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カサヰ食品工業株式会社(米子市両三柳)
昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和53年2月15日号よりカサヰ食品株式会社の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、各種表現や広告内容等記載内容は掲載当時のものです。一部数字を漢数字から英数字に変更。
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【事業所めぐり70】カサヰ食品工業㈱(米子市両三柳)
漬け物、みその卸し販売業務を中心に有限会社カサヰ食品として法人化したのが昭和30 年、続いて39年に株式会社として再スタートを切った。広島生まれの笠井社長が前社長の実兄とともに笠井家に養子に来たのは15歳の時。みそ、漬け物の小売り業をやっていた養父のもとで、リヤカーを引きながら行商をやったのが商売の道に入った始まりだ。「今でも米子の旧市内は路地から路地まで覚えている」という社長にとって今日、少年時のそうした体験が大いにモノをいっていることはいうまでもない。
パラリンピックの卓球選手としても著名な同社長が事故に遭ったのは戦争前、名和で始めたでんぷん工場をやっていた時だが「戦争でも足をやられましたし、満身創庚(い)です」と豪快に笑う表情にはあらゆる苦難にもたじろがぬ不屈の精神がうかがわれる。市の卓球協会々長、身体障害福祉協議会々長なども務め、人望厚い同社長だがそうした不屈の姿勢が少年や身障者に勇気や希望を与え、共感を呼ぶのだろう。
「商売でも同様」と同社長はいう。「商売というものは休みがないのだから毎日の積み重ねが重要なことはいうまでもないが、それと同時にこうした非常に情勢が混とんとしている時には特に見通しということが大切になってくる。その意味では経営者は常に目標を立てて行く必要がある」。
目標を立てることが従業員の希望にもなる―という信念は、昨年10周年を迎えた総合卸センターの運営にも生かされている。全国およそ120団地で構成する全国商業卸団地連合会のなかでも17番目という早い時期に設立したこの卸団地は組合員が45社(準会員1社)。「ちょうど時期的にも恵まれていたということもあろうが、一社の倒産なくやってこれたのがうれしい」と語る同社長は、このセンター設立を中心になって推進してきた一人であり、理事長も兼ねている。
センター設立と同時に青果卸売市場も併設、年々順調に売り上げを伸ばしており、カサヰ食品と合わせた売り上げ高は52年度で約21億6000万円を記録。オイル・ショック後も毎年20%以上の成長率を維持、今では米子税務署管内の優良企業19社のうちのひとつに数えられるまでに躍進した。「しかし、ことしは落ちる」と同社長。特に暖冬異変による蔬菜類の暴落は手痛く、量そのものは出ても取扱高は大幅にダウンしたという。それと、食品の方でも大手の進出がめざましいらしく、「攻める方は比較的容易だが、守ることは難しい」という通り、業界競争は一段と厳しさを増している。
しかし、「消費者の志向をいち早くつかみ、お得意をフォローする」ことで難局を乗り切るとしており、この程度の不況ではといわんばかりの闘志がありあり。(昭和53年2月15日号)
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