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鳥取瓦斯株式会社(鳥取市本町)
昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和53年2月5日号より、鳥取瓦斯株式会社の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、各種表現や広告内容等記載内容は掲載当時のものです。一部数字を漢数字から英数字に変更。
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【事業所めぐり67】鳥取瓦斯株式会社(鳥取市本町)
鳥取市内の一般家庭を中心として事業場、官公庁、商店など約1万4300戸に都市ガスを供給している。普及率約53%。多くの地元住民の生活に密着した重要な役割を果たしているだけに公共性の強い企業といえる。
同社の歴史は古く、明治45年4月に設立され、米子、松江両市にも基地、営業所を持って同年11月からガスの供給を開始した山陰ガスが前身。山陰ガスは大正2年に大正ガスと合併、関西ガスに改組したが、翌年第一次大戦が始まったため石油などが高騰、経営の危機に陥った。このため、大正7年7月に現社長の祖父である故児島幸吉翁が買収し、資本金10万円で鳥取瓦斯を設立した。当時、ガス事業は熱源としての用途ではなく、街路にたつガス灯のためのものだった。
熱源としての使用は、大正10年ごろに現鳥大農学部の前身である鳥取農高に供給できるようになったのが始まり。以来、ガスが普及するのに伴って順調に発展を遂げてきた。
しかし、同社の60年の歴史の中で最大の危機に直面したのは昭和18年の鳥取大地震と27年の鳥取大火。地震では、市内11万5000平方㍍にわたって敷設してあった銅管が破裂、破損し、大火では工場、社屋が焼失してともに大打撃を被るとともに需要戸数も半減したが、この危機を乗り切った大火の翌28年末には、ほぼ以前と同様の需要戸数にまで回復した。
その後、大きな天災などなく好調に推移したものの、48年秋に起こったオイルショックで、原料が一挙に四倍にもはね上がるという事態を迎え、同社は47年度決算で1億円近い赤字を計上、ガス料金の値上げを余儀なくされた。しかし数度にわたる料金改正もいまだその赤字を完全に解消していない。
「料金アップは、大きな社会変動がないかぎりしたくない」という同社だが、原料が今ではショック前の5倍にもなっており、原料価格の動向で値上げをしいられているのが実情のようだ。
一方、需要量はここ数年、対前年比10%増で推移してきたが、昨年は暖冬のほか長期不況で節約ムードが反映し、4%増の1470万立方㍍(1立方㍍当たり4500㌔㌍)にとどまった。このため、同社では「ことしも4~5%増ほどしか期待できないだろう」とみている。
ともあれ、ことしは創業60周年を迎え、地域により密着した企業になるため、49年に建築した安長の新工場の開放(見学)などを企画しているが、近代生活に欠かせぬガス燃料を供給しているだけに、「常に安全、確実な供給を」と地道な活動を続けている。(昭和53年2月5日号)
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