反田恭平さんのピアノ〜その1
2021年10月、ママが元気だった最後の10月に、反田さんは第18回ショパンコンクールで2位に入賞を果たした。これは、内田光子さんが51年前に樹立した日本人歴代最高位タイの成績。
ママは昔からピアノを聴くのが好きだった。私がNY留学から帰国後、秘書としてお仕えさせて頂いた弁護士の先生がホロヴィッツの大ファンで、影響を受けて私が聴くようになり、ママもすっかりホロヴィッツファンに。その後は、クリスマスとか母の日とかお誕生日とか、ホロヴィッツのCDを何枚かプレゼントし、特にホロヴィッツのショパンが好きになった。今、ホロヴィッツについて調べてみたら、何と、ママと同じお誕生日。10月1日産まれということが発覚!
ウラディミール・ホロヴィッツ
そんな、耳の肥えたママが、急に、反田恭平さんファンに。妹の嫁ぎ先、義理のお母様、Yさんが、ショパン・コンクールで入賞する前から、目をつけていたということで、ママとYさん2人で、反田さんを予選から応援し始めた。
その頃、私は北京に住んでいたものの、ショパン・コンクールが大会の様子をYouTubeで配信していることを、尊敬するレオス・キャピタルワークスの藤野英人さんのFacebook投稿を通しても知った。コロナ前は選ばれた人しか聴くことが出来なかったコンクールでの演奏を、世界中どこにいても聴ける、クラッシック音楽の世界にも民主化の流れが押し寄せているのを感じた。
そして、反田恭平さんの2位入賞。ママからチケットを取るように頼まれて、色々なサイトからアプローチするも、抽選に外れ、コネも見つからず…ママを虜にした、反田恭平さん、ショパン・コンクール、final roundの演奏。
https://youtu.be/3bMF5wS7Mr4?si=VFOKLYkyhe1aVrwz
この演奏から、丁度1年後、ママは天に召された。そんなママと過ごした最後の夏、ママから幾度となく、妹を頼むわね、っと言われた。
その妹が3月に姪っ子のお世話をご主人様と義理のお母様Yさんに任せて、1人ロサンゼルスに旅行に行くということで、ふむふむ、っと姉として見守っていたものの、何と、ロスで酔っ払って病院に運ばれるという大惨事を引き起こす。妹は劇場型なので、私はあー、そうなんだ、っと冷静に受け止めていたものの、義母のYさんが心配しているから、ちっち、ケアして、と言われ、大好きな岡埜栄泉の大福を持参して、妹の家に姪っ子のお世話にきているYさんに会いに行くことに。
虎ノ門 岡埜榮泉
03-3433-5550
東京都港区虎ノ門3-8-24
姉として、ご心配をおかけして、ということで、頭を下げつつ、Yさんと初めて2人だけの時間。妹のことを色々言われるかな…っと思いきや、自然とママの話、ピアノの話が盛り上がり、反田恭平さんのコンサートにママがYさんと行きたがっていた話で盛り上がる。
そんな出来事から、1週間も経たないぐらいのタイミングで、反田恭平さんがバーゼル室内管弦楽団とのコラボするコンサート情報がどこからか入り、勇気を出してYさんにお声がけしたら、三男(妹のご主人様の弟さん)がバーゼルに住んでいて、バーゼル室内管弦楽団にもご縁を感じるし、是非、ご一緒したいと言ってくれた。
そこで、迷わずサントリーホールのコンサートに申込。今回も抽選だったものの、コンサートの日程が、亡き祖父(ファザコンだったママの父)のお誕生日でもある7月1日だったこともあり、当選する気がもの凄くしていた。
申込から約1ヶ月後、抽選結果が知らされる前に、登録したクレジットカードで支払決算が。
4枚まで購入できるとのことで、4枚購入し、実際取れてから誰と行くか、相当悩んだ。当初は、Yさんと妹、私とママの大好きなお友達でもう1人同じ名前のYさんと4人で考えていたものの、何と、夜のコンサートはもう年なので行かないことにしていますと、凄くすごく、ご丁寧にお断り…
そこで、妹家族(Yさん、ご主人様、妹、姪っ子)で行ってもらおうかとも思ったものの、ご主人様が海外出張ということで、ピアノの先生にお声かけしようか、幼馴染を誘おうか、紆余曲折した結果、約1週間前に、仕事が一段落しそうな夫を誘い、Yさん、妹、夫、私で反田恭平さんのピアノの音色を聴くことに。
(その2へ、つづく)
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