
池袋暴走事故、この結末では何も変わらない。
2019年に起きた池袋暴走事故は、事故を起こした飯塚氏に禁固5年という判決が下されて収監されていたが、2024年10月に亡くなっていたそうだ。
この事故は、自転車に乗っていた母子が死亡したほか、複数人の怪我人(後遺症が残ったケースもあるようだ)が出る惨事だったが、近年相次ぐ高齢者が加害者の事故であること、捜査時点において上級国民への忖度が疑われたこと、被害者の家族からの発信が多かったことなどで話題となった。
結果として当初執行猶予も予想された判決は禁固5年という結末になったが、遺族の処罰感情が強く、世論も後押ししたことが大きかったように思う。
この事故については、飯塚氏が収監されたときにも記事を書いたが、処罰の行方に注目が集まる状況は好ましくないと思っていた。
そして今回、飯塚氏の死去を受けて、あらためてこの事故の結末は何も生まなかったと残念に思っている。
遺族の処罰感情は当然の反応だと思う。しかしこれは交通事故である。しかも判決文を見る限りペダルの踏み間違いが原因であってスピード違反や無謀な運転をしたわけではない。
故意ではない事故で実刑を課すにあたっては、交通事故であれば飲酒や無謀運転、工事現場等の事故であればずさんな計画や安全管理体制の不備など、そこに至るまでに義務違反が行われていることが一般的だと思う。
また、基本的に被害者本人や遺族への贖罪は慰謝料をもってするものである。それが貨幣経済がベースの社会における基本的なルールである。
今回たしかに結果は重大であるが、世論に押された判決になってしまっていないか。それはそれで問題だと思う。
また、飯塚氏がペダルの踏み間違いを否定したこともあって、裁判が踏み間違いをしたかどうかに終始してしたのも残念だった。なぜ踏み間違いをしたのか、この悲劇を繰り返さないためにはどうあるべきなのか、一切提言が無い。
この判決のあと、一時期高齢者の免許返納が増えたようだが、それも続かなかったようだ。それもそのはずで、車が無いと生活できない地域も多い。
飯塚氏と遺族が面会して「高齢者は早く免許を返納してほしい」という言葉を引き出したらしいが、それこそ池袋界隈に住んでいる人は代替の交通手段などいくらでもあるだろうが、地方に住んでいる人はそうはいかない。
高齢者が自宅に閉じこもることは国も避けたいはずで、外出を促すためにも交通手段は全国的に確保しておきたい。
一方で地方の公共交通は採算が合わないことを理由にバスもJRも縮小傾向にある。
しかし公共交通に採算を求めるのは間違いである。インフラは採算が合わないのが前提だから税金を投じているし、そのための税金である。
本来であれば今回の件をはじめとした高齢者の事故減少のために、たとえば免許に年齢制限を掛けるか毎年試験を行う、それにより免許を失った人の交通手段を確保する施策を国や地方自治体がしっかり行う必要があったと思う。
しかし、どうにもその流れにはならないようで、非常に残念である。
いま(2024年11月時点)、103万円の壁の変更が話題になっているが、それは地方自治体の収入を大幅に削減するものでもある。もし地方自治体の収入がそのまま減るようだと、ますます高齢者が車を手放せない状況になってしまうだろう。
また、以前の記事にも書いたが、自動車のペダルレイアウトについても一向に改善が見られず残念である。
先日販売された小型ミニバンも、ブレーキの位置が車体中央にかなり寄って配置されており、右足を左足の前に出すくらいの感覚で踏まなければならないものであった。
今後も似たような事故は起こるだろう。あと何回事故が起きれば根本的な解決に向けた動きがみられるのだろうか。