藤野論53:何度も言うが、男には静寂が必要だ

一昨日、近所のスーパーで藤野婦人と遭遇した。
とたんに表情がなごんだ。婦人はじつにチャーミングで、私のような圭角者でも、彼女を前にするとニコニコしてしまう。
ひとしきりおしゃべりして辞去したが、以来、私はなんとなく居心地の悪い思いをしている。
藤野論で、藤野小町をあげつらったことは一度もない。だが藤野に暮らす彼女は(読んでいるか知らぬが)藤野論のために迷い混乱しているかもしれない。
ひょっとしたら、旦那さんとの間に変な空気が流れ込んでいるかもしれない。そんな妄想がずっと私をさいなんでいる。
この煩悶がいかなる論を紡ぐのかは、まだ見えてこない。ただ、彼女が心配していた我が夫婦仲についてまで心労をかけるわけにはゆかぬ。
藤野小町さま 
ありがとう。我が夫婦仲は「よい」かどうかはあやしいけど、少なくとも「お盛ん」です。第三子を授かるかもしれないくらいw (*´∀`*)
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【塾長ブログより】男には静寂が必要。すれ違い夫婦だからうまくいく
「別居」といえば、人聞きが悪いから「別宅」とでも呼ぶべきか。家内と同じ屋根の下で過ごすのは、週に2日か3日だ。
たとえば今日。わたしは八王子の家で日がな一日読書。家内と子供たちは、昨日から山梨の家で、我が両親や親類たちと過ごしている。平日は、これが逆になる。
私は自由業、家内は専業主婦なので、放っておくと四六時中いっしょにいることになりかねない。
上手にすれ違わなければ、いくら仲がよい夫婦でもストレスがたまる。時には、火花が散ることだろう(ましてや、うちなどなおさらだ)。
一部の人から「すれ違い夫婦は、子供にとって悲劇」「家族はつねにいっしょにいるもの」という批判を浴びることもある。だが、そう思っているのは、たいてい女性である。
夫のほうは「ああ、たまには、ひとりでいたいなあ」が本音なのであるが、口にできずにいる。彼らは、通勤の途上、つかの間の静寂を味わうことでよしとしているのだ。
女性諸君には、なかなか理解できないだろうが、男には「静寂」が必要なのである。
孤独な時間がなければ心は冷え、魂は枯れてしまう。ときには、ひとり静かな時間を持つことで、心身を回復させる必要がある。
そういう意味で、母親のこまごまとした世話は、少年にとって「騒音」でしかない。そして、ひっきりなしに騒音にさらされた子供は疲弊して、やがて活力を失っていくことになる。
何度も言うが、男には静寂が必要だ。すれ違いシステムは、そんな男を癒やしてくれる、家内安全方略なのである。上手にすれ違ってくれる家内に感謝したい。

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