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無事に帰国いたしました

無事に帰国いたしました。大渋滞の中、成田から横浜へ向かっています。

経済危機やコロナ禍を乗り越えたスリランカ。特にスリランカの佛立信徒は苦しみや痛みを力に変えて、今までよりも強くなっていました。

大白蓮寺の歴史が始まりました。結局それも過去からの積み重ねであり、未来から見れば一つの通過点となりますが、今回の寺号公称は決定的な意味を持ち、歴史に刻まれました。本当に、ありがとうございます。

寺号公称にあたり、これまでご奉公くださった先輩方、すでに亡くなられている功労者を顕彰したいと良潤師に伝えていました。

たくさんの方々が先に旅立たれました。法号を選ばせていただいた大功労者もおられます。とにかく、彼らのご奉公を決して忘れず、大切にしたいと思っています。

特に、ランガとラサンギのご両親は忘れられません。

今から5年前、2018年4月27日、ラサンギが朝食のご供養をしてくださいました。彼女はMicrosoftのソフトエンジニア、バリバリのキャリアウーマン。でも、「誕生日だから自分でお料理を作ってご供養させていただきたい」と言って朝早くご両親とお寺まで来てくれました。そんな娘を見守るご両親の顔を忘れることは出来ません。

その日の夜、ラサンギのご両親と、兄のランガ、そしてフィアンセも招いた夕食会に参加させていただきました。

その時のことが忘れられなくて、写真を探したら見つかりました。

3年前、お母さんが亡くなり、お父さんも後を追うように亡くなられました。深く愛し合っていた二人だからかも知れません。ただ、一気に最愛の両親を失ったランガとラサンギのことをとても心配していたのです。

今回の寺号公称のご奉公で、大活躍している二人を見て、心の奥底から嬉しかったです。本当に素晴らしい。ご両親がどれだけ喜んでいることか分からないほどです。

ランガは2才半の男の子、ラサンギも10ヶ月の赤ちゃんの育児中です。でも、しっかりとお参詣、ご奉公に頑張っています。

コロナ禍や経済危機における良潤師の指導、清嵐師、アベイさんやチトラさんやケネカちゃん、多くのシニアメンバーのご奉公によって、本当に危機にも苦難にも負けない、むしろ以前よりも確実に強くなったことを感じました。

総監督を務めたディヌーシャ君。細い身体の学生だった彼が、これほど凄いディレクターになるとは思っていなかった。感動した。二人で暑い暑いシャカキングダムでご奉公した日々を思い出しました。

初代しかいなかったスリランカHBSが、今では三代目も活躍するまでになりました。是非コンサートの動画も、ディヌーシャ君が撮影編集し、良潤師やランガが出演し、良潤師がナレーションをしている映像もご覧ください。後で全世界のHBSに向けてリリースします。

スリランカ清涼山大白蓮寺の寺号公称から無事に帰国いたしました。

ありがとうございます。

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