1-1「からっぽ」はよくしゃべる
塾長:若いころは、誰でもおしゃべりなもので、「沈黙の提督」とよばれた東郷平八郎ですら、とてもおしゃべりだった。
ある人が大久保利通に東郷を推挙したのだけれど、大久保は「東郷はおしゃべりだから」という理由で却下してしまった。〔翔ぶが如く〕
この一件で懲りたのだろう。その後の東郷はみずからに「沈黙」を課し、日露戦争で大活躍するころには「沈黙の提督」として、すっかり沈黙キャラが板に付いていた。
伊藤博文も若いころは、〈中年以後の彼とはちがい、多分に軽躁浮薄〉で軽口だったんだけれど、〈中年以後〉においてはすっかり重厚沈毅になっていた。地位が沈黙をつくり、沈黙が地位をつくるのだろうね。〔花神〕
もうひとつ大事なのが、ゆっくりしゃべること。
威厳のある人物といえば、まっさきに大久保利通があげられるだろう。大久保は、たとえば何か提言を受けると、じっと考えて、しばらくしてから、ゆっくりと話し始めたそうだ。〔「昭和」という国家〕
また、ゆっくり話すことによって高貴さもまとうことができるようになる。
天皇陛下をはじめとした皇室の方々が穏やかな表情で、ゆっくり言葉を選びながらお話しになるようにね。
貴人はゆっくりしゃべるものと、昔から相場が決まっているようで、『大盗禅師』にも、稀代の世間師ともいうべき由比正雪が、ゆっくりしゃべることで貴人になりすます場面がある。
ゆっくりしゃべるようにすれば、頭脳を使わざるをえない。そうすることで、一つ一つの言葉に、思考という重みが加わって、それが威厳になるのかもしれないね。
少壮:口数が少なかったり、しゃべりが緩慢だったりすると、頭の回転がにぶいのではないかと思われるのではないでしょうか?
塾長:たしかに、今ならそう受けとめられるかもしれない。こんにち、立て板に水のごとく言葉が出てくる人が頭の回転が速いとされているからね。
でも、おしゃべりな人のほとんどは、頭の回転が速いどころか、むしろ〈からっぽ〉なのではないだろうか。
『妖怪』の主人公・源四郎は、以前は〈からっぽ〉だったからよくしゃべったが、しだいに〈中身〉ができてきてからは、言葉に〈ためらい〉が出てきて、舌がもつれるようになった――とされている。〔妖怪〕
〈からっぽ〉は頭を使わないから淀みなく言葉が出てくる。でも、思考しながら言葉を選べば、そうべらべらとしゃべることはできない。
たしかに、頭の回転が速い人は往々にして早口でよくしゃべる。でも、日本社会では、そういう人たちすらも、感情というものがわかっていないとして尊敬されない。だから、頭の回転とは関係なく、早口でおしゃべりというだけで軽蔑の対象となってしまうんだね。
西郷隆盛の側近に篠原国幹という男がいて、とても威厳があって尊敬されていた。じつは、篠原はそれほどの人物ではなかったのだけれど、異常なまでに無口だったので、「この人には、よほど思慮があるのだろう」と〃誤解〃されていたというんだね(笑)。〔翔ぶが如く〕
少壮:威厳とはしょせん誤解。なるほど、おっしゃる意味がわかってきました。
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