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誰にも盗られることない『それ。』

「失敗は成功の母」と教わってとてもいい言葉だなって思った。誰にも盗まれることのない経験は魅力で『失敗』がそれを作ると思った。

『それ。』は失敗のこと

数十年生きてると普通の生活も男女にまつわる色んな情事や出来事も小さい失敗も含めば切っては切り離せないたまに出てくるニキビみたいなもんで「失敗」という積み木があるとするなら重ねれば重ねるだけポジティブ変換がしやすくなるのかもしれないと思う。

ただ人生は死ぬまで学びで完璧はなくてずっと、きっと失敗に教わるんだと思う。でもできれば失敗したくない。先のことまで考えてしまって恐怖心が沸き立つから。だけど、この先自分の人生を生きていかないと。

。。。。と思って自分自身を振り返ってみると生きていくために留学を決めたのが16歳の頃で学校では何となく国籍が違うとか従順すぎる性格とかおとなしいとかでいじめられてたのがきっかけで生きていくエネルギーを生み出せず委縮したまま何も考えず毎日だけが過ぎて17歳で急に親が離婚することになりお先真っ暗状態で「自分を変えないと、この先いきていく自信がない」

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じゃあどうする?

私の場合環境を変えるのが一番手っ取り早かった。つまり住む場所を変えて自分の周りにいる人たちを自分のことを知らない人たちだけにする。そうすることで本当の自分がどんな人間なのかが浮き彫りになってくる。

考え方の幅や見ているものの感じ方など新鮮で経験値としてあたらしいジブンとして身についてくることを実感したときは「始める前は失敗を恐れて一歩踏み出す時の恐怖は計り知れないけど一歩踏み出して良かった。」って。自分自身が考えてる自分と周りが見ている自分とは差がある場合が多いことに気づく。そのことが人間関係のバランスになって「なるようにしかならない」ということの意味が分かってくる。

そして失敗は味方につけたほうが日々過ごす中で何かとやりやすいということやその後どうしたら上手くいっただろうと省みるきっかけになる。

現実と向き合い『それ。』と対峙

自分の力量が涙とともにさらされる。

16歳の時点でとりあえず死ぬわけにはいかず死ぬ勇気もなく生きないといけなくてその目的がほしかった。

16歳の決断から3年後、当時19歳。私が留学していた国は韓国だった。ランゲージスクール卒業後向こうの大学へ進み大学寮で生活した。文化の違いは人々の違いと使う言葉の違いを意味し、ある程度分かるようになったころには定期的に知恵熱のような熱にうなされることもあった。18年間過ごした日本で話していた日本語は当然会話はペラペラで、ということだけで向こうの学生からすると「きっとめちゃくちゃ素晴しい日本語の先生になってくれるだろう」という部分だけが見えて根拠のないハードルが上がる。逆の立場でもきっとそう思うかもしれない。

だけど言葉や語学ってそんな甘くなかった。

友人の同期は法学部に通っていてその彼女は『私に日本語教えてほしい』と言われて会うことになった。

いざ教えようと思っても何をどうやってという初心者の壁にぶつかり聞かれた質問が「日本語の五段活用はどうやって生まれたの」「こことあそこを表現するときの距離はどのくらい?」と普段考えたこともない次元からの質問の連続に戸惑いを連発、その後思考停止してしまった。。

『ダメだ、この人にはもっとプロな日本語の先生が必要だ』と思って、「ごめんなさい、どうしよう教えることが出来ない、、折角時間いただいたのにごめんなさい。申し訳ない」(時間をもらってもアマチュアレベルを超える自信がない)と正直に伝えると知らずに涙が溢れ、彼女は「あなたに教わった日本語で会話したかったけど仕方ないね」と同じように涙していたことを思い出すと今でも心が痛い。

私の第一言語は日本語でもちろん会話はできるけど日本語のプロじゃない。当時私はただの文学部の学生で未熟も極まりない身分、しかも「いいアルバイトになるかな」なんていう甘い考えで受けてしまった自分を今でも思い出すとあれはほんとバカだったし失敗だったなって思う。

期待させた彼女の時間にも謝りたい。ただ、そういった出来事を経て視点が増えた感覚でバージョンアップしたくらい見える物事やビジョンが広がった。

何かを超えるとき、その経過を経る瞬間は痛みを伴い苦しい。

今この時がどんなにつらくても、抜け出す方法はきっとあるしそれができるタイミングがきっとある。踏み出す時に押しつぶされそうな恐怖があってもきっと背中を押してくれる誰かは絶対いて、やめといたほうがいいことならそれを阻む出来事が起こったりする。つまづいてこれは失敗だって思う事があってもその後の自身にかならず経験という名の盾になってくれる。七転び八起きという言葉も好きだ。

大丈夫、失敗しても大丈夫。

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おそらく人生は歴代のパイセンたち(親しみを込めて)がそれぞれの失敗が積み重なったからこそ現代の発展があり私たちが幸せを追い求めるための知性や知識経験を積み重ねられるような「今日」という日を価値あるものにできる。そんな深呼吸することも空を見上げてにっこり笑うこともできる余裕という概念もできたのだと勝手に思う。

そのうえで一番大切だなって思ったのは「自分の意志で追い求めてこそ」誰かに言われてとか誰かにやってもらってとかではなく「わたし」「じぶん」の気持ちに素直に自らの意志でつらさを選択し乗り越えてこそ尊く価値があるものへと自らの力で変換できてスキルになると思う。

『それ。』は、

その経験は宝、

周りの意見や周りの友人に流されず「あなた自身」に目を向けてほしい。好きなものは好きって思いに素直になって、ポジティブな失敗を重ねてリカバリーしてキラキラ輝いてほしい。」

10代のわたしにもそうやって言いたかったくらい。

#あの失敗があったから

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