溝口勇児氏のクラウドファンディングについて思うこと。

文字数:約2,200文字
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ブレイキングダウン(以下BD)でメインレフリーを務めている鬼木貴典氏がX上でステージⅣの肝臓がんであることを公表したことを受け、BD運営の溝口勇児氏がクラウドファンディングを呼びかけた。
結果としておよそ4,500万円もの寄付金が集まったことがネットニュースで取り上げられ、美談として話題となっている。

また、2024/5/22に朝倉海氏のYouTubeチャンネルで公開された動画の中で、子供たちの嗚咽や気丈にふるまう鬼木氏の姿には既視感やシンパシーを覚えると同時に、動画の配信者である朝倉海氏や前述の溝口勇児の発言には極めて強い違和感を覚えた。
この記事の目的は、動画の中における発言を具体的に取り上げて違和感の正体について整理し、自分の考えを備忘録として記録することである。

「お金が原因で治療を受けることを諦めてほしくない」

これは動画の中で溝口氏が鬼木氏やそのご家族へ向けて発言したセリフである。
結論から書いてしまうが、現代の日本において「お金が原因で適切な医療を受けられない可能性」は極めて低い。国民皆保険制度のもと、富裕層であっても、平均年収程度の家庭であっても、たとえ生活保護受給者であっても同一の治療(≒標準治療)が提供される。もしも標準治療が受けられないとするならば、それはお金が原因なのではなく、適切に福祉や行政にアクセスできなかったり、様々な媒体に流布されている誤った医療情報を信じてしまったが故の「情報の格差」が主な原因である点をまず明確にしておきたい。

「お父さんは治る確率がある(原文ママ)」

公開された動画の中で溝口氏は鬼木氏の子供たちにこう問いかけた上で鬼木氏に再三にわたって一緒にがんと闘うことを提案し、自身には「最新の治療の提案」や「有識者からの情報提供」があると言っている。

ここで溝口氏が言及する「治療」とは「自由診療(=健康保険や高額療養費制度の適応を受けない医療行為)」を指す。自由診療の問題点については多くの媒体で既に議論されているためここでその是非を論じるつもりはないが、がん治療における自由診療をひとことで表現するならば「非常に高額で、効果・副作用が検証されていない治療(多くの場合、効果がないことが判明している治療)」と言える。

私自身、思春期に末期がんの父を看取った経験から、費用が高額であろうと、多少の副作用があろうと、標準治療よりも根拠に乏しくとも、選択肢として目の前に存在するものに縋りつきたい鬼木氏やご家族の気持ちは痛いほどに理解できる。
また、溝口氏や朝倉海選手自身も鬼木氏とは非常に懇意な間柄であるだろうから、何か力になろうとする気持ちに嘘偽りはないと思う。冒頭の発言にしても、鬼木氏やご家族を勇気づけるためのものであったと信じたい。

しかし、である。
自由診療によって逆に鬼木氏の体調が悪化したり、副作用等により残された時間をご家族と有意義に過ごすことができなくなる可能性に言及せず、クラウドファンディングによって集まったものとはいえ、4,500万円ものお金と一緒についてまわる「精神的な負担・葛藤」を鬼木氏やその家族に強いた点、あまつさえそれを世界中の人が視聴できるYouTubeというメディアにアップロードした点は疑問に感じざるを得ない。

想像してみてほしい。
もしも「自由診療」の結果、非常に強い副作用が出てしまい、鬼木氏がこれ以上治療を続けたくないと感じたとき。あるいは思うような効果が得られず緩和ケアに戻りたいと鬼木氏が感じたとき、4,500万円もの金額を集めてくれた溝口氏や朝倉海氏、またお金を寄付したファンに引け目を感じてしまい、自分の意見を言い出せないという状況は発生しないだろうか。

想像してみてほしい。
幸いにも鬼木さんの生存期間が6か月、1年と伸びていったとき、いつかクラウドファンディングで集めた4,500万円は底を尽きることになる。余命3ヶ月という情報は、あくまでも統計学的な数値であり、自由診療の効果を度外視したとしても、3ヶ月以上生存することはあり得る。お金がなくなったから治療をやめる、という残酷な決断を一体誰が下すのか。

鬼木氏自身がX上で投稿している通り、現在の病状から想定される、鬼木氏とそのご家族に残された時間は非常に短いものである可能性が高い。一度は鬼木氏自身が下した選択(=自由診療を中断する)を、医学的な知識を持たない第三者が、ごくごく短いコミュニケーションで翻意させ、患者とそのご家族に4,500万円もの足かせをはめたことの重大さをしっかり考えていただきたいと強く願う。

最後になるが、私は自由診療を一律に非難するつもりはない。
製薬企業での医薬品開発を生業としており、がん治療における「自由診療」の実態がどのようなものであるかについてかなりの程度知っていても、職業倫理的にがんの自由診療を否定すべき立場であっても、自由診療を選択する患者さんにを非難する気持ちにはなれない。

「治療の価値」は患者さんご本人やそのご家族の意思決定によって決められるべきものであり、その意思決定を満足いくものにするために専門的な知識を持った医療者が情報提供や助言を行う。最終的な意思決定者はあくまでも当事者にゆだねるべきなのだ。第三者がそこに割り込むならば、患者さんとご家族の人生に踏み込む覚悟を持たなければならない。

重要な点なので繰り返すが、何ら専門的な知識を持たないYouTuberが、鬼木さんとその主治医のコミュニケーションで一度決定された治療方針を、お金の力で覆し、その過程をYouTubeという媒体で世界中に配信したことは、時間が進むにつれて鬼木さんとそのご家族の残された時間にネガティブな影響を与える可能性が高く、鬼木さん以外のがん患者や、そのご家族をも不安に陥れる可能性が極めて高い、というのがわたしの指摘したい点である。

そしてこれは、自由診療の是非とは全く別の問題である。

鬼木貴典氏が納得のゆく選択をし、ご家族と有意義な時間をできるだけ長く過ごせることを心から祈念している。

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