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北陽株式会社(米子市二本木)

昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和53年3月15日号より北陽株式会社の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、各種表現や広告内容等記載内容は掲載当時のものです。一部数字を漢数字から英数字に変更。


【事業所めぐり75】北陽株式会社(米子市二本木)


農業資材、建材、農業施設部門の総合商社として45年にスタート。創業後8年という若い企業だが、早くも業界中堅クラスヘ急成長を遂げつつある。

45年2月、農薬関係の会社に長く勤務していた同社長が独立、北陽商会としてスタートした。同年10月に法人化、北陽㈱と改称した。発足当初は、農業資材(ハウス関連資材、スプリンクラーなど)に限定していたが、農業機材はシーズン性があるため業務の”谷間“を埋める意味もあって47年、住宅機器(塩ビ管、ボリエチレン管など)の取り扱いも始めた。

48年には従米の販売だけ、ではダメだということで農業施設工事部門を開設。農業県・鳥取に押し寄せた近代化に対処すべく開設したものだが、これを境に51年3月までに建材部門、土木一式工事、上水道工事など業務を徐々に拡張していった。これに伴い建築、土木、管工事、水道工事、電気などの資格を取得。一歩一歩着実に”輪“を広げていった。

「社業の日が残いということがかえって有利に働いた。最初から大きなものを望まないで、独自性を持たせながら”分“に合った方向がねらえる。転換の可能な、小回りのきくところがウチの長所」と同社長。こうした柔軟性が48年に襲ったオイルショック時に発揮され、不採算部門の転換は殊のほか早かったという。とはいえ、業績は”軽傷“ながらも落ち込みを見せ、回復基調になるまで一年かかっている。このころが、同社にとって「一番、シンドかった時期」。

その後、51年11月に米子営業所を設置。従来は県中部に集中していた商圏だが、設置を機に県西部はもとより島根県安来市あたりまで、東は兵庫県香住まで商圏に収め込んでいる。そうした積極性と柔軟性が効を奏してか創業以来、毎年、対前年比20%前後の伸び率で成長を遂げてきた。ただ、オイルショック後はやや鈍ったものの15%前後で推移。昨年は、年商11億9000万円を計上。ことしも15%アップを見込んでいる。「来年は20%を」と目標はでっかい。

「大きな目標かもしれないが、中小企業はある程度の成長性を持たないとダメだ。でないと、従業員の労働意欲がそがれてしまう。これは経営者にもいえることだ。実質的にも10%のベ・アをも含み込んだ収益があがらないと…」と若い経営者は意欲的だ。(昭和53年3月15日号)



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