Q3:趣味はいかにしたら「道」へと昇華できるのでございましょうか?
塾長:この問いに答えるにあたり、まず「道」とは何かを定義しておいたほうがよいでしょうな。
我輩としては、道とは「それによっておのれを鍛錬し、それと同時に磨きがかけられてゆくもの」と定義しとうござる。
よく鉄道趣味を、同好の士は「金を失う道」と自虐的にもうしますが、「道」とはともすれば、家産を破りかねぬ、危険な没入行為だと思われます。そこが、日々の生活を豊かにする「趣味」との違いではありますまいか。
ただ、我輩は(師も同様でございましょうが)趣味ではどうにも飽き足らぬものがございますな。
日々の生活が豊かになる。それはたいへんけっこうなことでござるが、我輩には、それはしょせん「癒やし」でしかないように思えてなりませぬ。
「癒やし」を欲するあたりからして、日日の暮らしに疲弊している証左にほかならず、疲弊と癒やしの間を行き来しているようでは、本稿のテーマである「元気ハツラツ」にはとうてい到達できますまい。
むしろ、道におのれを没入している求道者のほうが元気ハツラツであるという現実をみると、もう一歩、あるいは二歩踏み込んでみてはどうかと思いますな。
さて、世の女性は稽古を好みます。茶にせよ華にせよ、習い事は、女たちで賑わっております。一方の男はどうかというと、稽古というより修行を好むふうがございますな。
女は稽古という場において、そこに集った友たちとの交友を楽しむことが主目的であるのに対し、男は修行の場において、おのれに向き合うことを主眼にしております。
そういう意味で、男の修行はあくまでも独りで行われるものであり、その場に他の者たちがいたとしても、「独り」であることが求められます。
我輩は、ここに趣味から「道」への昇華のヒントがあるように思えるのですな。つまり、群れずに独りで行動する。
そうすることで、おのれの中での対話が生まれてまいります。おのが身中における対話ほど愉快で刺激に満ちたものはなく、求道者がよく独り言を言うのはそういうわけでござる。
自己の中での対話、これが「道」の醍醐味であり、それに体験量が増えることで、おのずと趣味は「道」となってゆくのでございましょう。独りで行動せよ。我輩が申したいのは、こういうことですな。最高です👺
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