伯耆協同紙器株式会社(倉吉市西倉吉町)
昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和53年2月15日号より伯耆協同紙器株式会社の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、各種表現や広告内容等記載内容は掲載当時のものです。一部数字を漢数字から英数字に変更。
【事業所めぐり69】伯耆協同紙器株式会社(倉吉市西倉吉町)
鳥取県経済農業協同合連合会(県経済連)が資本金の70%余りを出資し、事業の一つとしてスイカ、キャベツなど農産物の出荷用ダンボール箱を主体に製函しているもので、県内ではユニークな企業。独立採算性がとられており、経済連経由で県内各農協ヘ販売される出荷用容器が、生産品目の7割程度を占めるほか、弱電、菓子、海産物、木工関係など一般のものに用いる大型容器も製造している。
創立は昭和35年8月。資本金250万円。以前、県中央農業協同組合連合会が営んでいた県中部地区一帯のでんぷん製造工場が、でんぷんが輸入ものに押されて事業として成り立たなくなったことから廃業、本州パッケージ㈱(元㈱日本総合紙器製作所)の技術指導を受けて、農産物の出荷用容器の製造を始めた。
翌36年12月、資本金を500万円に倍額増資。37年には県中央農業協同組合連合会と県経済農業協同組合連合会が合併、新たに県経済農業協同組合連合会が発足したのに伴い、同社も経済連の事業部の一つとして一新した。
一方、設立当初から、営利を目的とせず県内全農業従事者への総合利益の追求ということが前面に押し出されたため、年間売上高は42年ごろまで一進一退を繰り返し、あまり振るわなかったが、42年に鉄骨平屋建ての第一工場(638平方㍍)、43年に第二工場(529平方㍍)が建設されて以後、売上高も急激な伸びを示し始めた。45、46年と相次いでエ場整備に着手、作業効率をさらに向上させて、品質の改善を図るために新鋭機械などを導入した。
この機械化によって合理化が進み、一時50人を数えた従業員も今では24人に半減している。しかし、年商はオイル・ショックを迎える48、49年ごろのピーク時には、4億円を超えたこともあったが、その後は業界の低迷がつづいており、同社もその例外ではなく、昨年の年商実績は2億8000万円と厳しい状況を裏付けている。
特に、農産物の豊・不作にも大きな影響を受け、「安定経営を図るために、副業のかたちで米袋、家畜の飼料袋なども製造、加工するほか一般企業からの受注も確保したい」という松井秀夫専務。
その一つとして、ことしはスイカの出荷用ケースの製造を始めており、これを中心に年商3億5000万円程度を見込んでいる。が、「このスイカのケースも、昨年のように当たらない年になると、いつダンボール箱から再び袋詰めになるか知れず、実際その出荷時期が来てみないとわからないといった状態だ。このため、先行きそう大きな期待はできないが、常に年商3億円程度の仕事はしたい」と積極性を見せる。(昭和53年2月15日号)