多様性の哲学
先日の学校の文化祭の政経雑誌に寄稿した文章で、そのまま腐らせるのも、もったいないかなと思ったのでとりあえず載せてみました。
何か怪しい感じだけど、全然そんなことないので、気軽に読んでくれたら、うれしいです。
序章
昨今、「多様性」という言葉が重視され始め、あらゆる場面、局面において各国の主たる人物やそれに準ずる人達によって多用されている。多様性と聞いて、パッと思いつくところでは、人種や性別の二つが多いのではないだろうか。他にも、宗教、年齢、価値観など、多様性は多くの事物をその言葉に内包している。そして、多様性を認めることが現代社会を生きていく上で、とても重要な事になってきているのだ。例えば、私たちは今まで色の区別として「肌色」という言葉を使っていたが、多様性を考慮し、現在は「うすだいだい」という風に名前を変えている。このように、多様性はもはや社会の常識となり、私たちの身の回りの世界にすら変化をもたらしている。
では、私たちはこの多様性を重要の一言で片付け、没我的に受け入れていくべきなのだろうか。私は違うと思う。どんなに重要で難しい事でも、一度徹底的に考え、突き詰めていかなければ、真の理解は得られない。仏教の僧侶にしても、何も考えずに経典を丸暗記しているわけではないだろう。彼らも彼なりに読み解き、理解して受け入れているはずだ。つまり、私たちも自分なりに多様性という言葉を解剖し、理解していかなければならない。というわけで、ここではあえて、多様性について深掘りしていこうと思う。
第一章 多様性の基本
多様性を論じるにあたり、多様性とは一体何で、どんなものが含まれるかという基本を確認していく。
多様性の定義とは、
「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること。」
であり、多様性を尊重するということは、異なる特徴・特性を持つ人を互いに尊重することだと言える。多様性という概念は1960年代のアメリカで生まれたとされ、1960年キング牧師が人種差別撤廃を訴えて行った演説は、現在に語り継がれるほど有名だ。また、多様性の概念は広く、その性質によってデモグラフィー型、タスク型、オピニオン型の三つに分けられる事が多い。
デモクラフィー型
デモクラフィー型とは、性別・年齢・人種・国籍など生まれもった外面的な多様性といい、「表層的ダイバーシティ」と呼ばれることもある。基本的に、自分ではコントロールをすることが出来ず、不変的なもの。推進例として、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法などがある。
タスク型
デモグラフィー型が外面的な多様性を意味するのに対し、タスク型は内面的な多様性を指し、「深層的ダイバーシティ」と呼ばれることもある。タスク型では、能力・経験・知識・宗教・パーソナリティなど、後天的な個性が重視される。さらに、他人や周囲の環境に影響されて変化するものでもあり、時間の経過とともに変わることも特徴的。
オピニオン型
デモグラフィー型・タスク型が人の多様性を指すのに対し、オピニオン型は、組織の多様性を推進する取り組みや環境を意味する。すなわち、組織の一人ひとりの個性的で多様な見方・意見を表明することで、相乗効果を生み出したり意思決定に活かしていこうとする考え方。そして、立場や役割を越えて意見や見解が表明され活かされている状態こそが、組織や集団としての知のシナジーを生み出すため、企業等において重要視されている。
このように、多様性には主に三つの側面が存在しており、現在、日本ではデモクラフィー型の多様性が推進されている。
第二章 多様性のメリット
近年、働き方改革や人口減少・少子高齢化による働き手不足により、窮地に立たされている企業は少なくはないだろう。そのため、企業戦略として多様性を推進し、成長を図ろうとしている企業は多い。では、何故そういった企業は多様性を推進し始めたのだろうか。ここでは、多様性のメリットについて企業を例にとって、三点紹介する。
人材確保が容易になる
多くの人がワーク・ライフ・バランスを重視し始めた時代に、従来通りの柔軟性に欠ける企業戦略では労働者は集まらないだろう。しかし、多様性を推進することで、社員が働きやすい労働環境を整えている企業と認知されれば、企業は求職者にとって魅力的な職場となり、多様な人材が応募することになるだろう。女性や外国人、障がい者などが働ける環境を整えれば採用の幅が広がり、多様な人材獲得を目指すことができるようになる。これは、企業の海外進出や企業のグローバル化にも貢献し、企業のさらなる成長を見込むことができるだろう。
新しいアイデアが生まれやすくなる
経歴や性格が同じような人材の集まりでは、革新的・創造的な発想は生まれにくい。その点、ダイバーシティを推進することにより、年齢・性別・人種・価値観の異なる人材が企業に多く集まり、各人が異なる視点を持っているため、新しいアイデアが生まれやすくなる。また、一人の出した案を他の一人が膨らませる、さらに別の人間がブラッシュアップする、といった発展性を持つことができる。
リスク回避に繋がる
日頃から従業員にダイバーシティ推進への理解を深めておけば、差別やハラスメントにつながる言動を抑制することができる。また、広報PR活動やマーケティング活動などにおいて、差別や偏見を助長する表現を避けることにも繋がるはずだ。
このような事が多様性を推進することの主要なメリットだと言える。
第三章 多様性のデメリット
多様性が持つデメリットを二点述べる。
多様性が多様性を殺す
一点目は、多様性が多様性を殺しているということだ。一体どういうことなのか、人物A,B,Cの三人とその主義主張を例に挙げて考える。
人物Aは「LGBTを絶対に認めない」という主張を持っていて、人物B,Cは人物Aとは正反対の「LGBTを無条件に認める」という主張を持っていたとしよう(ここでは、LGBTを多様性に新たに参入した集団とする)。世論を鑑みると、極端に言えば、人物Aの主張は異常であり、人物B,Cの主張は正常であると言えるはずだ。そして、人物B,Cは人物Aの主張をどうにかして自分たちの主張に近づけようとするか、人物Aを異常者とみなし、人物Aを腫れ物扱いするだろう。どちらにせよ、人物Aに対する尊重は忘れ去られ、その主張も淘汰されるに違いない。ここで、もう一度多様性の定義を確認すると、
「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること。」とある。
定義上では、人物Aは集団に存在しており、多様性を尊重するならば、人物Aもその意見も当然尊重されるべきはずだ。しかしながら、人物Aは、世論ひいては人物B,Cとの主張と相容れないため集団から弾かれてしまっている。つまり、人物Aは多様性にLGBTという集団が参入したことにより、多様性の外へと追いやられたのだ。
ここから言えることは、「現在の多様性を否定する多様性の一部は、多様性の一部として認められない」ということである。しかし、私は多様性を否定する多様性の一部を認めるべきだと考える。というのも、もし認めなかった場合、多様性はその定義自体が倒錯することは明らかであるし、さらに、個人の主義主張における多様性は多様性を失い、画一化された多様性へと姿を変えることだろう。画一化された多様性は常識として人々に根付き、多様性が多様性を殺すことに直結するのだ。
とはいえ、多様性を否定する多様性の一部を余すことなく全て認めるというのもかなり危険だろう。もし、多様性を尊重する世界が、多様性を否定する多様性の一部を全て許容するとしたら、世界は多様性を否定する多様性の一部によって壊れるに違いない。そして、多様性を尊重する世界を維持するためには、多様性を否定する多様性の一部を弾圧しなければならないだろう。この矛盾もまた、多様性が多様性を殺すことへと繋がりそうだ。ちなみに、この論理の裏には、寛容のパラドックスというものが存在する。寛容のパラドックスとは、
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される。そして、寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない。」
という矛盾した結論に達する、イギリスの哲学者カール・ポパーが1945年に発表したパラドックスである。その中で、カール・ポパーは不寛容な哲学の発言を禁止するべきではなく、自説を押し付け反対者の自由を禁じようとした時に、不寛容に対して不寛容である権利を要求するべきであるとした。
よって、多様性を否定する多様性の一部を、認めても認めなくとも、多様性は多様性に殺されるだろう。それは、現在の多様性が少数派を擁護する傾向にあるということが要因の一つとなっているように感じられる。そして、私達は、多様性を否定する多様性の一部をどう扱うかを慎重に見定めていく必要があると思う。
多様性の檻
二点目は、多様性の檻である。現代人は、多様性を意識し、また、尊重しすぎるあまり多様性に囚われているのではないだろうか。そんなことを念頭に置きながら考えていく。
「多様性を認める」という言葉の意味を再確認すると、異なる特徴・特性を持つ人を認めるという意味である。つまり、自分と違う人間を排斥してはならないが、その存在は認めるべきであるということだ。しかし、多様性を認めなければならないという今の世において、その意味は捻じ曲げられ、他者に多様性を押し付ける呪縛となっている。そこでは、他者を無条件に認めなければならない。つまり、人々は多様性に縛られ、多様性の檻に思考を閉じ込められているのだ。
多様性に閉じ込められた思考は、現在の多様性、すなわち、少数派を擁護する多様性に支配され、少数派を極端に擁護し始めるだろう。そうなると世界は、多様性を尊重する世界から少数派を尊重する世界へと変貌するに違いない。
最後に
多様性は重要な概念であるが故に、その扱いには慎重にならねばならないように思う。多様性を上手く活用すれば多くの利益をもたらすだろうし、逆に、活用方法を間違えれば自分の首を絞めることにもなりかねない。だからこそ、私達は多様性の本質を見極め、適切に判断する必要がある。
出典
https://www.persol-pt.co.jp/miteras/column/diversity/
https://spaceshipearth.jp/diversity/
https://www.hiroshima-u.ac.jp/gender/gakusei/houritu
https://www.careermart.co.jp/blog/blog/archives/21805
https://prtimes.jp/magazine/diversity/
https://usooyuutarou.hatenablog.com/entry/2020/08/12/070000#1%E5%85%88%E3%81%AB%E7%B5%90%E8%AB%96%E3%81%8B%E3%82%89
https://spaceshipearth.jp/diversity/
https://www.qualia.vc/glossary/doc-85
https://sports-for-social.com/3minutes/diversity/#rtoc-2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E5%AE%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
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