談山神社マップを広げると、西入山入口であることがわかった。勝手知ったる運転手さんは、妻の歩くことが苦手なことを知り、一番近い入口まで私たちを運んでくれたのだろう。優しい運転手さんに感謝、感謝だ。
 西入口で受付を済ませて境内に入ると、すぐ目の前にニュースで見た十三重塔が聳えていた。予想に反して十三重塔だけでなく、朱塗りの講堂や拝殿らしき建物もひしめいていた。これは、あまり歩かずに参拝できそうだなと思っていると、横にいる妻が嬉しそうな声を発した。
「あれ見て! もうそこに十三重塔があるよ」
「ほんとだ。いきなりあったね。もっと山道を歩いて行った奥に、ひっそりとたたずんでいるようなイメージやったんやけどな。こんなに近くにあるとは思わなかったよ」
 混雑ぶりから、昼食をお店でいただくのは難しいだろうと、人気のない木陰に立って行動食を補食した。カロリーメイト一箱を半分ずつ分けて食べた。妻と私のザックには常に食べ物とお茶が入っている。これだけでも結構元気が回復するものだ。

神廟拝所(しんびょうはいしょ)

 西入口から境内に入ると、すぐ目の前に鮮やかな朱塗りの柱に装われた大きな建物が目につく。神廟拝所(しんびょうはいしょ)である。
 この建物は、679年に藤原鎌足公の長男が創建した妙楽寺時代の講堂で、内部の壁には羅漢と天女の像が描かれているとのこと。現存している建物は、1668年に再建されたもので重要文化財の指定を受けている。
 特別公開中だったので、靴を脱いで内部を見学させていただいた。
「ここは最初、多武峰妙楽寺というお寺だったんだけど、明治時代の神仏分離令によって神社に変わったんだって。仏教がかなり排斥されてこういう形で残ったみたいだよ。今日は行けないけど、旧多武峰街道の談山神社入口には、東大門という立派な門があるらしいね。これこれ!」
 私は談山神社マップの右下に描かれている、東大門を指さした。
「母さんが、もう少し歩けるようになったら、この旧多武峰街道という昔の参道を歩いてみたいね。この参道沿いには、下条石といって門を入ったら『ここで下馬しなさい! 籠を降りなさい!』と指示した石や摩尼輪塔(重要文化財)、十三重の石塔があるんだ。この十三重の石塔は、あの藤原不比等の墓だともいわれているんだよ」
「この談山神社のある多武峰は、藤原氏にとってルーツともいえる場所なんだね」
 神廟拝所の中には、鎌足公の御神像がお祀りされていた。飛鳥にあった寺から移されたもので、天然色に彩られた御姿であった。運慶作と伝えられている狛犬も公開されていた。

けまりの庭

 神廟拝所と総社拝殿の間は、広いスペースがとられていて「けまりの庭」と呼ばれている。
「中臣鎌足と中大兄皇子が初めてであったのが飛鳥寺のけまり会だと云われていることは、さっき説明したよね。中大兄皇子が蹴った時に靴が脱げて飛んでしまった。その時に中臣鎌足が靴を拾って手渡したのが最初だったらしいね。 それから親しくなって、大化の改新をなしとげたんだよ。ここでは年に2回「けまり祭」が行われているらしいよ。一般の人も参加できるみたいだから、今度母さんもやってみたら?」
「うん、うん、そうやね。できるわけないやん」
 けまりの庭を挟んだ反対側には、総社拝殿とその奥に本殿がある。 

総社拝殿・本殿

 この拝殿には、高さ3mという日本最大の福禄寿像の仏像が祀られているとのこと。(重要文化財)
 拝殿の右から廻り込むように歩くと、奥に総社本殿がある。総社という言葉のとおり、八百万の神様をお祀りしている神社の始まりで、日本最古の総社といわれている。
 現在の建物は、江戸時代に再建されたもので重要文化財に指定されている。
 神廟拝所や総社拝殿の建てられている場所から、やや高い場所に十三重塔などの建造物が並んで建てられているようだ。けまりの庭から石段を上ると正面にある建物が権殿(ごんでん)であり、その左に比叡神社本殿が鎮座している。

権殿(ごんでん)

 御祭神は芸能・芸術に関係した人々の守り神であるマダラ神で、970年創建(室町後期再建:重要文化財)

比叡神社本殿

 御祭神は天照皇大御神で江戸時代の再建である。これも重要文化財で飛鳥から移築された。

「談らい山」の山道入口

 権殿と比叡神社本殿をお参りして、いよいよ十三重塔の方向に足を向ける。左を見ると「談らい山の山道入口」の標識があった。 
「中臣鎌足と中大兄皇子が実際に、蘇我入鹿の暗殺について話し合った場所が、この『談らい山』とのことなんだ。ここから登っていくんだけど、今日はやめておこう」
「えっ! 父さん行って来たら? 私、この近くを見ながら待っているから」
「そうか、うーん、どうしようかな? でも今日はやめとこう。予定していなかったからストックを持ってきていないんだよ」
「藤原鎌足さんは、天智天皇と語らったこの山を大切に思っていたんだろうね。『私が死んだらこの談山に葬ってくれ』と言ってたんでしょうね。まさに藤原氏の原点ともいうべき場所やね」
 標識には「談山まで290m(徒歩10分)、御破裂まで510m(徒歩20分)とあった。
 御破裂山(ごはれつやま)山頂には、藤原鎌足公の墓所があり、談山(かたらいやま)山頂には「御相談所」と刻まれた石碑があるらしい。標識の先には緩やかな坂道が続いており、楽に登れそうだ。次回の楽しみとしたい。

十三重塔

 世界で唯一の木造の十三重塔で、藤原鎌足公の長男が供養のために、678年に創建したもので重要文化財に指定されている。
 現存のものは、1532年(室町時代)に再建されたものである。
「ほかの建物は江戸時代がほとんどだけど、この十三重塔は室町時代のものだから、国宝に指定されてもいいくらいの価値がある建物だと思うけどな」
「そうよね、十三重塔は近くでみても、上から迫ってくるような、すごい迫力で時代を感じるな」
 さらに道を進むと、朱塗りの立派な楼門が見えてきた。
「朱の色が鮮やかで、立派な楼門やね。なんだか見とれてしまう」
「これは入母屋造りで、屋根は檜皮葺やね。本当に朱塗りの柱が素晴らしい。ドーンと存在感があるよね。これは江戸時代の建築で重要文化財だね」
 楼門の右に拝殿が繋がっていて、拝殿から中に入って参拝する。

談山神社拝殿・楼門・東西透廊

 拝殿は、1520年造営の舞台造で重要文化財に指定されている。
 拝殿の中に入ると右に、長い透廊が出迎えてくれた。朱色の欄干に沿って、吊り灯籠が紅葉を背景に美しく浮かび上がっている。これらはすべて江戸時代のものとのこと。
 拝殿内部の柱や梁も鮮やかな朱塗りで、白い漆喰の壁とのコントラストが見事だ。朱色の柱と梁で囲まれた中に浮かぶ紅葉と緑の木々は、まるで絵画のようだ。天井を見上げると碁盤目のように木が組まれている。
「この天井もみごとな細工だね」
「朱色の柱と白い漆喰の壁、そして見事な木組みの天井、見とれてしまいそう」
「この天井は、角材で碁盤目のように組んだ上に板を張った『格天井』と呼ばれている工法なんだけど、その中でも中央部が少し高くなっている『折上げ格天井』という格式の高い天井なんだよ。大名や将軍さんの部屋に使われているんだけど、そうそう、あの二条城の大政奉還が行われた大広間覚えてる? あの部屋の天井は、さらに格式の高い『二重折り上げ格天井』だよ」
「そういえば見たような気がするし、有名な寺院でも見たような気がするわ」
「寺院でも採用されている所もあるみたいだね。ところで、この碁盤目に組まれている木は何の木だと思う?」
「寺社だから檜でしょ」
「普通の木じゃないんだよ。この木組みは香りのいい『伽羅香木』で造られているらしいよ。当時、唐から輸入したもので、すごく高価なものだったんだ。先日ネットで価格を見てみたら、5gで何千円とかしていてびっくりした。そんな高価な木を、こんなにふんだんに使っているなんて、すごいよな。当時の藤原氏の栄華が偲ばれるよな」
「すごい! ちょっと上がって香りをかいでみたいな」
 妻と一緒に背伸びをしながら鼻をひくつかせてみたが、香りは届かなかった。(少し残念な気持ちになる)
「香木といえば正倉院の蘭奢待(らんじゃたい)が有名で、天下第一の名香とか言われているんだよな。どんないい香りがするのか興味あるなぁ」
 届いてこない天井の香りに未練を残しながら、足を進め、拝殿から左に見える本殿を参拝する。

談山神社本殿

 眼前には朱塗りの柱や梁に豪華な装飾金具を配し、鮮やかなフルカラーの模様や龍、花、鳥などの精密な彫刻が施されている本殿が鎮座していた。その様子は、日光東照宮を彷彿させる。
 現在の本殿は、1850年に改修されたもので重要文化財に指定されている。
 日光東照宮造営を手掛けた棟梁が、この本殿を手本としたと伝えられており、徳川家とのかかわりも深い。柱には「三つ葉葵」紋も見える。奥にお祀りされている藤原鎌足公のご神像は、現在も非公開となっている。
「絢爛豪華で、うっとりしてくるよね」
「ほんとうに美しい建物だな。ここにお祀りされている鎌足公の像は、様々な伝説があるみたいだよ。御神体に亀裂が入るとかいろいろな怪奇現象が……」
「いやーっ! やめて! 怖い話は! 変な物もらいそう」

東殿(恋神社:若宮)

 拝殿を出てさらに東に向かうと、かわいい神社がある。
 御祭神は鏡大女(かがみのおおきみ)で、鎌足公の正妻だったらしい。鏡大女は鎌足に嫁ぐ前、天智天皇の妃のひとりという複雑な関係。
 天智天皇は、鎌足と鏡大女が相思相愛であることに気が付き、信頼している友人鎌足公に譲ったとのこと。
 このようないきさつで、鏡大女が出会いの神様ということになり、恋神社という名前の由来となった。
 恋神社の前に行くと、十二単のかわいい女神のおみくじが出迎えてくれる。
 1619年建て替えた談山神社本殿を、1688年に移築したもので、これも重要文化財である。
「お父さん、せっかくだから参拝していこうよ」
 本殿正面から参拝し、時計回りに回って本殿の後ろから参拝、再び正面に戻って参拝する。3回参拝することにより願が深まるとのこと。

 再び、談山神社拝殿の前に戻った。楼門から下方に目を移すと、真っすぐに140段の石段が下っている。その先には、朱色の二の鳥居が、色づきかけた木々の先に浮かんでいた。
「談山神社には約三千本のカエデや桜の木が植えられているとのことだから、桜の季節もきれいだろうね」
「そうだね。でも新緑の静かな時もいいかも……」
 足元に注意しながら長い自然石の階段を降りていく。
 私たちは、なごりを惜しむかのように後ろを振り返った。石段の上を見上げると、目の前の石垣に覆いかぶさるように荘厳な楼門と拝殿の朱色の舞台が聳えている。清水寺の舞台の木組み構造が連想される。
「お城の石垣みたいやね」
「石垣が、しっかり建物を守っているような感じがするよな。そうだ、そういえば、この談山神社は、興福寺と中が悪かったんだ。平安時代の末頃から興福寺と何回も戦いをしたんだよ」
「えっ! 興福寺? 興福寺も藤原氏のお寺じゃなかったっけ?」
「そうなんだけどね、この談山神社が多武峰妙楽寺だった頃、宗派を天台宗に変えたんだよ。それで宗派が違うということで争いになって、何回も焼き討ちにあったらしい。ほとんど興福寺側の勝利に終わったらしいけどね」
「それにしても、ひどい話やね。同じ藤原氏をお祀りしているお寺なのにね。宗派が違うだけでねぇ。信じられない!」
 妻は、しきりに首をかしげていたが、気を取り直して石段を降り始める。
 二の鳥居を潜るとほっと一息ついた。
「お父さん、一の鳥居はどこ?」
「一の鳥居はずっと先にあるので見えないな。ここから約5kmくらいは離れているみたいだよ」
「それは遠すぎるね。そこから歩いてくるというのは、ちょっと私は無理かな?」
 二の鳥居を過ぎると正面入り口となっていた。
「あっ、お父さん、あれ出して」
 妻の視線を追うと社務所があった。数名のお姉さんたちが並んでいる。私はザックから御朱印帳の入った袋を妻に手渡した。
「ちょっと行ってくる」
 これを忘れていた。妻はコレクターだったのだ。しばらくして満面の笑顔で戻ってきた妻の手には、いくつもの御朱印が握られていた。
「秋詣の特別な御朱印切り絵があったのよ」
 紅葉と十三重塔の絵を表現した切り絵や御朱印を手にして大満足の様子。これも寺社の施設保全のための寄付と考えて納得する。
「あれ見て! すごい行列よ!」
 新たな観光バスが到着したのだろう、正面受付には長蛇の列が伸びていた。
「『紅葉めぐりツアー』とか旅行会社が企画しているんじゃないかな? ここや長谷寺などの有名な紅葉スポットを巡っているんだろうね」
「今日は初日だからしかたなかったけど、寺社参拝は早朝に限るね。よくわかった」
 入口には「別格官幣社談山神社」と書いた石柱があった。
「これは写真撮影ポイントかな?」と妻の顔を見るともうスマホを用意していた。妻はこのような標識や看板があるところでは記念写真を撮りたくなるようだ。無事記念写真を撮った後、
「この『別格官幣社』というのは何やろね?」
 私は早速スマホで調べてみた。
「明治新政府によって決められた、国家のために特別な功労があった人物を祀る神社の格付け」で、戦後廃止されたとのこと。
「そうか、そういう意味だったのか」と納得。
 右端には、それを守護するように樹齢500年のご神木がそびえていた。

 赤い欄干の小橋を渡り境内の外に出ると左に石灯籠が並んでいる。手前の大きな灯籠の前で立ち止まった。
「この灯篭は重要文化財なんだよ。ほかの灯籠は江戸時代の物なんだけど、これはもっと古いんだ」
「これも奈良時代に藤原氏が建てたものなんでしょう」
「残念でした。これは鎌倉時代に後醍醐天皇が寄進した灯籠でした」
「それにしても談山神社は重要文化財の宝庫やね。すごい! 今日、私たちはいくつ重要文化財を見ることができたのでしょうね。今度、早朝静かにお参りしたいね。できたら旧多武峰街道から正面入り口を通って参拝したいな」
 舗装された道を下って行くと、右に数件のお店が並んでいる。参道を人がひっきりなしに往来していて、完全に観光地だ。数人の列ができている店もあり、なにやら香ばしい香りが漂ってきた。
「お父さん、いい香りがしてきたね」
「うどんのお店があるから食べよう!」
 出入り自由で数席しかない小さなお店に入って、腰掛けた。ところが、どうも様子がおかしい。
「お父さん、このお店男の人がひとりで切り盛りしているみたいよ。お客さんがいっぱいで大変みたい」
「これは、いくら待っても食べれるようにはなりそうもないね。隣で売っている『談山神社名物こんにゃく』」を食べようか?」
 お店を出て、隣の売り場で名物のこんにゃくを買い求めた。私は柚子味噌こんにゃく、妻は合わせ味噌こんにゃくを注文した。丸い田舎こんにゃくを大きく二つに切って太い竹串を挿し、おでんのように調理したものだった。こんにゃくには味噌が塗られていて、美味しそうな柚子の香りを放っている。熱々のこんにゃくに、フーフーと息を吹きかけながらかぶりつく。
「旨い!」
 思わず感嘆の声が漏れた。
「美味しい! この合わせ味噌最高!」
 妻も人目を気にせず、熱々のこんにゃくにかぶりついている。
「よく『名物に旨いものなし』と言われるけど、これは本当に美味しいね」
「たかがこんにゃくと、あなどるべからず!」
 コシと風味豊かなこんにゃくに、美味しい味噌が絡み、絶妙の味を醸し出している。どれどれとお互いのこんにゃくの味見もしてみた。どちらも優劣をつけられない美味しさだ。夢中で完食していた。ふと周囲をみると数名の参拝客が同じように道端で、こんにゃくにかぶりついていた。
「さて、今からどうする? バスの時間まではかなり時間があるけど。次の便は、15時32分でまだ40分くらいあるよ」
「そうよね。前の便には間に合いそうもなかったからね。でも、もう神社は出てしまったし、他に見たい所はないかな?」
「今日はかなりの人だからバスも混むんじゃないかな? 桜井駅までは約25分かかるようだから、バスの中で立っているのは、母さんきついんじゃない?」
「無理! ムリ! むり!」
「じゃあ、早めに行って待つことにしよう。もし満員で乗れなかったら、次の便は1時間後の16時37分まで待たないといけないからね」
 ふたりは柚子味噌の香りとこんにゃくの余韻を楽しみながら坂を下って行った。車道に出て、右に少し上り返すとバス停が見えてきた。
「あっ! もう並んでる」
 バス停にはなんともう10人ほどの列ができていた。列の最後に並びながら妻と頷き合った。(早く来てよかった!)
 その後も乗車待ちの列は、折り返しながらすごい勢いで増え続けていた。
「こりゃ、すごい! みんな乗れるのだろうか?」
 まだ発車時刻までは、20分以上あったが、なんとバスがやってきた。これで暖かな車内で座って待てるぞ、と胸をなでおろした。到着した車内に入り妻と並んで腰を下ろすとほっと一息ついた。
 バスには、長蛇の列から、ひっきりなしに乗り込んできている。もう身動きが取れないほど、ぎっしりと人が乗ってきている。もう無理じゃないか、と思っていると、なんと別のバスが到着した。臨時便のようだ。しかも嬉しいことに私たちが乗ったバスは20分以上早く発車してくれた。バス会社の臨機応変の対応に感謝、感謝。
「えーと、次の奈良行の時間は、15時39分桜井駅発だから、もしかして乗れるかも……」
 バスは順調に山道を降りていった。桜井の市街地に入ってあちこちに停車しながら時間は過ぎていく。桜井駅に到着したのは、16時38分、走って行けば間に合う可能性はあるが、こんなところで慌てて怪我でもしたら楽しい旅がだいなしになる。ここは、きっぱりとあきらめて、皆が降りた後、最後にゆっくりとバスを下車した。妻が笑いながら言った。
「また出発したところやね。次は何時?」
「16時28分でーす。51分のお待ち合わせでーす」
 時間があるので、桜井の駅前を散策しようと、南口駅前通りを歩き出した。しかし、駅前には不動産屋さんや進学塾があるだけで、他はシャッターが下りている。
「今日は月曜日だから、お休みのところが多いんじゃないかな? 少し肌寒くなってきたから駅に帰ろうよ」
 桜井駅には残念ながら待合室はないようだ。駅の構内に小さなカフェを見つけた。時計を見ると、発車まで30分弱しかない。暖かなカフェに腰を落ち着けて、香り豊かなコーヒーを頂きたいのはやまやまだが、妻と協議の結果、温かなコーヒーはおあずけとなった。
 自動改札機を通ってホームに降りる。冬の夕暮れは早い。あたりの空気は冷たく、電車を待つ周囲の人々の背中は丸い。まだ時間はあるのに、かなりの人々が待っていた。自動販売機の陰に立って風を防ぎながら、夕食をどこで食べようかと相談していると、早々と電車がホームに入ってきた。どうやらこの便は桜井駅始発らしい。
「ラッキー!」とばかり電車に乗り込んだ。暖かな電車の中は極楽だった。

 奈良に到着すると、すっかり夜になっていた。朝5時に起きて岡山を出発し、奈良から観光地と化した談山神社を往復したので、妻はかなり疲れ気味だった。
 昼食はカロリーメイトとこんにゃくだけだったため、身体が新鮮な野菜と温かいご飯を欲しているのも無理はない。夕食を済ませてからホテルに戻ることで意見が一致した。そこで、前回利用した奈良駅構内の食事と土産物が揃う店に向かうことにした。
「お父さん、食事の前に奈良の観光パンフレットをもらっておこうよ」
 東口の旧駅舎にある観光案内所へ向かう。必要な情報はスマホに入っているが、妻はパンフレットで見るのが好きなため、旅の始まりは紙媒体での情報収集からとなる。
 お食事処に入ると、夕食は5時開店とのことで店内は空いており、カウンターには2名の客だけだった。
「懐かしい! 昨年の春もここで野菜をたっぷり食べたよね。今日は何にする?」
 メニューを見ると、昨年来た時と変わらず、馴染み深い内容だった。妻は野菜たっぷりのハンバーグ定食、僕は唐揚げ単品とポテトフライ、そして生ビールを注文した。
 運ばれてきたハンバーグ定食は、大きなお皿にトマトやレタスなどの生野菜が山盛りで、存在感たっぷりのハンバーグが熱々のソースとともに香ばしい香りを漂わせている。その横にはポテトフライや素揚げしたナス、人参、ごぼう、かぼちゃ、ししとう、椎茸など多彩な食材が添えられており、思わず生唾が出てしまう。
「いただきまーす!」と手を合わせた妻は、温かいお味噌汁を楽しんでいる。まもなく生ビール、唐揚げ、ポテトフライも運ばれてきた。
「わぁ! こんなにいろいろな野菜が食べられて嬉しい! ありがとうございます!」
 妻は笑顔をほころばせ、店員さんに話しかけた。昨年の春、奈良を訪れた時もここで食事をしたこと、旅先で野菜がしっかり食べられるありがたさを伝えると、女性の店員さんも笑顔で応じてくれた。
「ありがとうございます。喜んでいただけて嬉しいです。全部地元で採れた野菜ですので、たくさん召し上がってくださいね。」
 店員さんは前回と同じスタッフらしく、古巣に戻ったような安心感でリラックスできた。
 食事を済ませた後、構内のスーパーに移動し、朝食用のパン、納豆、ヨーグルト、野菜ジュース、お茶、みかん、ハイボール、おつまみを購入してホテルに戻った。
 ホテルには温泉大浴場があり、妻は早々に大浴場へ、僕は部屋のお風呂でゆったり湯に浸かる。その後、湯上りにハイボールを楽しみながらご当地の番組を見る。NHKのローカル番組を見ていると、旅気分が一層盛り上がるのは僕だけだろうか。
 明日は長谷寺を訪れる予定だ。神社やお寺は早朝の静かな時間に参拝するに限る。観光客でざわつく時と早朝では、同じ寺社でもまったく異なる趣きがあるのだ。
 ということで、明日は5時起床。7時過ぎの桜井行き万葉まほろば線に乗車する。そのため、今日は9時には就寝したい。
 ほろ酔い加減の頃、妻が戻ってきた。
「アイス持ってきたよ!」
妻の手には棒アイスとシューアイスが握られていた。
「おっ、サンキュー!」
 締めのアイスを食べ、コーヒーを味わい、本日の旅を終えた。

2日目に続く

談山神社
奈良県
桜井市
奈良
神社
藤原氏
紅葉
御朱印

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