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事業承継物語⑥

6月も終わりに近づいてしまいました。

なかなか週1ペースで書くのも無理がありますね💦

のんびり更新していきます。


さて、④で書いた続きになります。

叔父である当時会長が突然癌で倒れ、その日から私が会長のデスクに座ることになりました。


実は1年ぐらい前から少しづつどんな事務作業をしているのかは見ていたのですが、如何せん70歳過ぎの昭和の人間なのでExcelを使っているとは言うものの仕様はワープロと全く同じです。

びっくりしたのを覚えています。

Excelをこれだけ不便に使いこなしているのも珍しいな!とさえ感じました。


叔父が倒れてすぐに亡くなったわけではなく、1年の猶予がありました。

この1年が怒涛の1年になるわけですが、まずは基本的な事務作業を覚えることからです。

とにかくワープロ仕様のExcelを2週間ぐらい休みも取らず毎日夜12時ぐらいまでコツコツ表計算として作り上げていきました。

少しでも使い易くするためです。もちろん私自身Excelを使いこなせるわけではないのですが持ち前の勘の良さでどんどん吸収していきました。


ブラインドタッチもこの2~3週間のうちにとてつもなく早くなったのを覚えています。

やるべきことは事務作業だけではありません。

現場の仕事も並行してこなしていました。

昼間は現場で働き、目出が立ったら事務所で作業。

こんな1か月でした。


一番大変だったのがお金の計算。

元々理系の大学出身なので数字には強いのですが、売掛金?買掛金?手形?小切手?振替伝票?経費明細帳?金銭出納帳?もはや何が何だか分けわからない状態でした。

今でもいまいちできていないのが『ただし買掛金と相殺』と領収書に記載する事項。これなんなんですかね?


とまぁ、この最初の1年は癌で自宅療養している会長の元を訪れてはノートにメモをびっしり書いて会社に戻ってPCに打ち込むという作業を延々とこなしていました。


人間ピンチになるととんでもない能力を発揮すると言われますが多分私は自分の実力以上のものを発揮していた1年間でした。

それでも2~3ヵ月もすると作業にも慣れてきました。

慣れてくると社内のおかしい部分が垣間見えてきます。

一番理解しがたかったのが『給料の現金支払い』

凄いですよね。21世紀ですよ。たった8年前のことですよ。

精工パッキングでは毎月毎月現金で給料を支払っていました。

給料日になると銀行からそれなりにまとまった金額をおろしてきて1人づつ計算した額を1枚1枚間違わないように万札を数え始めるのです。

もはや一日がかりですw

こんなことを何十年も続けてきたのです。

すぐに銀行の人間を呼び出し、振込にして!とお願いしたらこの作業はものの1時間で終えることが出来るようになりました。

ちなみに支払いも振込ではなく小切手を作っていたのでこれも相当な時間ロスでしたが一気に終わらせることが出来るようになりました。

今ではさらに進化してオンライン上で全て金銭処理はできるので本当にあっという間に終わります。

それもあの1年があったから簡略化に関してはなんでも取り組んできました。

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経理や事務作業にも慣れてきた頃、ちょうど1年が過ぎ、前会長は天国へ旅立ちました。

すると、ここから精工パッキングの冬の時代の訪れです。


実はこの頃だと思うのですが変な夢を見ました。

死んだ前会長の指示のもと、私が会社の外壁に水をぶちまけているのです。

何度も何度も会社の外壁に水をかけているのです。前会長は『それでいい、それでいい。』と言って頷いているという不思議な夢でした。

夢占いではなかなかの吉夢なんだそうですが精工パッキングの売り上げは軒並み右肩下がりになりました。

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まず大変だったのが40年以上取引のあるとある企業の仕事量が半減するという通知が来たのです。

これはうちが斬られたというよりも更に上の一部上場大手企業が外資系に変わり大幅に方向転換したのがきっかけでした。

それだけに留まらず、別の主力としていたお客様が内製化に取り組むということになりこちらの加工製品が全てなくなってしまいました。

 

精工パッキング大ピンチの始まりです。

これが2014年私が40歳の時でした。


ところが当時社長だった父は意にも介さず。

大丈夫!今までも浮き沈みはあったし、オイルショックやバブル崩壊にもうちはびくともしなかったから少し待ってればまた仕事は増えるから!

となぜか超楽天的でした。

ところが何もしないで仕事なんて増えるわけもなくそこからまた1年が経過。。。

通帳を管理しているのは私なのでいよいよヤバいよ!と父に告げると『そうか、、じゃぁ、おれの身銭を少し会社に入れよう』

もう、ヤバさしか感じませんでした。100万?200万?そんな金無策で投じたところで何も変わらないよ。。。昭和の人って怖いわ~と思っていました。

しかも次に言い出したのは『いよいよダメって時はここ更地にしてビルでも建てて悠々暮らしていけばいいんだし』

はぁ???そんな無責任な社長いますか!?この時は割と本気の喧嘩になりました。

18歳で入社したときはスキーのショップ店員でモテモテ人生を選ぼうとしてたのに金で釣り上げてとにかく毎日怒られ続けて、ようやく一人前になったと思ったら会社が傾き始めて、挙句自分の身の安全だけ確保して お前は自分でなんとかしろというのです。

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そしたら父が急にこんな提案をしてきました。

『どうだ、ここいらで社長交代するか?会社の運気も変わるかもしれないから』

ちょっとびっくりしました。もうその頃にはいづれ自分が社長になるとは思っていましたがこんなタイミングとは。。。

なんかズルいな~~~~って感じです。

酸いも甘いも吸いまくってやりたいようにやってガンガン稼いで会社が落ち込んできたら お前にやるよっ 的な感じがしたのです。


でも、そこはグッと堪えました。

よーーーし、やったろうじゃないの。

お前が潰しかけたこの会社 おれが立て直してやろうじゃないの!



今思うとこの根拠のない自身は父親譲りかもしれません💦

 

 

ともあれ2015年7月1日付で私は有限会社精工パッキングの3代目社長に就任することとなりました。

大嵐の中、真っ暗闇で光さえ見えていませんでしたが舵取りを任されました。

本来であれば正式に書面で各方面へ報告するのでしょうが、とにかく財政危機。余計な金をかける必要はない、ということと父自身そのタイミングでは私の社長交代は形式だけで自分がこの会社の主であるということを変えたくなかったからだと思います。


というわけでまずは社長になった報告を所属する葛飾ゴム工業会で行うのですが。。。

まさかの事態勃発!そこから考えた私なりの会社の方向性。

この辺りを次回更新したいと思います。


そういえばこの2015年7月には下町サミットというイベント企画も行っていた時期でした。

これについては後日別件で書きたいと思います。良い思い出です。


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