19/11/15 私は私が騒がしい(日米FTA)
昨日は日米FTAに関する事で「マジ死ぬやんな?」と気持ちが騒がしかったのだが、今日見つけた記事(9月の投稿だけど)。
なるほど。取り敢えずすぐさま死ぬわけでは無さそうだが、真綿で首を絞められるのはマジみたいだというのは分かった。国内産業がやばいのは分かった。あと、私全然経済分からない。専門知が必要、と分かった。
そして私は自分で色々調べもせずに反射的にRTするのはやめようと思った。すまぬ。でも昨日は「マジ死ぬやんな?」と久々に希死念慮→自殺企図に至りそうな心地であった。処方箋の記載漏れにも気付かずぼーっと過ごし、後で気付いてまた死にたくなった。
芸能人のスキャンダルや結婚ニュース等が話題に上がる度に「裏で何か大変な事が起きているのでは」と気持ちがざわつく日々を送っているし、大体何かしら起きてる事は多い。年々「この国から出て行かなければ」みたいな気持ちが増していく。でも、私の好きなものも好きな人もこの国にあるので、そうそう置いてはいけない。
そういう気持ちの始まりに2014年の『魔女の災厄』があり、2016年の『逢魔時』があり、今描いてる『魔境の女』があるわけで・・・・・・多分生きてる間ずっと現実世界で私が感じてるもやもやを漫画にしていくんだろうなと思うけど、いつも言ってるように「私は私が信用ならない」ので、今回の反射的RTみたいな感覚で漫画を描くのは更によくないな、ちゃんと調べる力を付けなければな、と反省した。
反省しても反省しても繰り返すのが私だし、それを忘れないのも私なので、やはりいつも「私は私が信用ならない」んだが、いつか私を信用出来る日が来るんでしょうか。
突然『呪術廻戦』の話になるけど、好きなキャラの一人である伏黒恵くんは「悪人にも善人にも平等に理不尽が降りかかる世界で、より善人を救えるように不平等に人を助ける」という信条のようだが、これは自分の良心を信じていなければ出来ない事だ。その責任の重さを背負う恵くんの危うさと勇猛さが好きなわけだが、「ぼくにはとてもできない」と思ってるから好きな部分もある。
背の高い人も背の低い人も同じ形状の椅子に座って貰う方が簡単だ。それで背の低い人が舞台をよく見渡せなくても。日本の劇場をいくつか行った事のある背の低めの人なら分かるかもしれないが、あの椅子は大体「日本の平均的身長の成人男性」向けに作られている(ように私は座る度に思う)。
その椅子をその人の具合に合わせて変えていくのが、恵くんだ。これは大変難しい所業である。
実をいうと、私はある時点まで研究者になりたかった人間だが、「難しさ」に耐えられなくなって辞めてしまった。「難しさ」には人間関係も含まれるし、経済事情も含まれる。いつからか「難しい事を易しく教えられる人が本当に頭の良い人だ」のような言説が出てきたが(私の論文を担当した教授もよく言っていた)、難しい事は難しい。難しい事を分かりやすくしようとすると、いつも大事な何かが零れ落ちる。難しい事を難しいまま何とか分かろうと、もしくは自分と折り合いのつかない部分を見つけようとして読み込む事は、非常に困難で、技術が必要だ。
漫画を読むにも、映画を観るにも、完全に受け身ではいられない。読み込む技術が必要だ。
その技術を放棄してはいけない、と私は私を戒めている。
難しい事に取り組むのを諦めてはいけない(元気があれば・・・・・・ね・・・・・・)
と、いうのが、今回の反省。
「お前!また大事な事を忘れやがって!」という気分。政治が苦手だが、政治的に生きていかないとサバイブ出来ない身分なので、これからも「勘弁してくれよ」と思った政治的な事に関して政治的に取り組んでいきたい所存。
金さえあればな~と思っても無いし、健康であればな~と思ってももう無いし多分戻らないし、今は取り逃した処方薬と、部屋の更新料と、コミティアで頭が一杯だし、相変わらずうつだし、よく泣いているが、諦めて今日もおとなしく原稿やろうと思います。
私自身、私が騒がしくて仕方ないんだが、騒がしさに付き合ってくださる方がいたら、これからも宜しくお願いします。
ではまた。
(下の画像は最近買った帽子と、欲しいと思ってる服の絵だよ)
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松村生活のほぼ毎日絵日記
体調が大地獄に悪い時、実家にいる時、うっかりしてた時等以外は更新するほぼ毎日絵日記。小説の時もある。松村生活の体調不良生活を観察したい人向…
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