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少子化を考える④ 少子化は昭和30年から始まった、歴史の必然。

これまで三回にわたり、少子化の現状と、背景となる社会状況を振り返ってきた。それをもとに少子化の理由をまとめたい。

少子化の理由1 労働者の需要が減少したこと

労働人口の半分を占めていた第一次産業が1955(昭和30)年以降急激にそのシェアを縮小していった。当時の農業は人手を多く必要としていたが、その需要が急激に減少していった。

少子化の理由2 核家族化が進み育児の担い手が大きく減ったこと

第一次産業がシェアを縮小するのと反比例して第三次産業が急速にシェアを伸ばし、1955(昭和30)年時点ですでにトップシェア、そこからさらに急拡大して1973年の段階では50%のシェアとなっている。第三次産業は大都市に集中するため、労働人口もそこに集中する。その段階で親と離れて暮らすことになる。その象徴が「集団就職列車」である。集団就職列車は1970年代中ごろには終了するが、これは「日本列島総核家族化」が完成したことと同義と言える。

核家族化が進むと子育てを夫婦で完結せねばならない。以前のように祖父母や地域社会が担うということができなくなる。近年「夫の育児参加」が話題になるが、育児に係る人間が1人増えたところで以前とは比べ物にならないことは指摘しておきたい。

少子化の理由3 生活費や教育費の負担が増えたこと

都市部への移住はすなわち住居に関する費用が新たに発生することである。田舎の代々続く実家に住んでいれば掛からない費用である。しかも人口集中期であったから住まいを得るのに抽選が行われることもあり、価格もうなぎのぼりである。当時は高金利の時代であったことも忘れてはならない。しかも団地住まいであれば間取りも狭く、多子育児には適さない。

また第三次産業とは高学歴の産業である。1970年ころから金融・不動産などの大卒前提の人材が求められるようになってくると、教育費を多く投じるようになる。まだ専業主婦も多かったこの時代、夫一人の収入で住居費・生活費・教育費を賄っていたわけで、当然子供を多く作る余裕などないし、特に教育費については少人数の子供に集中配分したほうが効果が大きい。

以上が少子化の大きな要因であるが、つまりは「産業構造の変化」が根底にあることがわかる。

つまり日本における少子化の流れは1955(昭和30)年の段階で明確に始まっており、それは日本が発展するうえで必然だったと言える。

それを踏まえて次回、日本は少子化にどう向き合うべきか考えたい。

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