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【尾松亮】「前進」強調のためのデブリ取り出し着手|廃炉の流儀 連載54

 9月10日、東京電力福島第一原発で事故により溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の「試験的な取り出しが始まった」と報じられた。

 同日の記者会見で林芳正官房長官は「今回の着手で工程表の第3期に移行した」と強調している。政府と東電の「廃炉に向けた」ロードマップでは、作業の期間を3段階に分けており、燃料デブリ取り出しの開始からロードマップ終了までを最後の「第3期」と位置づける。この「試験的取り出しの着手」によって、第3期に「進んだ(移行した)」というのが政府の評価だ。

 しかしこの時点では「着手した」だけであり、取り出しが完了したわけでもなければ、一部の取り出しに成功した、わけでもない。

 着手さえすれば、その後失敗しようが、一部の取り出しにとどまろうが「次の段階に進んだ」ことになってしまうのだ。

 東電と政府が本気で燃料デブリを取り出し、安全に管理することを目指しているのであれば、ロードマップの区切りとして重視すべきは「取り出しの完了」であり、「着手」それ自体ではないはず。そもそも2051年の終了を目指すこの「廃炉に向けたロードマップ」では、いつまでに燃料デブリの取り出しを終えるのか、そもそも燃料デブリ取り出し完了を目指すのか、について何も具体的な記述がない(現時点で最新の2019年版ロードマップ)。

 つまり取り出し「着手」さえすれば、最終段階に「進み」、どれだけ燃料デブリを取り出せるかは「問わない」のが東電と政府の工程表なのである。

 そもそも何を目指すのかを明示せず、結果責任を問われない計画であれば、その計画スケジュールに従って作業を進めることにほぼ何の意味もない。「着手」はしたが、取り出せませんでした、一部取り出しましたが残りは無理でした、という結果になっても東電も政府も法的責任を問われないのだ。

 8月22日には、デブリ取り出しのための装置をつなぐ順序にミスがあり作業が延期された経緯がある。この問題について東電は「現場が高線量であったことから、棒の運搬作業を途中で中断したことが、次の日の作業員に伝わらなかった」と説明している(9月8日福島テレビ)。取り出せるのかも不明で、取り出せたとしても微量にとどまる作業の「着手」のために、相当高線量の現場に作業員を送り込んでいるのだ。

 9月10日の「試験的取り出し着手」でも「放射線量が高いため、総勢62人の作業員が交代で作業にあたり、原子炉格納容器の真横にある『隔離弁』の先まで燃料デブリの取り出し装置を入れた」(9月10日朝日新聞)と報じられている。やはり、作業員の方々に大きな負担を強いているのだ。

 多種多様なガレキや原子炉内外の損傷施設と混じり合った溶融燃料は、880㌧ではおさまらないだろう。その大量かつ多種多様な成分と混じり合った燃料デブリのうち、数グラムのデブリを取り出して分析しても、全量の取り出しに役立つ知見が得られるとは、にわかに信じがたい。「新しい工程が始まった」、「進んでいる」ことをアピールするためだけ、とりあえず何が何でも「着手した」のが実態ではないか。


 おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。

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