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【熟年離婚】〈男の言い分74〉

人生のための「家」が、「家」のための人生になって、それで幸せなのかな。


 W氏、63歳。元・会社員。2歳下の妻と、この6月に離婚。

 家を出て一人住まいになって、3カ月余り経ったというのに、まだ、前の家の、白い色がチラチラします。妻の長年の憧れで造った家で、外壁の白は別として、内側も、何もかも白なんです。壁、窓枠、レースのカーテン、テーブル、戸棚、クローゼットに台所、ポットや小物―極め付きは床まで。朝出て夜帰る、という暮らしなら何とか耐えても、定年退職して日がな一日、家に居るようになったら、拷問ですよ。―白い家が完成してから1年半で家を出ました。やれやれ、です。

妻憧れの〝終の棲家〟

 私が28歳、妻が26歳の時に結婚して、息子が二人生まれましたが、共働きだったので、長男の小学校入学を機に、隣町に住む、私の両親と同居することになりました。ほら、「小一の壁」のためです。保育園と違って、小学校では、共働きの親と生活のペースが合いませんから。―おかげで子供達を育て上げることができましたが、もう一つ、助かったのは「住まい」です。両親の家は、祖父母の代に建てたもので、建付けは悪い、床がきしむ、などと不具合もありましたが、広々とした2階建てで、息子達は、のびのび育ちました。両親もよく孫の面倒をみてくれて、私ら夫婦も、最後まで親の世話も出来ました。

 そのうち、息子達も独立、私達夫婦の“第二の人生〟をスタートさせることになりました。

 私が62歳、妻が60歳の退職を控えた1年前、お互い、二人だけの人生を楽しく送ろうと―今まで辛抱して暮らして来た、崩壊寸前の古い家を取り壊して、小さな“終の棲家”を造ろう、ということになったんです。普段は、なかなか意見が合わないのに、これだけは、双方“スピード合意〟に達しました。

 まずは、70坪ほどの庭は半分、近所の工場の駐車場用に売って、新居が完成したら、古家を壊して―と話がまとまって―平屋、6畳三間、中廊下、10畳のダイニングキッチンの新築が始まりました。

 私は会社の仕事が忙しくて、大まかな設計はしたものの、後は妻に任せて、工事が終わるまで古い家で暮らしていました。これが恐ろしい結果になるとは―。

内外、白づくめの家完成

 妻は、10年ほど前から「青い屋根、白い壁」の家に住みたいと言っていました。婦人雑誌で見た、南フランスの小さな別荘が、彼女の“夢”だったんですね。外観は、その感じの家造りが進行。ここは南仏じゃないぞ、と私は気恥ずかしいが、ま、いっか、と。ところが―内装工事が進んでいるうち、あれ?と気が付いたら、壁も柱も何と床も白ですよ。びっくりして妻に聞くと「それでいいの。私のデザインなんだから」と自信満々。こっちが不満をぶつけると、「内側のことは任せるって言ったでしょ」と。「白」じゃなく普通なのは、私の部屋の予定の6畳間と中廊下。トイレも風呂も白タイルです。


 出来上がった家の恐ろしさといったら、どこもかしこも白づくめ。カーテン、戸棚、ソファも白。―妻は、親しい友人が、やはり南仏の別荘のイメージで応接間を白づくめにして、おばさん友達に大評判だったのも、よほどうらやましかったようで、「私は、もっと素敵な家にしたい」と言っていたけど、「これがもっと素敵か?」「あんたのセンスがダサいの」と、もう連日大喧嘩ですよ。

 考えても見てください。家中、白です。赤だけの空間に入れられると気が狂う、って聞いたことがあるけど、白だって行き過ぎればノイローゼになっちゃいますよ。

 私は、妻の“魔の手”から逃れた、自分の“平凡”な部屋に籠るか、出かけるか、何とも落ち着かない日々を送ることになりました。ここまでなら、まぁ、我慢するとして、もっと耐えられないことが起きるんですよ、白い家ってね。

厳しい行動規制

 妻は“念願”の素敵な住まいが出来て、幸せいっぱい。友達を呼んで得意満面だったけど、客用に揃えた白のスリッパは出さずに、普通のスリッパを出している。何で?と聞くと「白は汚れやすいもん」と―。毎日の食事は、油を使うのはダメ。当然、焼肉なんか厳禁。ボロ屋に住んでいた時は、しょっちゅう、焼肉や天ぷらやってたのに。妻の日課は家中を磨くこと。私の煙草は、前の家ではフリーだったのが、今度は庭で。白いソファは、汚れやすいからと、客が来ない時にはシーツを懸けて―カレンダーや絵を懸けるビスもフックもだめ、壁が傷つくから、と。彼女は毎日、“白い小さなお城”の防衛にも努めました。

 一番のトラブルは、小学生の4人の孫達。―長男と次男の子供達です―前の家では、プロレスごっこも、かくれんぼも、ヒップホップの練習も、やりたい放題だったのが、今度は、「家が傷む、汚れる」と、彼らの“祖母”からの厳しい行動規制で、すっかりしおれてしまった―息子達も嫁達も、うんざりしたらしく、新居には2回来たきりで、ぷっつり御無沙汰。第二の人生の生活がすっかり変わってしまいましたね。


「家」のための人生?

 妻がうらやんだ、その白い部屋の友人は一室限定だったからこそ、うまくいったのにね―妻は脱線です。初めのうちは珍しがっていた友達も来なくなって―それでも彼女は、白い“お城”の隅々、家具、道具を磨き上げるのが“人生”になりました。人生のための「家」が、「家」のための人生になってしまったけど、彼女には、それが自分の幸せなんでしょう。

 でもね、わが家の場合は極端だけど―周りの住宅を見てると、みんな同じような気がしますよ。私の町は、畑がどんどん宅地になって、若い人達の家が次々、建っているんです。どれも小じゃれた2階建てと小さな庭―そんな家々が増え続けています。たまたま、ウイークデーにそのあたりを通りかかると、どの家もカーテンを閉め切って留守。ひっそり静まり返っています。みんな夫婦共働きで、住宅ローンを払っているんでしょうね。子供は塾か、学童クラブなんでしょう。

 とにかく、日中は無人の、寂しい町です。―やがて家々の子供達が成長して、子供部屋も空く。将来、その子達が帰って来て、その家を住み継ぐことなんか無いでしょうね。どの夫婦も、憧れの“わが家”の計画をいそいそ立てて、おしゃれな住まいを創り上げて、それで留守にする。そしていつかは空き家になる―そんな町を見ていると、「人生」のための家じゃなくて、みんな「家」のための人生を一生懸命やってるんだな、と妙な“感慨”に襲われますよ。

 定年退職を機に、妻とはそれぞれの残りの人生を送ることにしました。妻は“充実”の人生のようで、せっせと家を磨いて、小さな花壇を作って暮らしているようです。私は、前の会社の嘱託であと数年、頑張ることにしました。社宅暮らしですが、壁も床も窓の桟もフツーの色―今はそれだけで、まずは幸せです。
(橋本 比呂)



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