(表紙画像はX(旧Twitter)のGROK機能より生成しました)
去る2024年12月24日、政治改革3法が成立しました。
収支報告の報告義務がない「政策活動費」が廃止になり、このスピード感には私も驚いています。
#日経COMEMO #NIKKEI
さて、企業献金・団体献金については未だに結論が出ていません。
岸田総理のときから、自公政権は「八幡製鉄事件」を引き合いに「合法だ」という論を展開しております。
これは判決文のみ読めば確かに「取締役のやったことは合法だ」という論は導けそうですが、その中には以下のような一文があります。
以上のことから、企業は「政治献金は違法とは言えない」と論旨しています。ただ同判決の裁判官の意見として、「抽象的に判断するというのをここで持ち出すのは無理があり、そこだけで判断するのは疑問」、また同判決でも松田二郎裁判官は、こう意見を付けています(これには集団的自衛権のときの論拠になった砂川訴訟のときに話題になった、入江俊郎裁判官も賛同しています)。
というように、当時としても企業献金は即それ自体が危ないのではないか、という論はあったと言えます。しかし私としては、違う側面を強調したいと思います。
やや長い引用になります。
判決文を読んでいて意外だったのですが、「ところで、もし取締役が、その職務上の地位を利用し、自己または第三者の利 益のために、政治資金を寄附した場合には、いうまでもなく忠実義務に反するわけ である」と明確に判示していることです。またこの訴訟では、「ところで、右のような忠実義務違反を 主張する場合にあつても、その挙証責任がその主張者の負担に帰すべきことは、一 般の義務違反の場合におけると同様であると解すべきところ、原審における上告人 の主張は、一般に、政治資金の寄附は定款に違反しかつ公序を紊(みだ)すものであるとなし、したがつて、その支出に任じた被上告人らは忠実義務に違反するものであると いうにとどまるのであつて、被上告人らの具体的行為を云々するものではない。も とより上告人はその点につき何ら立証するところがないのである。」と述べています。これもとても意外でした。
つまるところ、「善管注意義務を立証するなら、その立証は主張者が証明すべきで、この場合は「政治資金の寄付は定款に違反し、忠実義務に反する」と言っているだけでは直ちに善管注意義務違反とは言えない」と述べています。
この訴訟は株主代表訴訟です。株主は会社に出資した人であり、株式会社に直接的な影響力を持つ人々です。そして株式会社の最高意思決定機関は株主総会です。持分会社でもない限り、例外はありません。経営の透明性を担保するため、指名委員会等設置会社制度もできました。いずれにせよ、会計書類は公開されます。
何が言いたいのかというと、政治とカネの問題は「民主主義がどこまで拡大されているか」ということに尽きるのです。一般の政治における投票とは異なり、株主は一株一票であり、たくさん出資した人が大きい影響力を持ちます。資本主義なのですから、それは仕方がありません。
ですが、この八幡製鉄事件も示している通り、取締役が自己またや第三者のために献金をすれば、忠実義務違反と言っています。株主の意識の問題だ、ということもできましょう。
この政治とカネの問題については、「民主主義がどこまで機能しているのだろう?」という点に私は尽きると考えます。もちろん日本の株主総会がそもそもきちんと機能しているのか?という批判や、「論点はそこではない」という批判もあるでしょう。しかし財界を敵視しすぎるあまり、その場しのぎの法規制を設け、企業の自由な活動を損なうのもまた違うと考えます。それゆえその自由な活動には責任が問われる、それは企業体として当然のことだと考えます。また上記した毎日新聞においても
というように、どう規制しても抜け穴は生まれるものです。であれば、決まりに頼りすぎず、株主や、あるいは政界サイドであれば有権者が、よく企業や政治を監視し、見ていくしかないのはないか、と私は考えます。
先般の第50回衆議院総選挙でも、自公政権がここまで敗北したのも「政治とカネの問題」でこのような評価を下したのではないかと思っています。
株主でない人は正直縁遠い話ではあるでしょうが、企業は会計書類を公開する義務があります。株主でない方も見ることができます。株主でなければ訴訟は起こせませんが、「何かがおかしい」と思ってみるのは重要であろうと思います。問題だと言うならば、具体的な指摘が必要なのです。
「政治とカネの問題は、有権者・消費者の意識が問われる問題だ」、と思えてなりません。健全な議会制民主主義・資本主義が発展することを期待いたします。