第50回総選挙後の行方
石破茂首相が10月9日衆議院解散、10月15日告示、10月27日投開票という短期決戦で第50回衆議院総選挙が行われました。結果は以下のとおりです。
自由民主党と公明党では過半数である233を上回ることができず、64議席減の233議席という敗北を喫しました。自民が56減の191,公明が8減の24という結果になりました。
野党第一党の立憲民主党は50議席増の148、国民民主党が21増の28、れいわ新選組は6増の9,参政党が2増の3,日本保守党が3という結果に。その一方日本維新の会6減の38,日本共産党が2減の8、社会民主党は1議席を手堅く守りました。
ここまでは周知のとおりとなります。過半数に18足りません。いわゆる「裏金」問題で出馬し当選した3人を足しても過半数にはなりません。そのような中石破総理は続投の意向を示していますが、どう考えても難しい状況です。
この後、憲法に基づき首班指名選挙が国会で始まります。
国会法の規定では、過半数を得る候補がいなかった場合は決選投票となり、相対多数の候補が首班となります。
何が考えられるか?
・・・とここまでは、制度的な話です。これからは政局の話をしようと思います。
今の自民党として考えられるのは、「少数与党」「連立内閣(閣外協力)」「部分連合」「大連立」の4つです。
少数与党
まずは少数与党から見てゆきます。
日本は議院(国会)内閣制である以上、常に国会(主に衆議院)からの責を追う立場にあります。
党議拘束がかかっている限り、過半数の賛成がない限りは内閣不信任案が可決(もしくは内閣信任決議が否決)され、内閣総辞職か解散総選挙ををしなければならなくなります。少数与党では、それがいつ起きてもおかしくない状況となります。
しかし、内閣不信任案は簡単に出されるものではありません。「可決されると総選挙になる」こともあり、石破総理が「そうであれば、もう一度国民に信を問いたい」と言ってしまうとまた総選挙になります。
野党にとっても楽な話ではないのです。ハプニング解散では当時の社会党が提出した大平内閣への内閣信任決議が可決され、解散総選挙となり、自民党が大勝してしまった歴史があります。
連立内閣(閣外協力)
続いては「連立内閣(閣外協力)」です。
これは一つの政党ではなく、2つ以上の政党が内閣を構成する仕組みです(閣外協力では原則入閣がない)。日本は55年体制が崩壊して以降、基本的に連立で内閣を構成することが多くあります。
いま自公を足しても過半数ではありません。であれば、一部の政党を抱き込むことで過半数を占める、という方針です。
国民民主党も日本維新の会も連立を否定していますが、石破総理は国民民主党に秋波を送っているという報道もあり、予断を許しません。
過去には細川内閣や村山内閣のように、大政党が小政党に総理の椅子を差し出すことで連立の達成したこともあります。
部分連合
続いては「部分連合」です。これは「限定的な連立内閣」です。
日本ではあまり例がありませんが、過去にはイギリスのメイ内閣の例があります。「内閣不信任案に賛成せず、予算案へは賛成する」ことが条件となります。しかし他の法案では野党と同調することもあり得、与党としては難しい立場に立たされます。
大連立
最後は「大連立」です。
これは「与党と野党第一党が連立を組む」という一見すると荒唐無稽な話にも見えます。
しかし、ありえない話ではありません。過去のドイツのメルケル内閣はCDU/CSUと社民党の大連立が長い間続いていました。これは野党第一党としても、自分たちの政策を大いに反映させる良い機会となりうるからでです。
日本においても、2007年に当時の福田康夫首相と民主党代表であった小沢一郎が大連立構想を描いていました。また民主党政権のときにもそのような構想があったとされます。
いま検索したところ、「もしかしたらそうかもしれない」という記事がありました。
「政権交代」
今回は自民党としてなので触れませんでしたが、「政権交代してしまえ」という話もあります。ただしこれは事実上、自公以外の政党がすべて組むことが条件となり、隔たりが大きすぎます。1993年に8党派が連立した細川内閣が誕生し、政権交代はしましたが、一年も保ちませんでした。
これもこれで前途多難です。
最後に
今回の第50回衆議院総選挙は、本当にどこかが勝ってもおかしくないと思える情勢であったと考えます。その結果、どの政党も過半数に至らない状況となりました。今後の政局に、目が離せません。
政治と金の問題は、常に付きまとうのだな思った次第です。