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馬野建設株式会社(東伯郡赤碕町)

昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和53年2月25日号より馬野建設株式会社の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、各種表現や広告内容等記載内容は掲載当時のものです。一部数字を漢数字から英数字に変更。


【事業所めぐり72】馬野建設株式会社(東伯郡赤碕町)


先代の雄治郎氏が馬野組として創業したのが大正11年。その後、戦争による企業整備で東亜土木建築工業として活動を行ったが、終戦後の23年、現社長の勇氏が資本金20万円で再び馬野建設工業を設立、今日の基礎を築いた。

続いて27年に製材工場、34年には上井にアスファルト合材工場、37 年松江に砕石工場を、そして45年には県内でも自慢の鉄筋工場を増改築すると共に、50年には東伯町に資材センターを開設した。こうした設備拡張、体制作りと同時に業務拡張にも努力。33年に神戸、37年松江、45年米子と各営業所を、そして同じく45年に倉吉支店、50年に東伯出張所というように徐々に活動範囲を広げていった。

強固な経営基盤のもとに順調な発展を遂げてきた同社の52年度エ事高は「ほぼ20億円になる」(同社長)ということだが、大半はやはり土木事業であり、建築の占める割合は「8億5000万円くらい」ということらしい。史上最高の公共事業予算が組まれ、活況が期待される建設業界だが、しかし、問題は相変わらず多いようだ。

「上位優先―」という批判に対して「公共事業には景気浮揚ということだけでなく、失業者対策の意義も大きい」と前置きして同社長は「ウチが昨年、全従業員を対象に行った調査によると就労者の80%以上は零細農民という結果が出ている。このことから考えても、農林・土木事業というものは救農対策でもあるわけだ。そして、工事を確保することが雇用安定にもつながるわけで、上位だ、下位だというのがおかしい」と語る。

また、元請けからの圧迫による倒産が懸念される下請けイジメについては、「力に任せて―という業者があるのは確かだが、私はそれではいけないと思っている。ウチの場合、昨年の10月から支払いはほとんど現金で行うようにした。暮れにも現金で2億円を支払った」と胸を張る。

「この業界は仕事が勝負だ。よい仕事をやることが発注の拡大にもつながる」。こうした社長の姿勢を反映してか、業者間の信頼は厚い。(昭和53年2月25日号)



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