子どもの頃、泣き虫だった自分を変えてくれたもの
「そうそう、あの袋どこにいったのかな?」
最近ふと、幼い頃、母親からももらった「泣き虫入れ」という名前の
ポシェットの存在を思い出した
私は、幼いころ泣き虫だった
姉への憧れが強すぎて、彼女らと肩を並べたくて
精一杯背伸びをした
しかし、決っして追いつくことができなかった
5つ年の差があるというのに
同じことがしたいというのが無理があるが
出来ないことが悔しかった
出来ないと悲しくなってすぐに母親にすがりついて泣いていた
食事の量、縄跳び、あやとり、折り紙、お絵描き、ゲームetc...
たぶん面倒くさいタイプの泣き虫だった
大人には、当然と思っていることも
子どもには当然でないし
子どもには、言葉にならない言葉がある
そんなことを知ってか 知らずか
困り果てた母が 「泣き虫入れ」ですよ!とポシェットを買ってくれた
「お腹の中にたくさん泣き虫が住んでるから、泣きたくなったら、そのかばんの中に涙と一緒に泣き虫さんを入れて、大事にさげとくといいよ」
と言われた
それからのことを あまり詳しく憶えてないが
しばらくは、そのポシェットに泣き虫を入れに行っていたが
そのうち私の中の泣き虫が全部出ていったのか
2ヶ月くらいで、すぐに泣かなくなったらしい
「もう泣かないの?」ってにっこり微笑む母と
ピンクのポシェットのことだけが今も映像として浮かぶ
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「サピエンス全史」という本
ホモ・サピエンスの誕生が200,000年前、それからホモ・サピエンスは多くのホモ属を絶滅させている。他のホモ属と比べても体格が良いわけでなかったホモ・サピエンスが生き残れたのは、言語とフィクションで団結できたから (ホモ・サピエンス全史の一部をまとめた主張)
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泣き虫だった自分を変えてくれたものは
母の「フィクションを語る力」
子の「フィクションを信じる力」だったのではないかと思う
勇気とか、信念とか育てる・鍛える系のことでなく
何かを信じる力、語る力が 泣き虫だった私を変えたのだろうと思う
やるなホモ・サピエンス! 母 ありがとう!
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