山野商事株式会社(鳥取市商栄町)
昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和53年1月25日号より、山野商事株式会社の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、各種表現や広告内容等記載内容は掲載当時のものです。一部数字を漢数字から英数字に変更。
【事業所めぐり65】山野商事株式会社(鳥取市商栄町)
明治25年頃の創業というから80年の歴史を誇る。現社長の祖父―豊吉氏が、まだあまり全国に知られていなかった因州和紙に目をつけ、その販路拡大のために始めたもので、以来、紙問屋一筋に現在に至っている。創業当時、鹿野街道に店舗を構えていたらしいが、正確な位置は不明。その後、大正年間に智頭街道の橋の北詰めに移転、合資会社山野商会として発展を続けてきた。
昭和27年の鳥取大火で社屋が全焼、創業以来の資料が焼失したという。社史など不明な点の多いのはこのため。
和紙は、官公庁の公文書―罫紙として使用されるなど戦前は多くの需要があったものだが、戦後はコピー紙など洋紙に押されて一時、市況の大低迷を見た。再び活況を呈しはじめたのが30 年ごろから。書道ブームの再来で、取り扱い品目の大半を和紙で占めていた同社もやや息をついている。
その後、37年に株式会社に改組。43年には米子支店を設置、さらに46年、九州地区の拠点として福岡県久留米市に営業所を設置したほか、44年に現在地に本社を移転させるなど着々と業績拡大を図ってきた。ところで、対前年比で15~20%の伸びを維持させてきた同社だが、48年以後は10%前後にダウン。
業界をモロにおそったオイルショックの影響で、製紙メーカーは大幅な減産、という事態に追い込まれ、いまだに立ち直れないまま生産調整を行っているほど。同社も例外でなく、昨年の年商も10%アップの約16億円にまでこぎつけたほどで、ことしも10%程度が目標。ただ、紙・パルプ不況の渦中にあって同社が大低迷にまで至っていないのは、同社の取り扱い品目の50%を占める和紙が根強い需要に支えられて堅調な伸びを示しているためで、創業以来の同社の“伝統的な”取り扱い品が危機回避の大きな役目を果たしたといえそう。
ともあれ、県特産の因州和紙を主力に、九州から北海道まで全国一円に出張販売で販路拡大に務めており、大幅な伸びは期待しにくいが、意欲は十分だ。(昭和53年1月25日号)