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ミズクラゲ2
【第二章】
ああ、飲みすぎた…。あの社長ほんっとたち悪い。
ブツブツ悪態をつきながら橋田圭佑は終電の終わった駅のロータリーでタクシーが来るのを待っていた。
これで今回の契約が取れなかったら、あの人前での公然わいせつキスはなんだったって話だよな…。
そう思いながら、そのキスの相手となった水無瀬ゆうのことを思い出していた。
水無瀬のことは他社ながら知っていた。すらりと細身で髪と瞳の色が少し薄く、ハーフの血でも入っているのかと思わせる中性的な印象の男性だった。アシストについている女の子たちがキャーキャーうわさをするので、彼が既婚者で妻と娘の3人家族であること、今回のプロジェクトのライバル、しかもかなりの強敵であることなどは知っていた。
そして・・キスが上手いことも今日知った。あのキスはやばかったな。あんなキス、同性どころか女ともしたことない。あれはなんだったんだ?場の雰囲気?人前だから?それとも…。
圭佑は物心ついた頃から男性が好きだった。いや、正確には男性も女性も性別に関係なく、顔やスタイル、その雰囲気や話し方で好きかどうかが決まった。今まで交際してきたのは男女問わず十数人になるだろうか。ただ、一生一緒にいようなどと大それた覚悟ができたことは一度もなかった。仕事もやっと面白くなってきたところで、時々飲みにいったりベッドを共にする相手には事欠かない。お気楽な独身ライフを謳歌していた。
(あの人は男とキスしたことあるな…。)
圭佑は水無瀬のことを思った。男性とのキスは舌の圧力のかけ方が微妙に違うのだ。水無瀬はそれが絶妙だった。LGBTならではの嗅覚で圭佑は水無瀬の指向を嗅ぎ分けていた。
(水無瀬ゆう。また会えるかな)
一度こう思ったらどれほど積極的にアプローチするか、自分でよくわかっている圭佑だった。
圭佑がゆうを食事に誘ったのは翌々週のGW前のことだった。
約束の時間に少し遅れてしまい、予約を入れていた寿司屋に圭佑は汗をかきながら滑り込んだ。
「すみません!遅れてしまいまして…。」
カウンターに座るやいなや平謝りの圭佑に、ゆうは「いえいえ、私も今来たところなんです。とりあえず生ビールで大丈夫ですか?」と礼儀正しく尋ねた。
「はい、ありがとうございます」
涼しげに白く汗をかいたグラスを合わせ、二人は一気にビールをあおる。
「それにしてもびっくりしましたよ。あの社長、セクハラおやじなだけでなくとんだ食わせ者でしたね」 「今日ご連絡いただいて当方でもすぐに確認しました。混合チームなんて、そんな図々しいこと考えつくのはあの社長くらいのもんですよね」
先日のプレゼンの結果、1社に絞りきれなかった例の社長がなんと両社の案のいいとこ取りをミックスさせた混合チームを作ると言い出したのだ。これまでの努力はなんだったのだと思う反面、それが社長にとっても両社にとってもメリットがあることになる予感がしていた。
「水無瀬さんと僕の二人でチームを引っ張ることになります。水無瀬さんと御社の胸を借りるつもりでやらせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
改めて頭を下げると、ゆうは柔らかな笑顔で「こちらこそお手柔らかに。いいものにしましょう」
ビールが日本酒、そして焼酎に変わるころには二人はすっかり打ち解けていた。もともと人の懐に潜り込むのがうまい圭佑は、ゆうが聡明で穏やかな笑顔の影に少し悲しい諦めの匂いを染み込ませていることを見抜いていた。
「それにしても橋田くん、こんなお店よく知ってたね」
そこは歌舞伎町の片隅に建つ雑居ビルの5階にある寿司店だった。カウンターと数人座ればいっぱいになってしまうテーブル席があるだけの狭い店だが、ネタは新鮮で大将の腕も良く、おまけにとても良心的な値段の店だった。
「昔この近くのクラブによく遊びに来てて、そこの先輩に教えてもらったんですよ。僕のとっておき隠しカードです」 「にしては初っぱなから隠し玉出してきたねぇ」
笑いながらゆうはこの近くのクラブという言葉に胸をざわつかせていた。
この店からすぐのところに男性同士の出会いの場となっているその筋では有名なクラブがあるのだ。
「〇〇ってクラブです。行ったことあります?」
さらりとカミングアウトする圭佑を眩しく思いながら、ゆうはどう返事をすべきか考えていた。社会的にも家庭内でもノンケを装って、いやもはやゲイであることを自分ですら忘れるくらい完全に封印してこの数年生きてきた。今の生活を守るために全てを捨ててきたのだ。いまさらこんな年下の商売敵にカミングアウトなど…。
なのになぜかゆうはこう答えていた。「僕も若い頃はたまに来てたよ」
言ってしまってからゆうはハッとした顔で圭佑を伺う。
「かなぁと思ってました。なにかいい出会いありったりしました?」
「…そうだね、あったこともあったかな…。」
そう答えたゆうの瞳に、今まではなかった煌めきが光ったのを圭佑は見逃さなかった。
(この人は今でもそのままなんだ。)
グラスを持つ長い指や栗色の柔らかな髪に触れてみたいと思いながら、圭佑はゆうの複雑そうな人生に思い馳せた。