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10年目に振り返る、自分の出発点―【春橋哲史】フクイチ事故は継続中⑫

 東京電力・福島第一原子力発電所(以後、「フクイチ」と略)では、核災害の収束作業が続いています。

 10回目の3・11を迎えるに当たり、今の自分の出発点を、初心の確認も込めて振り返ってみます。

 2011年3月11日の14時46分、私は当時の勤務先のオフィスで仕事中でした。異様な長時間の揺れに恐れをなし、同僚と共に机の下に潜りました。

 揺れが収まると、安全確認で業務は無期限に中断となり、私を含む多くが休憩室に集まって、NHKに合わされた大きな液晶テレビに釘付けになりました。

 その時点では、地震と津波のことばかりで、核災害の可能性は頭の片隅にも浮かびませんでした。

 自宅でつけっぱなしにしていたテレビで建屋の爆発が伝えられた時は、足元の床が溶けていくような感覚にとらわれました。特に、3号機の巨大な爆発煙には衝撃を受けました。

 私の頭の中は、「原発周辺の人達は逃げられるのか」「この国はどうなるのか」「東海第二などの他の原発は大丈夫か」「首都圏も避難することになるのか」「自分の人生はどうなるのか」と、様々な思いが駆け巡りました。この時は、それまでの人生で最大の不安と恐怖に慄いた、と言って過言ではないでしょう。

 3月後半から4月にかけて、どうにか事態が落ち着いたように見えた時も、「本当に落ち着いたのか」「何が起きて何がどうなったのか」報道からは全く掴めず、釈然としないままでした。

 そのような中で読んだのが、2011年12月26日に公表された、政府事故調の中間報告書です(※1)。PDFをダウンロードし、分からない用語はネットで調べ、年末年始の休みを潰して読了し、「注水停止」騒動の真相も初めて分かりました。

 これを契機に、私は「フクイチ事故のことをもっと知りたい・知らなければいけない」という思いが募り、2012年には国会事故調(※2)の委員会を傍聴し、経産事務次官・松永和夫、官房長官・枝野幸男、東電社長・清水正孝(肩書は事故当時・敬称略)といった、「意思決定を下した当事者」を初めて直に見ました。

 国会事故調は記者会見もノーカットでユーチューブにアップしており、「報道を通じて間接的に知る」のが当たり前だった私には、傍聴や視聴で「直接知る」のは、一種のカルチャーショックでした。「直接知る」ことの大切さを実感し、学びました。

 関西電力が大飯原発を再稼働し、政府もそれを認めるらしいと聞いてからは、ネット上の噂に引き付けられるように、2012年の6月頃には毎週金曜日の官邸前行動に参加するようになりました。最初は野次馬気分が抜けなかったのですが(反原連の皆様、ごめんなさい)、全力でコールし、全身で思いの丈を表現する圧倒的な人数を目の前にして、傍観者ではいられませんでした。私も、20万人(※3)の一部になっていました。

 この年の9月に発足したのが原子力規制委員会です。

 規制委員会は、2013年7月には新規制基準を策定し、原発等の適合性審査を開始するとしていたので、私は「国会事故調の傍聴の続き」のつもりで、同年秋から規制委員会を傍聴するようになりました。

 以来、原子力規制委員会の傍聴を継続し、フクイチを含む核施設のリスクについて、多くを教えられました。報道という「間接情報」では知り得なかったでしょう。又、リスクに対する考え方でも、大いに学ぶところがありました。

 フクイチ以外の核施設のリスクの一例が、東海再処理施設(※4)です。この施設には、海抜6㍍の建屋内に、使用済み核燃料の再処理の過程で発生した高放射性廃液・約380京ベクレル(計算値/※5)が残されています(5つの貯槽に約340立方㍍を分散貯留。紙幅の関係で、廃液のガラス固化が中断している理由の詳述は控えます)。

 このように、フクイチ以外の核施設の潜在的なリスクを知っていく中で、私は「世界最大級の核災害に対処中のこの国で、フクイチ以外の核施設のリスクが顕在化したら、一体どうなるのか」という視点に重きを置くようになっていきました。

 フクイチでの収束作業は、何が有ってもやめられないものです。たとえは不適切かも知れませんが、フクイチの収束作業は、撤退も、降伏も、交渉もできない、果てしのない戦争のようなものでしょう。

 この状況で万一、第二の核災害が生じれば、この国は「核災害二正面作戦」を強いられることになります。それに対応できるリソース(人材・資機材・予算)が用意できなければ、この国はどうなるでしょうか? 用意できたとしても、その他の政策分野へのリソース配分にどのような影響を及ぼすでしょうか?

 私が、フクイチを含む核施設のリスクを追い続けている最大の理由がここにあります(「フクイチの電気の消費者であった」「3・11を止められなかった主権者の一人である」という責任論も重い理由ですが、紙幅の関係で詳述は控えます)。

 「核災害二正面作戦」という事態を避ける為にも、核施設のリスクの現状を、主権者国民がより広く共有しなければなりませんし、動力源・エネルギー源としての核技術の利用は法的に禁止すべきです。

 私は、これからも、フクイチを含む核施設のリスクを追い続けていきます。

 ※1
 正式名称は「東電福島原発事故調査・検証委員会」。2011年5月24日の閣議決定に基づき設置(長・畑村洋太郎)。2012年7月23日に最終報告書を提出。


 ※2
 正式名称は「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」。東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法に基づき、2011年12月8日に発足(長・黒川清)。2012年7月5日に報告書を提出。

 ※3
 2012年6月29日に主催者発表で20万人が参加。

 ※4
 正式名称は「核燃料サイクル工学研究所」内の「再処理技術開発センター」。所管組織は日本原子力研究開発機構(JAEA)。茨城県東海村村松。1977~2007年、全国の原発からの使用済み燃料の受け入れと再処理を実施。2018年6月に廃止措置に移行。

 ※5
 フクイチ事故で環境中に放出された放射性核種の推定インベントリ(放射能量)は約20京ベクレル。同、チェルノブイリ原発事故での放出量は約190京ベクレル(何れもヨウ素131、セシウム134、同137、ストロンチウム90の合計)。


春橋哲史

 1976年7月、東京都出身。2005年と10年にSF小説を出版(文芸社)。12年から金曜官邸前行動に参加。13年以降は原子力規制委員会や経産省の会議、原発関連の訴訟等を傍聴。福島第一原発を含む「核施設のリスク」を一市民として追い続けている。

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