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ミズクラゲ4
【最終章】
「会うのは今日で最後にする」
ゆうから突然そう告げられた圭佑は、すぐには言葉の意味を理解できなかった。
二人で夜の水族館に来ていた。
「クラゲが見たい」
ゆうがそう言い出し、都内から少し車を走らせてここまで来たのだ。
夜の水族館は昼間とは違う顔を見せていた。水槽を泳ぐ魚も昼間とは選手交代といったところか。この水族館のスター選手であるミズクラゲは、美しくライトアップされ、それはそれは幻想的だった。
「え…なんで?」
さっきまで二人でゲラゲラ笑いながら、大きな水槽の底で眠るマンボウのマネをしていたのだ。話の回線がうまく繋がらない。
そうは言いながら、圭佑は最近のゆうの様子の変化に気づいていた。
キスの後小さくため息をつくことが増えた。最初は甘い吐息を漏らしているのだと愛しく思っていたが、次第にそれはなにか心に溜めた思いではないかと思うようになった。
何か悩みがあるのなら打ち明けてほしかった。ゆうが家庭を大切にしていることはわかっていたが、それでもゲイを隠して生きるゆうを自分が少しでも解放してあげられるなら、どんなことでもするつもりだった。
バイセクシュアルである圭佑にはゆうの本当の苦しみは理解できてなかったかもしれない。男性でも女性でも魅力的な人がいるのなら、この世界は愛に溢れた素晴らしい場所だった。圭佑は自分が好きになった人から拒否されたことがなかった。確かに、過去に付き合った人から「自分との将来をどう考えているの」と詰め寄られることは多々あった。将来…そう言われてもこの先この関係がどうなっているかわからないし、もしかしたら他にもっと愛する人が現れてしまうかもしれない。わからない未来のことを今決める意味はもっとよくわからなかった。今二人は愛しあっている。それがこの先も続くかもしれない。続かないかもしれない。
ただ「今」を積み上げていくだけでは駄目なのか…?
自分の考え方が他の人と少し違うということはわかっていた。だからといって考えを無理やり変えることはできなかった。
「なんで?」
もう一度圭佑は尋ねた。
ゆうはそれには答えず、「ごめん」とつぶやいた。
「もう決めたから」
「え?そんな勝手に決めないでよ。僕の気持ちは?置いてけぼり?」
なにを言ってもゆうは「ごめん」としか言わない。
嫌だった。今まで別れる相手にはあまり執着することがなかった圭佑にしては珍しく、どうしてもすんなりと受け入れられない。
「なんで?理由は?もう飽きた?他に好きな人できた?」
圭佑には、ゆうが飽きたわけでも他に好きな人ができたわけでもないことはわかっていた。ただ、もうだめなんだ。ゆうがそう決めたから…。
「ずるいよ。一人で決めちゃうんだね…」
「………」
ゆうの笑顔をもっと見たかった。心の穴を僕のキスでふさいであげたかった。ゆうを幸せにしたかった。でも…たぶん僕にはできないのだろう。
「僕にはあなたを愛する資格はなかったのかもしれないね」
僕には覚悟が足りなかったのだろう。ゆうとこの世界で生きていく本当の覚悟が。
「わかった」
僕は言った。
「最後にもう一度だけキスしたい」
ゆうは涙をこらえるように少し顔をゆがませ、そして優しく唇を寄せた。圭佑はゆうに最後のキスをして
「大成功!ですね」と言ってウィンクしてみせた。
ゆうはもう笑ってくれなかった。