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五月になれば
四月まで雪の残る北国で少年時代を過ごした私は、五月の暖かい陽光をいつも待ち侘びた。
それは冬の日々が寒過ぎるとか、嫌で嫌でたまらないということではなく、毎日スキーやスケートで遊びまわる季節が終わり、残雪の消える日を迎えるというのは、季節の移り変わりを知る特別なゴーサインだった。
東京の五月は、時には夏日のような暑い日もあってあの頃の季節感とは全く異なるが、それでも私の体内時計は五月になれば今もムクムクする。ボケたわけでも、錯覚でもなく、五月になればと思うのである。
陽だまりの中をゆっくりカメラを片手にぶらぶら歩くと、少しはマシな写真が撮れそうな気分にもなる、これも五月になればなのである。
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30年もの間、春秋はいつもこの街に居なかったことで、東京の新緑が素晴らしいことについ最近気がついた。気難しい早春の後で、全てが再生されたように生き生きと見える四月の短くも美しい時間、それでも私はやっぱり少年のあの頃のように、五月になればと心を膨らませる。
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