株式会社河田組(倉吉市住吉町)
昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年5月15日号より、株式会社河田組をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。
【事業所めぐり20】株式会社河田組(倉吉市住吉町)
建設業界は、創業年数の比較的短かい新興勢力の台頭が著しいが、中部で最も古い店舗の一つとして君臨している。
そのせいか、基本的な経営方針を「地域に密着した企業として、これからもやって行くつもり」と、地元重視に置く。
中部の総合建設業のトップメーカーとして成長を遂げてきた同社の主体は建築であり、土木関係の占める比重は少ない。
43年に県の建築課を辞職して前社長の後を継いだ河田賢一社長は「創業以来の基本路線を踏襲し、誠実さをモットーに堅実な仕事をしていく」と、不況·雪害などの余波をモロに受けた形の同業界にあって、過剰投資を警戒してか慎重である。とはいいながらも社長就任の翌年の45年には現在の本社社屋ビルを新築、体制の強化を図るなど意欲的である。しかし、この不況について「仕事量は公共・民間ともに激滅しています。公共関係も中部は特に少ないという気がする」とシビアな情勢分析。
「民間工事についても楽観はできませんが、しかし、一連の景気回復策によって需要が出てくるものと後半に期待しています」と、昭和5年に設立という創業年次が示すように永年にわたって蓄積してきた実績と自信からくる余裕だろうか、他社に見られるような切迫した感じはない。
公定歩合の引き下げに伴う住宅ローン金利の引き下げでは、民間の需要開発を促すものとして建築業界も大いに期待しているが、その効果が現れ始めるのはまだまだ。経済界全体でみても内需が思うように回復せず、辛うじて輸出好調の業種に頼っている現状では、業種間格差あるいは業者間格差の傾向はますます顕著になるものと予想される。そういう意味では優良企業だけが生き残るという戦国時代に突入しているわけであり、建設業界も高成長期のような攻撃型の経営からむしろ防御型の姿勢への転換を迫られているといえる。
そうした厳しい情勢の中にあって同社長の「誠実をモットーにして地域に密着した企業としてやって行く」という経常姿勢は、高く評価されていいだろう。(昭和52年5月15日号)